「焦る必要はない」-正しい山の登り方-草薙龍瞬さんイベントレポート

「反応しない練習」がベストセラーとなった僧侶・草薙龍瞬さんによる談話をお伝えします。学生だけでなく、すべての人にとって進路を決める上で大切な要素が詰まっています。

TOPICS
  • 大切なのは山の「頂上」ではなく「登り方」だ
  • 「登りつめた人」の話は当てにならない?
  • 「まず体験してみる」の大切さ
  • 体験した後に、登るべき山が見える
  • 自分の感性はココ一番で発揮する
  • あえて結論づけないという勇気を持て
  • 人生という山はこう登る

頂上ではなく山の登り方

 

みなさん、こんにちは。草薙龍瞬と申します。本職はお坊さんで、本の執筆や講演などもしています。 今回、小笠原さん(iroots事業責任者)から声をかけていただき、このような形で話すことになりました。これから社会に出ていく学生さんにとって、役立ちそうなヒントが1つでも生まれればいいなと思っています。

 

大切なのは山の「頂上」ではなく「登り方」だ

最初は小笠原さんから、「自分らしい人生の選び方」というテーマでお話をいただきました。ただ「自分らしさ」って、よく分からない人が多いはずなんです。今の時点で「自分らしい進路はコレだ」「自分が納得できる職業はコレだ」と選んだとしても、10年、20年経ったときに、それが自分の人生の最終ゴールになっているかといえば、実は多くの社会人の場合は違います。

 

「自分らしさ」というところから人生を考え始めると、大きな勘違いをする可能性があります。率直にいって自分というのは相当あいまいです。承認欲が作り出すただの幻想にすぎない場合も多かったりします。だから今回「自分らしい生き方」ではなく、あえて「正しい山の登り方」というタイトルをつけました。「どの山の頂上に登りたい」という以上に「登り方のほうが大事では?」という問いかけです。

 

「登りつめた人」の話は当てにならない?

その点で、世間にありがちな勘違いを、最初にお話させてください。皆さんも、いろんな機会に社会で活躍している方々の話を聴く機会があると思います。ビジネス書や自己啓発のセミナーなどでも、「自分が成功したのは、こんな努力をしたからだ。だから君もこんな努力をすればいい」というスタイルの語り方が、よくあります。

 

ですが、そうした人たちの全員が、最初から「ひとつの山の頂上をめざして、自分の努力と情熱と才能で道を切り開いていった」――わけではなかったりします(笑)。そんなにきれいなサクセスストーリーは、案外レア物です(笑)。

 

たいていの人は、自分に自信がないまま社会に飛び込んで、うろたえたり、落ち込んだりしながらも、出会いに恵まれたり、たまたま機運に乗ったりして、再就職とか独立とか、だんだん自分らしいキャリアルートが見えてきて、結果的に成功にたどり着いて、そのあたりで世間の評価や注目を浴びるに至った――そんなケースのほうがむしろ多かったりするのです。

 

日本経済新聞に「私の履歴書」という連載があるでしょう? あれは個人の生きざまの記録として面白いですね。「でも、みんなすごい人たちと同級生だったり、貴重な体験をしていたりするんだな、やっぱり成功している人は違うな」と思わせる書き方をしているように、ひねくれ者の私には映ります(笑)。

 

あの記事を読むときに、「これはこの人の心がけが生んだもの」か「偶然が生んだものか」という視点で見ていってください。一見「頑張ったから、こうなった」という語り方でも、相当の偶然が作用していたりします。人との出会いはそのひとつだし、その結果としての仕事の成功もまさにそうです。そこはあんまり参考になりません。むしろこちらが勉強すべきは心がけの部分です。「その場面でどう考えたか」。サラリと流されているところもありますが、その部分をしっかり読みこむことで、自分自身の登り方につながっていきます。

 

世の中で結果を出した人たちが語る言葉というのは、カッコつけたい心理も働くのか(笑)、どうしても「学生時代にゴールを決めて、わき目も降らず必死にやってきたから今がある!」という感じになっていく傾向があります。どうしても「成功した今の自分」が視点になってしまうので、つい「きれいなストーリー」になってしまいがちなのです。「未来が何も見えない、本当にうまくいくのか保証はない」という、若い時期に見ていた「本当の景色」とは、どうしても変わって来るということです。

 

となると学生時代に大事なのは、世の中で語られるキャリアの組み立て方とか成功事例を、そのまま鵜呑みにすることではない!ということです。世間で見聞きする情報や、今の自分が思い描く「都合のよい未来」は、案外危ういということ。考えるべきは「どんな山の頂上をめざすか」よりむしろ、「山を登っていく上で、どんな方法=心がけが必要か」です。それが今回最大のテーマです。

 

「まず体験してみる」の大切さ

最初にくる心がけは、「まず体験してみる」という発想です。ある意味「自由な、かまえない」心がけが大事になります。
私がそう考えたいきさつをお話しますね。私の場合「本当に登るべき山」つまり本当の生き方が見えたのは、30代後半です。インドに渡ったのは37歳。遅いですね。みなさんはもっと順調に山を登ってください(笑)。

 

私はそれまでシンクタンクで政策を作るなど、いくつかの仕事をやっていましたが、心身ともにゆきづまって、37歳でいったん人生をリセットしました。それなりに社会を渡っていける強みは持っていたかもしれませんが、うまくいきませんでした。

 

私の場合、うまくいかなかった最大の理由は、余計な邪念があったからです。たとえば、自分のプライドを守るとか、社会で勝ち抜きたいとか。その一方で「人間が幸せに生きるには、世の中をどう変えればいいのだろう?」といった極端に理想主義的な部分もあって、自分の中に矛盾があったのです。だから最後は、矛盾を解消する意味もあって、出家しました(笑)。

 

しかしその後の仏教の世界でも、納得は得られませんでした。結局私の場合、どの世界に進んでも、「これでいいのか?」という疑問と葛藤に直面してしまうのです。日本では行き詰まってしまって、最後はインドに渡りました。その後、ミャンマーやタイに留学して、現地の大学でも勉強しました。

 

ここまでは、「知る・体験する」というステップです。みなさんの場合も、これから先、仕事の現場に入って色々なことを体験するはずです。その体験がそのまま「山の登り方を学ぶ」ことなのだと思ってみてください。「自分にとっての山の頂上」が見えるのは、まだ遠い先の話です。そんなに焦る必要はありません。というか、登り方も知らないうちに焦っても、登れるはずはありません。「確実に登れ。そして登り方を磨け」――それくらいに思っておいた方が、先につながるかもしれません。

 

体験した後に、登るべき山が見える

その後インドに渡って私が体験したのは、仏教の現実でした。インドでは800年程前に仏教が滅びています。その後なにが爆発的に増えたかというと、カースト差別です。カーストはヒンドゥー教の思想です。教科書的説明では、カーストは4つ。しかし実際には2300を超えます。さらにカーストの下にサブ(下位)カーストが1ダースほどあるので、最終的には数万に達します。これだけカーストがあるのに、なお1億人以上のインド人がカーストにすら入れない「不可触民」=アウトカーストとして存在します。

 

彼らはかつて、昼間は箒を背中に吊るして歩かされました。「足跡がつくと道が汚れるから」という理由です。そういう差別が半世紀前まで続いていました。インドでは未だに深刻な差別があります。タイやミャンマー、カンボジアなどの東南アジアの仏教国にも、貧困や階級差が残っています。

 

よく観光旅行なんかで日本人が現地に行くと、「いろんなおいしいものが安く食べられるからいい国だ」と言ってみなさん喜んで帰ってきます。しかし、タイでは民主主義がまだ根付いておらず、王族や警察・官僚・軍人などの一部の支配層が社会を牛耳っている現実があります。

 

ミャンマーでは私がいた当時、人々は一日6時間働いて50円くらいしか稼げませんでした。チベットは中国に侵攻されて、実質的には滅亡寸前です。これらの国々では、軍事独裁やカースト差別、それを正当化する輪廻という仏教思想が足かせとなって、人々が今も苦しみつづけています。

 

自分の感性はココ一番で発揮する-

そうした現実の中で私が思ったのは、「なぜ仏教を信じている人々が、こんな差別や貧しさに苦しんでいるのか?」ということです。私は、自分が行き詰まった人生を打開するヒントが、仏教にあるのではないか、と思って海外に渡りました。ところが、現地のほうが問題は深刻だったのです。「仏教とは何か?」が分からなくなりました。

 

ここで本当の葛藤が始まったのです。「これが仏教ですよ」となんの疑いもなく、既成の仏教を説くお坊さんは、いっぱいいます。しかしその仏教を信じても、世の中は決してよくならない。「これはおかしいだろう?」というところで、私自身の感性というか、正義感というか、自分自身の生き方が問われることになりました。「おまえは、どの山を最終的に登りたいんだ?」ということです。

 

そこで、今まで体験したことをベースにして、そこで初めて「自分なりの視点」を持ちこんで、全部整理していきました。アジアの国々に伝わる仏教の中から「人間の幸福に確実に役立つであろう方法」の部分、つまり仏教の本質を抽出していきました。「妄想ではないこと」「有益であること」「合理的であること」「実践できること」など、原始仏典と呼ばれる最古の記録の中から、ブッダ本来のメッセージだと確信できる内容を抽出していきました。その結晶が『反応しない練習』です。

 

反応しない練習
出典: 反応しない練習/アマゾンドットコム

 

私は現在、本の執筆や雑誌・web記事の連載などをさせていただいています。小笠原さんが見つけてくださったのは、経済情報配信サイトのNewsPicksですね。私の専門は仏教ですが、宗教としてではなく、メンタルに関するスキルという形で、ビジネスの一線で働く人たちのために文章を書いています。ほかには講演や企業研修、仏教講座、カウンセリング、人々のニーズに応える新しいスタイルの法事などをやっています。

 

インドでは、200人の子供が通う幼稚園・小学校・中学校を運営しています。現地の子供たちは、アウトカースト=不可触民と呼ばれる、インドのカーストの最底辺に属する家庭の出身です。「インドを変えていくには教育から」ということで、現地の仲間たちと2009年にスタートしました。JICAのプロジェクトに参加して、日本企業の現地進出のアドバイザーを務めることもあります。

 

これらは、私にとっての山の頂上に当たります。さんざん迷いましたが、自分の生き方に心から納得できる場所に、今はいます。ひとさまのお役に立てる。新しい価値を創造できる。今の時代、この社会において、私なりに貢献できる働きはコレである、と心底思えます。その意味で、ようやく「自分がめざしていた山の頂上」にたどり着けた思いはあります。

 

教養とは

 

有料会員サイトNewsPicksの講演にて――「教養と体験が、頂上をきわめる方法になる」

もちろん、個人にとっての山の頂上が、そのまま他の人にとってもめざす山になるわけではありません。めざすべき山は、人それぞれに違います。その意味で、誰の体験談も、そのままで他の人にも役立つものにはなりません。大事なのは、ひとつの体験談から、誰もが使える「山の登り方」を抽出することです。

 

その点でいえるのは、人生には、①まずは体験する・体得するというステージがあって、その上で、②自分なりの目的意識や感性を用いて、自分独自の活動に集約していくステージがあるということです。

 

実際に山を登れば、山の登り方が見えてきます。身の回りの現実や、社会が求めているニーズも「自分の物事として」捉えられるようになります。そして「コレならば社会の役に立てる!」という部分がクリアに見えたときに、最終的に「自分がめざす山の頂上」が見えてくるのです。そこからが本当の勝負、本物の人生です。

 

あえて結論づけないという勇気を持て

この先、皆さんがどんな仕事を選ぶにしても、まずは「現実を見る・体験する」ところからスタートするはずです。「こうしたい」「こうなりたい」という思いがどれほどあろうとなかろうと、この先は未知の領域です。「まず体験する」という要素が必ず先にきます。だから問題は、自分らしさではなく、「まずは体験してみる。でないと最終ゴールは見えてこない」という発想なのです。

 

そのためには、ある意味、謙虚さが必要かもしれません。謙虚さというのは、自分の思いにこだわらない「本当の前向きさ」でもあります。もし「こうありたい、こうあるべきだ」という思いが先走って、現実を体験するという最初のステップに立てないとしたら、これは非常にもったいないことです。

 

「自分らしい」「自分が納得する」「自分が望む選択」というのは、最終的にはたどり着きたいゴールかもしれません。しかし、もしかしたら本当のゴールが見える前に、「思い込みのゴール」を勝手に見て、決めつけようとしているかもしれないのです。

 

最初の段階で自分が出す答えが正しいものなら、世の中の人のほとんどが順調にいくはずです。ですが、現実はそうはなっていません。実際に社会に出て、40代、50代のベテランになっても、悩んでいる人はたくさんいます。外からは一流のエリートと言われるキャリアの人にも、自殺する人はいます。世の中的に「これが最先端の成功モデル」と言われている仕事に就けたとしても、心の納得にたどり着けるわけではありません。

 

他人が語る山の頂上は当てにならないし、かといって今の自分が思い描く山の頂上も、やっぱり当てにならないのです。
大切なのは、「今見えている山をまずはしっかり登って、『山の登り方』を身に着ける」ことです。そのうち、自分がめざしたいと思える山の頂上が見えてきます。そのときに初めて、全力を尽くして登り切ればよいのです。

 

もちろん世の中には、生き方上手の人・自分がよく見えている人がいます。スポーツの世界なら、3歳から初めて「その道数十年」という人がたくさんいます。彼らは好きが情熱になっています。彼らの生き方が美しいのは、「迷いがない」ことかもしれません。みんながみんな、そんな一直線の生き方ができればよいのですが、多くの人は、「好きかどうかわからない」「向いているかどうかわからない」「そもそも経験していない」状況にあったりします。そうした人たちは、別の戦略を立てる必要があります。

 

そうした人は山の頂上にこだわるのではなく、「まずは体験して、山の登り方をマスターしよう」という発想を持つことです。優先順位からいえば絶対に、山の頂上よりも「登り方をマスターする」ほうが先に来ます。それがないと登れませんから。

 

となれば、今持つべきモチベーションとしては、「とにかく登ってみる。登ることそのものに楽しさ・生きがいを感じる」ということに落ち着きます。都合のよい夢をあえて先走らせずに、自分が扉を叩いて、迎え入れてくれるところがあれば、その山を登ることから始めてみる。まずはひとつの山から頑張ってみるのです。

 

「本当に登るべき山」は、その先に見えてきます。その山は「理想の職業」かもしれないし、「新しい心の持ち方・生き方」かもしれない。「何が人生で大事なことか」が見えてくるのも、「自分だけの山の頂上に近づいていく」ことです。
ただそれが見えるのは、今じゃなくていい。今の時点ですべて答えが出せるはずがないのです。

 

人生という山はこう登る

 

ピラミッド

 

ここまでの話を図式化すると、こんな形になります。①まずは体験する。②そのなかで人生の方向性、いわば山の頂上が見えてくる。③自身が培った山の登り方――感性・スキル・体験――を駆使して、自分が納得いく頂上をめざす――。

 

これから就職しようという人は、①のステージにあります。これって、すごく貴重な時代です。未来という可能性がある。世の中に期待してもらえて、給料ももらえる。登りだせば、確実に体験を積める。そのひとつひとつが「将来の自分への資源」になります。

 

先が見えない状況ではいろいろ考えてしまうでしょうが、すべて妄想です(笑)。「自分らしさ」も「理想の仕事」も、もしかしたら妄想。その妄想を、人生を選ぶ最初に「絶対の基準」に置いてしまわないことです。

 

そんなことをしなくても、道はちゃんと開けてきます。歩けば、次の道は見えてくる――これはよく語られる言葉かもしれないけれど、真実です。ぜひ妄想という荷物を降ろして、本当の前向きさ――つまり、先を考えすぎずに、目の前の体験を楽しむというメンタルで、進んでみてください。妄想するより、目の前の一歩を確実に、です。これが最強の登り方です。

 

さずかった縁の先に、自分らしい、自分が納得のいく生き方が待っているはずです。そんな人生を楽しんでいる人は、世の中におおぜいいます。またお会いいたしましょう!

正しい山の登り方-悩める学生へ-はこちら

 

―取材協力―

◎講演者:草薙 龍瞬 氏
僧侶。興道の里代表。中学中退後、16歳で家出、上京。大検(高認)を経て東大法学部卒業。政策シンクタンク勤務などを経て、三〇代半ばで得度出家。ミャンマー国立仏教大学、タイの僧院に留学。宗派に属さない「独立派」僧侶として、仏教を「人生をより快適に生きるための心の使い方」として紹介。お経の現代語訳や法話を採り入れた新スタイルの法事を行うなど、「人の幸福に役立つ合理的なブッダの教え」を展開。著書に『これも修行のうち。』『反応しない練習』(KADOKAWA)、『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』海竜社等がある。

 

◎講演イベント:iroots shibuya
iroots shibuyaは、irootsが主催する学生と社会人の交流会。それぞれが自分のルーツを語りあうことで、未来をより良くするためのきっかけにして欲しい。という想いで毎週火曜日@渋谷で開催されている。ゲスト講演30分+懇親会60分の2部構成にて実施中。

 

―この記事を書いた人―

小林 良輔
iroots インターン
早稲田大学商学部在学中。日系企業・タイ企業のビジネスマッチングサイト、子育てメディアのインターンを経てiroots編集部へ。irootsでは主に企画、マーケティング、記事作成を担当。趣味は散歩。