小さな違和感は必ず当たる。だからこそ自然体でいてほしい。サイバーエージェント常務執行役員CHO曽山哲人氏の5つのルーツ “ABCPC”

上智大学を卒業後、伊勢丹を経て、1999年に株式会社サイバーエージェント(以下、CA)に入社。その後、CAが日本を代表するメディア企業になるに至ったがこれまでの成長を牽引した曽山さんの実績は周知の事実である。今回は意外に知られていない曽山さんの幼少期から学生時代に至る根っこ “roots” にフォーカスし、浪人時代からの旧知であるirootsの小笠原が曽山さんのルーツを探求した。

 

てっちゃんはできるよ “Achievement”

―――どんな幼少期でした?

目立ちたがりやでしたね。幼稚園でもおしゃべりばかりでよく注意されていました。ただ、両親は厳しかったです。簡単に言うとしつけがすごく厳しかったです。実家が長野県の松本市なのですが、松本のおじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさんに会いに行く時も、玄関の軒先での挨拶がまるで土下座をするように深々と頭を下げるんですよね。父親、母親の土下座のような丁寧に挨拶を小さな時から見てきたので、礼儀の正しさをすり込まれました。あとは嘘をついたら、めちゃくちゃ怒られました。あの頃はすぐバレる嘘をついていました。宿題をやってないのにやったとかね。笑

―――厳しく育てられていたのですね。

そうですね。ただ一方で褒めてくれることも多かったですね。父親と母親には「てっちゃんはできる、できるよ」と。自分は小さい頃から「できる」という言葉をたくさん聞いていました。ものすごくたくさん聞いていたので、「できる」という3文字が自分の根っこになっています。

 

天才より努力 “Best effort”

僕の人生の中でたくさん登場してくることになる言葉があるのですが、それは「努力」です。努力という言葉はすごく好きです。両親に「できる」とたくさん言ってもらったからこそ、やりたいことに出会ったら、きっとできるはずだと思いっきり努力します。

才能のある人は世の中にたくさんいるけど、やりたいことを努力で突きつめれば必ずいいところまでいける。才能では勝てなくても努力すれば、必ずいいところまではいけると信じています。天才の集団に入らなくても、天才になれなくても、努力すればできると思えるようになりました。

―――幼少期の頃のご両親との接点が現在の曽山さんのルーツとなっているのですね。小学生の曽山さんについても教えてください。

小学校2年生までは足が早かったんです。特に長距離が。マラソンではトップ3に入れるくらいでした。自分でも「ぼく、速いな」と思っていました。ですが、小学校3年では小児喘息にかかってしまう転機がありました。それからは運動がろくにできなくなってしまい、一気に苦手になってしまいました。マラソン以外にも剣道などもやっていたのですがやめてしまいました。小児喘息は本当に苦しかったので、一つの挫折でしたね。運動はもともと得意だったので、それが急にできなくなってしまったことの落差は、強烈な挫折経験でした。その時の同級生はスポーツも出来て本当に格好良かったし、とっても悔しかったです。なんで自分はこんなに運動ができないのだろうと。

ただ、実はその時の記憶に残っているのは親への感謝でした。小児喘息って空気が冷えると発作が出やすくて、特に夜中は出やすかったですね。そんな寒い夜中に父親は僕をおんぶして、徒歩10分くらいの病院に何回も何回も連れて行ってくれたことの記憶は鮮明に残っています。

 

世に出すことは「超おもしろい!」 “Creative”

その後に目覚めたことは漫画です。ドラゴンボールやドラえもんに憧れましたね。漫画家になりたいと思って、親にお願いして、漫画を描くペンやスケッチブックや模写をするためのトレース紙なども買ってもらいました。その頃から自分で漫画を書いたりすることが好きになりました。漫画イラストクラブにも入って、コロコロコミックなどの投稿コーナーに何度か投書をしたこともあります。1回だけ投書が採用されて、投稿コーナーに自分の絵が載っていたことがあって、その題材は「ドラえもんの道具」だったのですが、すごく嬉しかった記憶があります。自分の中でイメージして、書いたアウトプットが世に出ることが「超おもしろい!」と、そんな感覚が芽生えました。

―――最近では曽山さんyoutube も始められましたよね。拝見しておりますが、わかりやすく頭にスッと入ってきますね。一つの作品になっていませんか?ビジュアル的にも相手に印象に残りやすいアプローチされていますね。

ソヤマン – サイバーエージェント人事責任者が教えるマネジメントノウハウ(Youtube

見てくださっているのですね!!ありがとうございます。とても嬉しいです。世の中の人たちの気を惹きたいのかもしれません。注目して欲しいとか、根本的に僕は目立ちたがりやなんだと思います。笑

―――僕は見事に惹かれています。笑 中学時代はいかがでした?

中学では漫画はやめました。一旦リセットしました。中学の頃は悪ぶっている人がすごくモテる時代だったのです。ヤンキーとかね。竹刀ぶん回している人もいました。笑 そんな環境だったので、小学生時代と比べるとあまり目立てなかったのです。不良の人だけではなく、スポーツがすごくできる人もいたし。目立ちたいなとか、モテたいなとかそんな気分の中でもんもんとしながら生活していました。

転機となったのは中学校3年生の時ですね。同級生にストリートダンスを教えてもらったことです。アメリカでボビー・ブラウンというダンサーがいて、当時エステのCMに出ていたのですけど、それがカッコよすぎて、僕にはぶっ刺さりました。笑「ストリートダンス、超おもしろい&超カッコいい!」と、それから地元の中学の仲間とダンスを始めました。

 

「情熱」のスイッチ “Passion”

―――高校ではダンス三昧ですか?

いえ、実は1回ここでもリセットしているのです。当時はバレーボールがすごく人気だったのです。現在、全日本男子で監督をされている中垣内選手が物凄い人気でした。僕はとにかく目立ちたがり屋だったので(人気があるなら)男子バレーをやってみようと思いました。身長も当時一気に伸びたので、僕はバレーボールに向いているだろうと思って始めたのですが、すぐに挫折して辞めました。膝は痛いし、ジャンプも高く飛べないし。

その頃、久しぶりに中学でともにダンスをやっていた仲間に会って、ある話を聞いたのです。「俺、恵比寿のダンススクールに通っているんだ」と。実際に見学にいくと、先生がものすごくうまく格好良くて、改めてダンスに夢中になりました。それからそのスクールに毎週のように通うようになり、ダンスを再開しました。「やっぱり情熱を持てるのはダンスだ!」と、毎日練習を徹底的にやりましたけど、とにかく楽しかったです。結果としては高校2年の時にダンス甲子園という番組で全国3位をとりました。11人のチームのうち、僕が間違いなく一番下手でしたけどね。笑

―――周りのダンサーがうますぎたとのことですが、曽山さんは苦しくなかったです?

もちろん焦りはありましたが。ただ、周りがとにかくうまかったので、この人たちの中で一緒に踊れていること自体も超ラッキーだと思っていました。踊りもうまくなりたかったですし、格好よくありたかったですし、本音で言えばモテたかったですしね。この仲間と一緒に思いっきり努力したら面白いことがあるかもしれないと思って、努力を続けました。この経験のおかげで「努力すればいいところまでいける」と自信を持てるようになりました。たしか中学か高校の卒業文集では「情熱」と言うキーワードを書いたのですが、この言葉が本当に好きです。情熱を持って取り組めることに出会ったらとことんやると決めていました。かっこいいからとか、モテそうだとかのモチベーションもあるのですが、最後は自分に「情熱」のスイッチが入るかどうかを大切にしています。反対に情熱のスイッチが入らない時はすぐに諦めます。正直、諦めは早いほうだと思います。ダメだと思ったらすぐに切り替えます。

―――大学受験はどうでしたか?

現役の時は全部落ちました。受験した大学の中で最後の合格発表を見に行った時に、自分の番号がなかった。その帰りに映画「マルコムX」を観つつ、悔しくて泣いたことが記憶に残っています。もう1年やり切ろうと決意したのもこの時です。※1992年アメリカで製作上映。黒人解放運動のリーダー、マルコムXの生涯を描いた伝記的作品。)

―――予備校でご一緒させていただきましたね。仲間に囲まれつつも、勉強に集中されている曽山さんが印象的でした。

そうですね。父親は普通のサラリーマン、母親も専業主婦でしたし、そもそも浪人時代は完全に親におんぶに抱っこだったので頑張らなければいけないと思っていました。また、当時から英語が好きだったので、英語でトップの大学はどこだと言うことで上智大学を目指していました。絶対に行くぞと目標を決めることは大事ですね。

ただ、上智にいくにしても私立だったら絶対に奨学金を取らなければいけないと思っていたので、寝る時間と食事の時間以外は全部勉強しようと決めました。「全ての欲をなくす」という意思決定をしました。そこまでやってダメだったら、あきらめられる。他に何か仕事をして稼げば良いのだし、今は勉強をとにかくやりきろうと決めました。英語に対しての情熱を持てたことが、そうさせたのだと思います。ダンスの時もそうですが、情熱を持てたものはやり切る。周りの良い仲間にも恵まれたので、お互いの受験に関して切磋琢磨の協力はしあいましたが、遊びのお誘いに関しては、申し訳なく思いつつすべて断りました。結果として目標にした大学にご縁があったことは「決めたことに対してやり切ればできる」、という一つの自信になりました。

 

情熱という点は繋がる “Connecting”

―――上智大学ではいかがでしたか?

お金は奨学金で賄い、かつ親にも出してもらっているので、授業はまず最初は全部出ると決めました。結果的にやむを得ない事情で2コマは出ることができなかったのですが、他は全部出席しました。

友達も欲しかったので、サークルも考えました。最初はテニスサークルに入ろうと思っていたのですが、その勧誘の時に「ラクロスはかっこいいよね。」とテニスの先輩が言っているのを聞いて、「これはキタ!」とラクロス部に即入部を申し込みました。笑

これは半分ネタとしての理由なのですが、もう一つはラクロス部の勧誘がとってもうれしかったんです。僕が「小児喘息なので、走り回ることが難しいです」と伝えると、ラクロス部の先輩が「君にぴったりのポジションがある。それはゴールキーパーだ。ゴールキーパーは君にもできる」と言われ、カスタマイズの提案をもらえるなんてスゴイと思いましたね。

ストリートダンスにしてもラクロスにしても、まだ新しいですし、日本では経験者が少ない。ポジションが空いていました。日本代表になれる可能性だってある。情熱が出ればストイックになる性分なので、通学には1時間半かかっていたのですが朝練もいつも一番早く行っていましたね。頑張って真面目にやりました。それはすごく楽しかったし。結果ラクロスは大学ではキャプテン、また学生連盟の中で広報委員長をやらせていただきました。

―――挫折はありましたか?

ラクロス部のキャプテンの時ですね。当時大学ラクロスが3部制の中で上智ラクロスは2部であり、そこでも中くらいか、もしくは下の立ち位置だったんですよね。最後の4年で一部昇格するぞと決めていたのですが、全く勝てなかったのです。残念でした。

翌年、社会人となり、伊勢丹に入ってからは上智ラクロス部にコーチ制を導入したのです。3つ上の先輩をヘッドコーチにして、僕がアシスタントコーチになりました。そしたらなんと、1年で1部にすぐに上がったんです。皆で培った実力に加え、コーチという第三者が入ることで、ここまでパフォーマンスが変わるんだということを目の当たりにして、マネジメントの重要性を感じたことは社会に出てからの行動にも大きく影響を与えました。組織づくりの挫折と成功です。

もう一つ、今の原点になっているのはメンタルトレーニングを取り入れたことです。ジム・レイヤーというメンタルトレーニングの神がいるのですが、その方が書かれた「メンタル・タフネス」という本があって、その本を読みラクロスのトレーニングに取り入れたのです。具体的に例を挙げるとイメージトレーニングをたくさんやりなさいと言う教えがあります。どんな敵がいて、どう避けて、点を入れるか、そういったイメトレですね。

―――現在の仕事にもメンタルトレーニングが活きていますか?

はい。正直なところ、仕事でも壁にぶつかってショックを受けることは多いのですが、気持ちを持ち直すことは出来ていると思っています。その理由として、メンタルトレーニングをやっていたことは大きいと思っています。人事になってから、人事制度を作るのですが、制度を成功させるためには、社員が「しらけ」てしまわないかどうか、事前にイメージトレーニングするようにしています。これはまさにメンタルタフネスから学んだことです。

もう一つ、思い出したことがあります。英文学科で卒業論文を書いたのですが、キング牧師の “I have a dream” を題材にしました。なぜこのスピーチが人々の心を打ったのかについての卒論です。英文学科ではシェイクスピアなどの悲劇、喜劇をたくさん読みました。当時はこれを読んで何の役に立つのか、はわかっていなかったのが正直なところです。しかし、今思えば人間の感情の機微を理解することに役に立っていると確信しています。どうやって人は裏切り、苦しむのか。その上でキング牧師のスピーチを分析してわかったことがありました。

こんな一節があります。

one day right there in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers.

黒人の小さな男の子や女の子が白人の小さな男の子や女の子たちと仲良く手を繋いでいる姿。これを読むと頭に思い浮かびますよね。その時の人々の機微や素敵な笑顔が浮かぶ人もいるかもしれません。こういうプレゼンテーションスキルを、私は「ビジュアライゼーション」と読んでいるのですが、情景が目に浮かぶスピーチというのは、聞き手の脳内で映像が生成されているので記憶に定着しやすいのです。何かを伝えるときは、聞き手の脳内で文字だけではなく映像として生成できるようにする。キング牧師のプレゼンは、この点においてとても秀逸だと思いました。これも現在の人事の仕事に活きています。

これらの経験は全て今につながっていると思います。スティーブ・ジョブズの有名なスピーチにもありますが、情熱が芽生えたものをやり切るとそこに「点」が生まれます。最初は関連性のない点と点です。ただし、その点は自分の情熱が凝縮されたホットな点です。何かのタイミングでスッと点と点が熱さで繋がってくるのです。逆に情熱が芽生えなかった点は線として繋がりにくいので、「情熱がわかなくても、この2年頑張ればきっとみえてくる!」などのように出口のあること以外は早めに逃げたほうがいいとも言えます。情熱が向いているところに素直に従ったほうが良いのです。

―――最後に学生のみなさんにお伝えしたいことをお願いします。

ずばり、自然体でいてほしいです。この言葉の裏面としては、違和感は当たっちゃうよ、ということでもあるのです。例えば就活するとして「何となくこの会社あわないなあ」「何となく違うかもなあ」という違和感ってだいたい当たるんです。良い直感は外れちゃうこともあるのですが、違和感って、簡単に言うと自分が嫌いなものだから当たるのです。それを選択しちゃうと、他にも嫌いなことがボロボロ出てくるんですよね。

だからこそ自分が自然体でやりたいと思えること、情熱にしたがって欲しい。良い直感を大事にしましょう。良い直感は外れることもありますが、それにたくさんしたがっておけば、当たる確率も必然的に高くなります。自分の選択を、楽しんでほしいと思います。

 

ーーー編集後記ーーー

30年前の浪人時代にお会いした曽山さんの視線はいつも一途。全力、そして誠実。その視線がどんな夢や情景を追っていたのかを今回のインタビューで初めて知ることができた。実は曽山さんとお会いしたのもはるか昔、たしか渋谷のマークシティビルで忙しそうに営業に出かけるタイミングでの鉢合わせ。それから18年も経過している。それにも関わらず、突然のインタビューのお願いに丁寧に答えてくださった、曽山さんの情熱的でピュアなルーツをここで伝えられるご縁に感謝したい。

取材協力:株式会社サイバーエージェント 曽山 哲人(そやま てつひと)氏

上智大学文学部卒業後、伊勢丹を経て1999年、サイバーエージェントに入社。 インターネット広告事業本部統括を経て、2005年に同社人事本部長就任。 現在は常務執行役員CHOとして採用・育成・活性化・適材適所・企業文化など人事全般を統括。「クリエイティブ人事」「強みを活かす」などの著作がある。

インタビュアー: iroots evangelist 小笠原 寛(おがさわら ひろし)

ベトナム戦争終結の年に生まれた浜っ子。仏教系中高からキリスト教系大学(上智大学)へ。大学時代から人材業界でアルバイト。そのまま人事・人材業界へ。採用責任者、紹介、グローバル・障がい者採用からダイレクトリクルーティングまで経験。2012年からずっとiroots。心の根っこを大切に。

 

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