若手ベンチャーキャピタリスト人生を語る

登壇者

 

学生起業した会社は、今では売上12億円の規模に

―――以下、劉 宇陽 氏

あんまり話上手くないんですけど、質問どんどんしてくださいね。今日話すことの中には嘘もあるので。(会場笑)嘘っていうのは、「僕は正しい」と思っていることだけど、それが正しいかどうかは分からないという意味ですよ(笑)なので、僕の話を聞いた上で、みなさんに判断してほしいな、と思います。 

僕は、19歳のときに日本に留学に来て、最初は千葉大の薬学部に入りました。入学はしたものの、ほとんど勉強をしてなくて、ずっと会社の経営をしてました(笑) 

 

スライドで説明する登壇者

 

日本に留学に来る時に、どんな大学に入学するのが良いか、受検勉強はどのようにすればよいのかといった情報が全然なかったんですよね。

で、留学生って結構簡単に間違った情報に騙される、というのも知って。その時、知り合いだった東大の大学院生に、「お金払うから、日本の社会のこともっと教えて」と頼んで、色々なことを教えて貰いながら、大学選びや受検の準備をしてたんですね。

 

それで、無事に大学に入学できたんですけど、こういうサービスってなかなか無いから、外国人留学生向けに展開したら役に立つんじゃないかと考えたのが、会社を作ったきっかけです。

会社の事業内容としては、シンプルにいうと河合塾の外国人留学生版。今は、そいういうサービスも増えてきていて、「爆留学」って単語を調べると、外国人留学生が、日本の大学を受検するために1000人くらいの規模の教室で勉強している様子とかも出てくるんですけど。僕が起業した当時はそういうサービス全くなかったんですよね。

 

波が来る前に、「このマーケット面白いし、これから流行りそう」ということを感知して立ち上げることができたお陰で、結構ハマって。立ち上げたのは大学1年生の時でしたが、大学3年生のときには、売上1億くらいに拡大していました。実は、今もこの会社は続いていて、東京や大阪、上海にもオフィスがあるし、売上12~13億くらいの規模になっています。

で、大学4年生になったくらいの時、「自分ってスゴイ」ってちょっと調子にのってて(笑)これからの時代はIT分野を経験しておかなきゃだめだ!ということで、自分が持っていた会社の株を売却して、IT領域で新しい会社の立上げにチャレンジすることにしました。

 

二度目の起業は「裸の王様」の自分に気づかず大失敗

千葉大を卒業した後は、京大の院に進学して。大学院でも基本的に寝てましたね(笑)

 

大学時代の登壇者

 

で、大学の研究の傍ら、SNSのサービスをやろうと思って、結構な金額を投資して始めました。自分の中でバブルだったんですね(笑)

どんなサービスをやろうとしていたかというと、留学生のライフポイントに焦点を当てて、情報提供をするようなオンラインサービスです。例えば、「どういう大学に入ればよいのか」「どのように受験勉強したらいいか」という情報って、留学生がキャッチアップしにくいんですよね。

 

塾でやると、知識を教える対価としてお金を貰うわけですけど、それだと労働収益型にどうしてもなってしまうし、大きな利益にはつなげにくい。だからオンラインにナレッジを公開して、そのメディアを育てることで広告収入等を確保していく計画でした。で、見事に潰れたんですけど。(会場笑)理由は…組織作りに失敗しちゃったんですよね。

自分の想いだけが突っ走っちゃって、周りと目線が合わせられなかった。一緒にやっていたエンジニアの人が、プライベートで女性に騙されてお金を取られちゃって、「リュウさん、僕学費が払えなくなっちゃうのでバイトしないと行けない。時間ないです」と離れていった、なんていう事件もありました(笑)

 

その後は、フィンランドに留学したり、博報堂でインターンをしたりしてました。僕は薬学部で勉強してたんですけど、日本って80歳とか90歳まで長生きする人が多いわりに、鬱病とか多いじゃないですか。だから、薬を研究するより、悩んでいる人の心を救う仕事をしたほうが良いんじゃないか。みたいなことを思ってたんですね。

 

で、広告ってコンテンツを通じて、人に温もりだったり愛情だったり伝えられるかなと興味をもって。

あとは、正直ミーハーだった部分もあって、モデルの方とかとも合コンできるかな、なんて思惑があったのも事実です(笑)。インターンで博報堂入社しましたので、就活らしい就活って特にしてません。

 

博報堂ではずっと孤独だった

博報堂には2年くらい勤務しました。新聞局というとことに配属されて、新聞に広告を出稿していく仕事を担当してましたね。

何故か周りは体育会系ばっかりで。ラグビー部、キックボクシング、インターンハイで短距離の日本記録保持者、というチームメンバーでした。仕事もハードにやりましたが、先輩の結婚式で余興のダンスを踊るために、3日間会社に泊まったり(笑)なかなかおもしろかったですね。社会人としての基礎体力が身につけられた2年間だったと思います。

 

ただ、僕は博報堂で働いていてずっと孤独でした。学生時代に起業して会社経営を経験していたので、どんな仕事をするにも、経営者の思考回路で考えちゃうんですよね。

簡単にいうと、「もっとこうした方が利益がでるのに」「コストが削減できるのに」「この仕組は本当に必要?」そんなことを考えるんですけど、博報堂ほど大きな会社だと、それが空回りしてしまう。

 

大きな組織を成り立たせるために、ルールや方法がきまっていて、どちらかというとクリエイティブというよりは機械的、と当時の僕は感じてしまった。大きな組織は外に対してのエネルギーより、内部統制を取るために内に向いているエネルギーの方が大きいことは自然なことなんですけどね。

 

陽気に話す登壇者

 

それに加えて、周りの上司や先輩達を見ていて、なりたい大人がいなかったのも悩みの1つでした。

自分が会社を経営をすることで、「従業員にお金を払う」ということのリスクや責任が、いかに身を削るものかや、事業を失敗したときの虚しさやリスクを体感していたんですけど、その感覚を共有できる50代、40代の社員の人は、僕の周りにはいなかった。

 

結局、「どのポジションにいるか」によって考える範囲が決まるんですよね。

いくら「経営者の視点を持とう」といっても、想像や本で学ぶだけだと、実際の泥臭いところは分からない。でも、能力がなくても20代の内に経営のポジションで考え続けたら、自ずと能力がつく。博報堂や、当時の上司立ちが悪いというわけでは全くなくて、僕自身が20代に起業して小さな成功体験をした。この原体験で築いた思考方法を変えることがきなかったのです。

20代~30代って一番感受性の高い時期だから、その時期にもっとそういう経験を積みたいと思って、入社後2年で退社することにしました。

 

月収はゼロ。多額の借金を抱えて、社会の「底」を知る

博報堂退社後は、大学時代の友人に誘われて、3Dプリンタの会社を立上げました。小さなオフィスを借りて。

3Dプリンタってスゴイんですよ。脳の模型を作って手術する前のシュミレーションが出来るようにしたり、京都の新幹線博物館のプラモデルって実は3Dプリンタで作っているんですよね。

まだまだ普及していないですし、新しいものを伝導していく仕事だったので、どんな大きな会社の社長とも対等に話せるし、日本のモノヅクリの伝統を支えている企業群と最終的に取引できたのはとても良かったですね。

 

ただ、簡単に上手くいったわけでもなくて。運良く取り扱っている3Dプリンタを大手の取引先に置いてもらえることになったんですけど、「来月、多めに発注するので入荷しておいて」といわれたので、中国にあるメーカーから入荷したんですね。

で、蓋を空けてみたら、取引先からの発注が10分の1くらいに変わってて(笑)これは、3Dプリンタがオフィスの倉庫に入り切らず路上にも溢れてしまうくらいでした。(会場どよめき)

 

当時、会社も設立したばかりで経営に余裕があるわけではなかったのにも関わらず、借金を背負うことになって。もはや、ヤバイを通り越して、これは凄いな、という精神状態でしたね(笑)

土日に学生時代に起業した、留学生向けの塾で講師をしたり、アルバイトして生活してましたね。もう、いつ潰れてもおかしくないという状態だったんですけど、なんとかならないかって踏ん張って、最終的には精神の戦いでした。

ただ、粘れば良いことがあるんですね。とある企業の社長がお金をしてくれて。倉庫に溢れていた在庫も、1年かかってなんとか売り切りました。

 

収入ゼロでしばらく生活していて社会の底をみる経験もしましたが、今振り返ってみても、やってみて凄く良かったですね。3Dプリンターの会社もうまく軌道に乗せて、自分がいる間に売上を5倍にしましたね。

だいたい大きな企業の場合、3年以上いれば仕事にも生活水準に慣れてしまって辞められなくなっちゃうと思うんです。だから3年以上は博報堂にいないと決めてました。実際に飛び出してみて、資本主義の仕組みや、お金ってなんだ?というのを常に考えるきっかけにもなりました。

世の中は綺麗事ばっかりではないというのは、身をもって感じました。流行りの講座を受講したり、自己啓発の本を読むより、リアルな世界に触れることのほうがよっぽどためになりますよ。自分自身も社会の底に触れて人間の本性や、資本主義の在り方への発見が大きかったですね。

 

プロ投資家に囲まれて、自分の力を試したい

偶々のご縁で今は日本ベンチャーキャピタルというところで働いています。

去年の今頃は自分がこの会社の名前すら知らないですけど、日本のVC業界って、まだまたこれからだと思ってて、起業する人に対して資金やノウハウを投資して成長さや上場をサポートする仕事にも関わらず、金融出身者が多くて、起業家の人がほとんどいない。まだまだ発展する業界だと思っています。

 

新卒でベンチャーキャピタルを目指す、という学生さんも増えてると聞くけど、あまりおすすめはしないですね。

自分でビジネスをやったことがないと、建前と本音がわからないから、その中で学んで成果をだしていく、というのはなかなか難しい。投資家と人脈を作って、あとから自分で起業したい、という目的ならいいと思いますけど。

 

登壇者

 

世の中には面白い会社が沢山あって。色々な企業に出会えるのは面白いですし、VCの仕事は人の人生にも寄り添いながら、投資先を決めていくアーティスティックな魅力的な仕事だと思います。

僕は、今会社の中で一番若くて。VCって、会社に投資をしてもすぐに上場するっていうことは無いので、5年~10年スパンで見ないと、仕事の本質ってわからないんですよね。

 

幸いなことに、会社の中には、自分より凄い投資ができる人たちが沢山いて、自分の能力がどれくらい通用するかっていうのを試すのが楽しみですね。結果がすべて自分に返ってくるのは最高に気持ち良いです。

 

大切なのは「一次情報を生み出し続ける」こと

学生から社会人になる時の一番の変化は、消費者から生産者へのポジションの変化だと思います。学費を払ってサービスを受ける立場から、自分たちがサービスを創りだす側に変わる。だからこそ、投資感覚を身につけてほしいな、と思います。

それは、株を買えばいい、とかそういうことではなくて、生活のあらゆるポイントでの消費を投資に置き換えること。

例えば、学費を払うというのは「消費」でもあるけど、「投資」という考え方に変えれば、その対価として何を生み出そう?という発想になる。仕事をするときにも、投資した時間を通じてどんな喜びを得るかという視点で仕事をする。その視点の持ち方が、社会人の在り方として単なる労働者になるか、投資家であるかの圧倒的な違いだと思います。

 

また、世の中には二次情報が溢れていますが、それを信じ過ぎないこと。

人が話したことがニュースになり、そのニュースがさらにニュースになる。その繰り返しで、話している内容がどんどん変化していきます。コンサル業界の人は、自分が担当することになった業界について学ぶために、徹底的にその業界の人に直接アポをもらってインタビューするんですが、そういう動きが大切ですね。

足を使って出来るだけ一次情報を取りに行くことが大切だと思います。そして、できれば一次情報を創りだす側にも回って欲しい。この時間でも、外に出せない裏の話を沢山しましたが(笑)体験しなければ分からない、一次情報と二次情報のギャップというものを経験した上で、自分なりの意思決定をしていってほしいな、と思います。

 

編集後記

エネルギッシュで気さくな語り口で、このレポートでは書ききれない裏話を沢山してくださったリュウさん。歯に衣着せず厳しい言葉もありましたが、どれも納得感がありポジティブな言葉として心に入って来ました。

「僕にとっての正解を話すから、どう受け取るかは自分で決めてね」という何気ない冒頭の一言に、「最後に意思決定をするのは自分自身」という、学ぶべきリュウさんのビジネスパーソンとしての在り方を垣間見た気がします。簡単そうに見えるけれど、実は簡単ではない。過去の意思決定の積み重ねと、それによって生み出された経験、思考の深さ。それが自分自身の骨太なキャリアと、人間性を磨いていくのだと思います。 

irootsライター shima

 

―取材協力―

◎講演者:劉 宇陽 氏
京都大学大学院を卒業後、博報堂に新卒入社、2年で退社。3Dプリンター関連スタートアップを知人と共同で立ち上げる。現在は日本ベンチャーキャピタル(株)にて大学発技術の商用化を軸に、幅広い投資を検討。グローバル視点での経営支援を行い、バリューアップに寄与する。学生時代は留学生進学塾を起業し、3年で年商5億前後へと成長、売却する。グローバルSNSサービスも立ち上げるが失敗。大学時代に2度起業し、成功と失敗双方を経験する。上海出身

 

◎講演イベント:iroots shibuya
iroots shibuyaは、irootsが主催する学生と社会人の交流会。それぞれが自分のルーツを語りあうことで、未来をより良くするためのきっかけにして欲しい。という想いで毎週火曜日@渋谷で開催されている。ゲスト講演30分+懇親会60分の2部構成にて実施中。

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