「敷かれたレールからの脱却」アイセック・ジャパン代表の原点

「敷かれたレールからの脱却」アイセック・ジャパン代表の原点

【牧原 宙哉(まきはら ひろや)】
東京大学法学部4年(休学中)。2018年度アイセック・ジャパン代表。
親に人生のレールを敷かれていた牧原さんが、大学生にして、126の国と地域と繋がり、1600人が所属する団体の代表となるまでに出会ってきた機会や選択の数々、そしてその中で生じた変化に迫ります。

医者から外交官への転換、そしてアイセックとの出会い

──今日はよろしくお願いします!
まず最初に、現在の活動についてお話ししていただけたらと思います。


アイセックは、平和で人々の可能性が最大限発揮された社会の実現を目指し、海外インターンシップの運営を主幹事業とする団体です。
僕はその日本支部の代表をやっています。
活動では、日本の事務局のもとに25の大学に支部があるので、そこのメンバーのマネジメントや、海外の支部とのコミュニケーションなどを先頭に立って行なっています。


──ありがとうございます。早速ですが、牧原さんがアイセックの代表になることになったきっかけがどこにあるのか、教えてください。

一番最初のきっかけは、中学3年生の時。元々僕は人を助ける医者になりたかったんです。でも、当時住んでいた千葉市の姉妹都市だった、ヒューストンに学生を派遣するプロジェクトに参加したことによって心境がガラッと変わりました。
現地の大使館で、英語を使って働いている日本人を初めて見たんです。その時、
「この人たちはなんて格好良いんだ。こういうグローバルに活躍できる人間になりたい。」
と感じ、その時から夢は外交官に変わりました。そして法学部を目指すことになり、東大を目指して勉強し、無事東大に入ることにできました。

 

──そうなんですね。それで大学に入って、どうしてアイセックに入ることになったのですか?

大学入って最初のクラスの半分以上の人が帰国子女だったんです(笑)。カリフォルニアの地元トークを繰り広げる人たちとか、模擬国連の代表とか、東大の首席とかもいて、タフでグローバルなクラスだったんですよ(笑)。学業の成績はよかったけど、偏差値という基準だけで勝ってきた自分は、勉強以外でも何かの特徴を持つ人たちを見たときに、このままだと埋もれるなと思ったんですよね。それと、大学に入るのがゴールになって、何も考えずに過ごしてしまう人にはなりたくないなとも思っていました。そこで、クラスの人たちに負けないように自分もグローバルな活動をしている団体に入ろうと思いました。そして国際系の合同新歓でたまたまアイセックと出会い、入ることになりました。

──そこで入ったアイセックはどうでしたか?

まず最初に新入生の合宿があり、そこで出会った4個上の先輩が強烈でした(笑)。その方は頭もよく、活動で大きな成果を出していて、「この人には勝てないな…」と思ったのと同時に、「この人みたいになりたい」と思いました。
この団体で全力で活動することによって、自分が東大に入って感じていた劣等感を払拭し、この先輩のようになり、そして追い越したい。そう決意させられるような合宿でした。
この出来事が原動力になって、色々な活動に突っ込んで行くことになりました。

「アイセックの代表になる」という大きな選択

──そこから代表になろうと思うまでに何があったのですか?

まず1年生の時に団体の委員長を決める委員会の選挙に出たんです。1年生でも立候補することができて、とりあえず突っ込んで行こうっていう気持ちがあって出たんですが、その選挙で負けてしまい委員長になれませんでした。2年目ではアイセック・ジャパン全体の代表の選挙に出ましたが、この時も落選。それでも3年目はアイセック・ジャパン事務局の副代表として活動することにし、セールスなどの活動をして、それなりに成果も出た満足度の高い一年でした。

──そして選挙にもう一度出ようと?

3年目が終わったタイミングで、代表選挙に立候補するかどうか悩んでいました。もし立候補するとなると、大学を休学することになるので。休学と代表になることを天秤にかけた時、これまでやっていた副代表と、これから立候補する代表は、経験としての差がそこまでないのではないかとも思いました。また、家庭が保守的で、休学したいと言うと「は?」という感じの反応をされるんですよ(笑)。周りには有名な企業に就職が決まっている友人もいたので、あまりいい顔はされませんでしたね。

──でもなぜやることに?

代表を自分がやる理由は何かと考えたんです。一つは、当時アイセックの事務局で活動していて、自分が4年目に代表をやることで、団体に多くのものを還元できるだろうと思っていました。二つ目は、レールの敷かれた人生を生きるのが嫌でアイセックに入ったのに、自分の志が無い中で就職活動をしたら、自分はありたい自分になれずに後悔するなと思ったんです。
周りの考えではなく、自分の意思で責任とリスクを背負って決定するタイミングがどこかで必要だなと思っていたし、もし自分がここでアイセックをやめたら、おそらくそれなりに肯定感も持ちつつも、数年後絶対に後悔するなと思っていました。
アイセックのためにやりたいこともあったけど、最後は自分のために、自分の意思で決めようと思って、選挙に出ることにしました。

誰かのレールに敷かれるのではなく、自分の意思による選択を

──そうだったんですね。まずヒューストンに行って外交官に夢が変わるっていう最初の大きな転機が、すごいなって思うんですけど・・・

確かに謎ですよね(笑)。そもそも自分の憧れとして、ヒーローになりたいというのがあって。医者もそこから始まった夢でした。でも、グローバルに働いていた人はそれを越える格好良さがあったんです。
それでも大学受験の時は医学部か、その他の学部か迷ったんですけど、高校の友達が「親が言うから医学部に行く」と無思考に決定しているのが嫌でした。あと、その時は医者になる道が決まってしまうと思って、それが嫌だったんだと思います。それで、より道が広がる東大の文科一類に行くという選択をしました。

──そうなった背景には、生い立ちや家庭環境が影響しているんですか?

指図されるのが嫌でしたね。家庭環境として、小さい頃から教育に投資してくれていた一方で安定した職業について欲しいという希望も強い環境でした。全部親の言う通りだと自分は幸せになれないだろうとは思っていて、親に従えばいいっていうのが好きではなかったです。自分の意思で自分の人生を決定する生き方をしている人を知った時に、ある種の反発が働いたのかなと思います。


──家庭で押し付けられたものへの反発が働いたということですか?

昔は従順でした。でも中3のヒューストンに行ったタイミングで、自分自身にないものや自分の知らない世界に出会い、親から独立しようとする意思が生まれるようになってきたのかなと思います。
こういう役職をやっているので、起業家のようにぶっ飛んでる人だと思われることもあるんですが、僕は至って普通の人間なんですよ(笑)。ただ、安定したレールの上を普通に走って生きてきたことにコンプレックスもあって、そこから抜け出ることに恐怖も感じています。でもそのコンプレックスが今の自分を突き動かしてくれているのかなと思います。

感動する瞬間を追い求めて「ボーダレス」な繋がりを

──1年間を振り返って、代表をやるという決定はよかったと思いますか?

よかったなと思います。もし代表をやっていなかったら、自分の意思に反して、誰かのレースに沿う形でキャリアの意思決定をしてしまっていたかなと思っています。
 

──それでは、この1年を乗り越えて、今後の展望を教えてもらってもいいですか?

実は3年目までグローバルな活動はしていなくて、国内営業ばかりで日本にこもっていたんです。代表になって日本の代表として海外と関わる機会が増えていく中で、グローバルに、というか「ボーダレスに」というものに対する憧れがまた増えてきました。アイセックで活動していく中で、自国だけでは得られない価値を人や企業に提供するということに魅力を感じています。だから今後も、ボーダレスに人と人、資源と資源などを結びつけていく活動ができればいいな、という抽象的な理想が確立してきて、そのための具体的な手段を探していくところです。やりたいことが最近そこに行き着いてきましたね。
 

──最近なんですね。でもその根本には変わらない軸があるんでしょうか?

そうですね。僕は知的好奇心が強く飽き易いタイプで、刹那的熱狂が好きなんです。アイセックもそうだし、文化祭や体育祭も。ある瞬間の輝きがあって、その輝きが次の世代に移っていくのが好きで、自分もモチベーションが最大になるのはその瞬間を求める時。ボーダレスなつながりが生まれた瞬間、誰かと誰かが繋がることによって生まれる感動が自分にとっては一番いいなと思っているので、その感動を追い求めてやっている感じはあります。
 

──やはり選挙に出るという選択を3回もできたのは、牧原さんのパーソナリティーが影響しているんでしょうか。 

そういう点でよかったなと思っているのは、いい意味で自信家であることですね(笑)。フットワークは軽いし、ポジティブです。人が躊躇しがちなことにも踏み出せる性格であるっていうのは大きいと思っています。アイセックの合宿の運営をする時に、運営側として斜に構えてしまうスイッチを切って以来、自分の不安やリスクに鈍感になり、色々飛び込んでいく考えになりました。今はもう一度そのスイッチを入れて、考え直したり見極めたりする時期なのかなと思っていますが、自分自身を見つける、広げていく段階においては、斜に構えるスイッチを切った方が色んなものに飛び込みやすくなるなとは思いますね。

──フラットな状態になって様々な挑戦をしていくことで、”自分らしさ”を探しやすくなるんですね。牧原さん、ありがとうございました!

編集後記

実はライターの僕も牧原さんと同じ団体に所属していて、牧原さんを雲の上の存在のように思っていました。でも、元々は一般的な価値観を持った少年で、あることをきっかけにして次々と挑戦することができたからこそ、今の牧原さんがあるんだと思います。

1年前、アイセック・ジャパンの代表をやるという大きな選択。
その選択ができ、今やってよかったと言えるようになったのにも、これまで多くの機会や人との出会いを通じて、牧原さんが自分自身でその価値観や挑戦する舞台をアップデートしていくことができていたからだと言えるでしょう。

皆さんも、挑戦を不安に思ってしまうスイッチを一度切って、自分の生きてきた世界や、やってきたこととは少し違う世界に飛び込んでみてはいかがでしょうか。

関連記事

記事を評価する

記事を評価しよう

編集部のおすすめ