2017年ヤフーの執行役員兼CMO(チーフ・モバイル・オフィサー)からリンクトイン日本法人の代表(カントリーマネージャー)への転身をした村上臣さん。2020年に新入社員として Team irootsにジョインした粟屋が村上さんに出会い、社会人一年目のフレッシュな視点で「村上さんの価値観の源泉」について愚直にせまります。

 

粟屋:いきなりですが、小さい頃、村上さんはどんな男の子だったんですか?

村上: 幼稚園くらいからダンボール工作をひたすらしていました。あと、マイナスドライバーを持ってひたすら家の中のものをバラしていましたね。ものの中身が知りたかったのです。目覚まし時計なんかもばらしました。子供だったので元には戻せなかったんですけどね。笑

粟屋:えーそうなんですか。笑

村上: そう。あと家のすぐそばに町で一番大きな図書館があって、図鑑コーナーを端から端まで全部読むことにハマっていました。例えば「動物の図鑑」を読んで、動物の生態の仕組みや、体の仕組みを読みながら、「おおすげえなあ」と。たくさん置いてある図鑑を一冊読んでは、次の図鑑を読みと、図書館の本棚を何周もしていましたね。

小3の時も本屋で(本を)読んでいた時に、「ラジオの製作」という雑誌があって、読んでみたら「自分でラジオを作れます」と。これはやばいと思って読みふけっていたら、雑誌の裏に秋葉原のパーツショップの広告があったのですね。秋葉原というすごい場所はここで知りました。

父親に「俺を秋葉原に連れていってほしい」とお願いして、生まれてはじめて実家から電車で40分の秋葉原に連れていってもらいました。私にとってはディズニーランド、まさに宝の山でした。そこでラジオの制作キットを買ってもらったのがきっかけでラジオ制作からのアマチュア無線にはまりました。

粟屋:物づくりが本当に大好きだったのですね。

村上: そうですね。当時の秋葉原では私のような子供はあまり道を歩いてなくて珍しかったのでしょうね。お店のおじさんたちが声をかけてきたんですよ。話を聞くとみんなアマチュア無線をやっていて、その頃携帯電話もなかったのでどういうものなのかよくわからず「おっちゃん何してるの?」と聞くと「これタダで電話できるんだよ。」と。

そのおっちゃん達は私のことを可愛がってくれて、アマチュア無線の免許の取り方なども教えてくれました。参考書も貸してくれて。それで一発合格をしてアマチュア無線の免許をとったわけです。

無線は世界を広げてくれました。ネットもなかった時代です。それと秋葉原のおじちゃんの集団に小学生が一人アマチュア無線の免許とって乗り込んでいくわけですよ。そうすると可愛がられる訳ですね。「おお、あいつが来たぞ!」みたいにね。いろんなことを教わりました。

それからも物づくりに対する興味はさらに強くなり、ゲームを自分で作れることを知ったり、小学校を卒業するくらいには、いよいよパソコンの道に入ったというところですね。

粟屋:「オタク」だったんですか?

村上:今だってオタクですよ!笑 図鑑も大好きですし。物の構造を知りたかったんですね。どうやって作られているのかとか、どうやって動いているのかとか、そんなことには異常に興味があります。

粟屋:すごいです。村上さんはどうしてそんなに子供の頃から好奇心が旺盛だったんですか?

村上:その点は親に感謝です。家中のものをいくらバラしても許してくれましたからね。私が自分で興味を持ったことには邪魔をしないでいてくれました。子供本人からでてきた想いを大事にしようって気持ちを私の親は持っていてくれたんでしょうね。「幼少期の環境」というのがご質問に対する回答になると思います。

粟屋:僕の周りにもそんな子供がいたことを思い出しました。村上さんはなぜ今でもその好奇心を保てているのですか?

村上: そうですね。継続できたのも周りの環境だと思っています。アマチュア無線なんて、周りにいる子供はやってなかったからね。私の場合は秋葉原の大人からいろんなことを聞いて、「そんな世界があるんだ」と世界を広げてくれる人がいたからだと思います。

粟屋:知らないおじさんのことが怖くて逃げなかったんですか?

村上: 知識欲があったんでしょうね。「もっと知りたい」という想い。そこにヒットする情報をくれる人には「これなんですか」と聞きたくなるので、逃げようとは思わなかったですね。学びがあるなら私は誰でも受け入れます。年齢も問いません。例えば今でも若い学生と話すこともありますけど、彼らは私が知らない世界を知っているんですね。ハッカソンしている学生とかにどんなアプリを使っているか聞いてみて、知らないアプリを使っていると「なにこれ、なにこれ!見せて!」ってなります。聞いている私も興味全開で聞きますからね、そういうのを面白がって教えてくれる人もいますよね。

粟屋:聞いてると憧れるばかりで僕も幼少期に戻ったら村上さんのようになりたいです。これまでのお話からも村上さんが何を大切にしてきたかが伝わってきたのですが、ぜひ村上さんなりの哲学があれば教えてください。

村上: 何よりも一次情報を大切にします。当事者が一番多くの情報を持っています。例えば今私がリンクトインの日本代表として事業運営をしていても入ってこない情報があります。やはり現場の人が一番情報を持っていますからね。それを知れば経営者としての意思決定の精度があがりますしね。タイトル(役職)で怖がられるのも避けたいので、前職でもいつも自分の個室は開け放しにしていました。そのうちに私の部屋は”お茶飲み場”になっちゃいましたけどね。笑

 

粟屋:そうなんですね。他にはありませんか?村上さんのようになりたいです。

村上: 何でもやってみようと思って、実際やるということが大事だと思います。例えばですけど周りでも「サーフィンやりたい」って人はいるけど実際やる人は少ないんですよね。私は小さい頃からまずはやってみる、を繰りかえしていました。ゆえに私、たくさんの趣味を経験しましたが、残ってる趣味は決して多くはないです。例えば有酸素運動ってあるじゃないですか。私苦手で大嫌いなんですよ。でもフルマラソンにはトライしたことあるんですよ。周りがマラソン初めてハマってる人が多くなってきたので、ものは試しと自分もやってみました。結局完走できなかったですけどね。飛ばしすぎちゃって。もう絶対やるものかと思ってますけど。笑

粟屋:なぜ、嫌いだと思ったことにも飛び込むのですか?

村上:それまでの経験の中で「やったら何かを学べる」ということを知っているからですね。やってみると自分の中に何かが起きるからです。

粟屋:やることの優先順位はありますか?

村上: それはもうその時の直感で決めています。どっちが楽しいかの直感です。楽しさは自分の意思決定に影響しています。辛いけどできたら楽しいとかね。自分に対する成長インパクトもありますが、そうやって頭で考えるというより直感で決めているところが大きいですね。

「自分の心がゴロンと動く距離」みたいなものを大事にしています。ゴロンとする距離って、感情の揺れ動きの幅なのですが、「おっ」と思うのか、立ち上がっちゃうほど「おおおっ」と思うのかによって、自分の感情の動き方には大小があって、自分の感情の動きが大きい事象からやっていくのが自然だと思っています。

粟屋:逆にこれはやらないと決めていることってありますか?

村上: 非常にシンプルで、人が嫌がることはしないということです。笑

 

粟屋:直感ってどうやって身につけますか?

村上: 直感力を身につけるにはベースとなる知識が大事だと思います。知識をつけるのに一番コスパがいいのは本だと思うんですよね。月並みですけど本を読むというのは大事ではないかな。振り返ると私のベースは図書館で棚の端から端まで読んできたことだと思います。

もう一つは「面白がり力」と呼んでいるのですが、人は未知の物に触れると「えっ」と引いてしまう場合と「おおお!」と面白がる場合があって、未知のものをみた時に「面白そう」と感じることができるのはスキルだと思っていて、それはいつでも身につけられるスキルです。学ぶということは楽しいということを知ること。ゆえに知らないことに前向きであるという姿勢(マインドセット)が大切です。大人になってもマインドセットは鍛えられるし、変えられると思います。

粟屋:就活をしている学生に村上さんのように成功できる秘訣を教えてください。

村上: いま「成功」とおっしゃいましたが、成功って人それぞれなんですよね。「お金をムッチャ稼ぎたい」「サッカーチームができるくらい子供を作りたい」これどちらも成功の定義なのですよね。価値観は多様です。だとすれば自分はどの成功の道を進みたいのかを問いかける必要がある訳です。まだ経験が足りないからわからないという場合もあるでしょうけど、そういう場合は周りの大人のロールモデルを探ってみると良いと思います。この人の働き方いいなあとか、かっこいいなあとか、そう思うところから、自分は何故そう感じたのかを深く掘ってみると良いと思います。「この人フェラーリに乗ってるからかっこいいな!」なのかもしれないですけどね。

掘った先には、コアの部分。まさに自分のRootsがあると思うんですよね。そのRootsを見極めて、自分がどういう人生を歩みたいのかを捉えると良いと思います。それが成功を知るためにまず必要なことだと思います。

ただ、学生と社会人には大きな違いがあります。学生時代は正しい道を先生が教えてくれました。社会に出た瞬間に正しい道は教えてくれなくなります。上司が言ってくれるかもしれないですけど、それが正しいとは限らないですよね。自分の中で「確からしい」というのを定めなければいけないです。自信を持って「俺にとってこれが正解だ」を見つけなければいけないんですよね。自信なんてのは「努力の量」でしかないと思います。自分で調べて行動することが大切です。安易に他者に正解を求めないことが大切です。

粟屋:「安易に他者に正解を求めない」が心に響きました。僕自身もそうだったのですが、就職活動の中で他者に正解を求めたくなる瞬間もあると思います。そう言うことを感じている学生に何かアドバイスはありますか?

村上: まず私はそういう時に正解を答えないようにしています。正解の前には”WHY”という「問い」があり、その問いから正解に向けての道筋には本人も周りも順序立てて丁寧に寄り添うことが大事だと思っています。ただし、学生時代に適切な「問い」を設定すること自体が難しい場合があります。そんな時は「問い」自体も横に置いてしまっても良いと思っています。頭の中でいつまで考えていてもまず行動してみないとわからないことは多いからね。

気になることがあったら、そこに向けて「不安を抱えながらつき進む勇気」が学生時代には一番大事なんだと思います。そのためには自分の努力だけでは足りない、勇気を支えるために必要な仲間づくりをしていく必要があります。

 

※電脳隊時代の写真

村上: リンクトインなどのSNSで仲間を作ること、あとは実際に働く体験を学生時代にしておいて欲しいです。自分も大学時代は勉強だけでなく、インターネットベンチャーとして「電脳隊」を興していましたが、それも四足の草鞋の一足でしかありませんでした。秋葉原のアルバイトに加え、ITコンサル活動、コンサートの警備員やステージの設営などもやっていました。これらの経験は全て活きています。大学内のコミュニティは同質性が高いコミュニティです、これを読んでくれた皆さんにはぜひ勇気を持って違う世界、仲間に触れ合って欲しいと願っています。

 

ーーー編集後記ーーー
今回インタビューをさせていただき、「不安を抱えながらつき進む勇気」を支えていくためにも、仲間づくりを行っていくことが大切なのだと思いました。
そしてその勇気を支える仲間づくりを行っていくためには、やはり“面白がり力”なのではないでしょうか。就職活動中でも、「不安を抱えながらつき進む勇気」を支える仲間を“面白がり力”を発揮しながら見つけていきましょう!

 

取材協力:リンクトイン村上臣(むらかみ しん)氏
青山学院大学理工学部物理学科卒業。在学中に仲間とネットベンチャーの有限会社電脳隊を設立。2000年にその後統合した株式会社ピー・アイ・エムとヤフー株式会社が合併してヤフー株式会社入社。2006年ソフトバンク株式会社による買収に関連して、現ソフトバンクモバイル株式会社に出向。2011年にヤフー株式会社を退職後、2012年から若干36歳でヤフー株式会社の執行役員兼CMOに就任、モバイル事業の企画戦略を担当する。2017年11月にリンクトインの日本代表に就任。複数のスタートアップ企業で戦略・技術顧問を務める。
インタビュアー:エン・ジャパン株式会社 新卒iroots事業部 粟屋輝(あわや ひかる)
2020年上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科卒業後、新卒でエン・ジャパンに入社。現在は、irootsのコンサルティングセールスに従事。在学中は、体育会テニス部に所属しながら、学生団体でキャリア支援の活動を行う。趣味は、エスニック料理巡りと景色の写真を撮ること。。