脱・ゆるブラック。「仕事はラクだが、力がつかない」「自分の市場価値に自信が持てない」…そんな悩みを抱えるのではなく、“ラクではないが力がついた”と胸を張れる人になりたい。そんな想いを胸に、ラクではないが力がつく環境=「若手ホワイト企業」で奮闘する若手社員の経験にフォーカスし、自分の力でキャリアを切り拓くためのエッセンスを紐解く。
●若手ホワイト企業とは?
新卒スカウトサービス『iroots』では、会社の評判プラットフォーム「エンゲージ 会社の評判」に寄せられた口コミの中から「20代の成長環境」と「実力主義」のスコアにフォーカスし、“ラクではないが力がつく”企業を「若手ホワイト企業」と認定。▶️若手ホワイト企業について詳しく知る
EC・マーケティング・生産管理・物流などの領域で、独自のプラットフォームを開発・提供している。現在、アジアを中心に15ヵ国・地域に拠点を構えており、各国で築いたローカルネットワークを生かしたクロスボーダーな連携・提案をおこなっている。
設立:2016年4月
上場区分:東京証券取引所 グロース市場
従業員数:約1,590名(2023年12月末時点、グローバル拠点全体)
大手コンサルの内定を断り、急成長中のアジアマーケットに飛び込んだ
AnyMind Japan 執行役員 兼 インフルエンサーマーケティング事業部長 藤田翔大
慶應義塾大学卒。長期インターンを経て、2018年に新卒でAnyMindに入社。タイ・ベトナムオフィスの立ち上げを経て、日本オフィスのインフルエンサーマーケティング事業部長に就任。コスメや日用品などの大手消費財メーカーを中心としたインフルエンサーマーケティングに携わる。
―最初に、AnyMindに入社を決めるまでの経緯について教えてください。
AnyMindに出会ったきっかけは、大学4年生のときに応募したバンコクオフィスでの長期インターンです。私は大学3年生の秋から1年間イタリアへ留学しており、海外のキャリアフォーラムで大手コンサルをはじめとした複数社から内定をいただいていました。
その後、就職する前に東南アジアの文化やビジネスにも触れてみたいと考え、AnyMindのバンコクオフィスでの長期インターンに応募しました。インターンはあくまでも一時的なものと考えており、卒業後は大手コンサルへ就職するつもりだったので、その後AnyMindに新卒で入社するとはまったく思っていませんでした。
バンコクオフィスでは、インターネット広告の営業としてアポ獲得から顧客への提案までを一気通貫で担当していました。社員とインターンの区切りがほとんどない環境だったため、バンコクオフィスでの仕事を通じ、社会人として働くための土台が作られていきました。
帰国後もAnyMindの日本オフィスでインターンを続け、新卒として入社しないかというオファーをいただきました。先ほども述べたように、卒業後は大手コンサルへ入社するつもりだったのでかなり悩みましたが、最終的にはAnyMindへの入社を決めました。
―最終的にAnyMindへの入社を決めた理由を教えてください。
一番の決め手になったのは、急成長するアジアマーケットへの期待でした。バンコクオフィスでのインターンを通じて、マーケットと事業が急速に拡大していく様子を肌で感じていましたし、メンバーもマネージャーも若く優秀な人ばかりでした。
他社と比べてもここまでの成長環境はなかなかないと思いましたし、マーケットも事業も今後どこまで伸びていくのか想像がつかないからこそ、AnyMindで挑戦することを選びました。
新卒でベトナムオフィスに入社し、入社2年目で新規事業立ち上げに挑戦
―2018年に入社してから現在に至るまで、どのような業務に携わられましたか。
卒業後はAnyMindのベトナムオフィスへインターネット広告営業として入社し、日系、ベトナム系、外資系企業を対象に新規開拓を担当していました。
ビジネス職社員の中で日本人は私一人だけでしたが、ベトナム人のメンバーと一緒に働いていてギャップを感じることはほとんどなかったですね。貪欲に成果を求めるメンバーが多かったので、朝から晩まで一丸となって働いていました。
私個人としては、大手日系・外資系ブランドとの新規取引を複数獲得し、ありがたいことにベトナム支社でトップセールスの成績を残すことができました。その後、広告営業チームのマネージャーとして、ベトナムを拠点に、ミャンマーやカンボジアのマーケットも担当しました。
そんな中、入社2年目に入ったタイミングで、CEOの十河から「日本でインフルエンサーマーケティング事業を本格的に展開していくことになったので、立ち上げをやらないか」という打診がありました。
勢いのあるベトナムでの仕事に心残りがなかったわけではありませんが、主力事業の立ち上げに誘っていただけたことはとても光栄でしたし、新しいことに挑戦してみたいという気持ちも強かったので、日本に帰国しました。
事業を立ち上げた当初はメンバーが少なかったので、営業や事業開発、事務作業など、すべての業務を自分で行う必要がありました。紆余曲折ありながらも順調に事業を伸ばし、5期目の現在は100名ほどの組織になりました。
現在はインフルエンサーマーケティング事業部の事業部長をはじめ、PR会社との合弁会社の代表取締役、韓国拠点やグループ会社の営業部長など、複数の役割を任せていただいています。
これは正しい努力なのか。すべてが手探りの中、必死に走り続けた日々
―入社してから今までの間に「ラクではないが力がついた」と思う経験を教えてください。
もっとも印象的だったのは、インフルエンサーマーケティング事業の立ち上げです。それまでは営業のように自分の業務範囲や役割が明確になっていましたが、事業の立ち上げ、特にインフルエンサーマーケティンはまだまだ新しい分野ですので、誰も道筋を知らない領域です。それを自分の感覚を頼りに手探りで進める必要がありました。
ベトナムオフィスで営業をしていたときには正しい方程式ができ上がっており、あとは量や質を上げるための努力をするだけでした。しかし、新規事業の立ち上げに関しては、そもそもの方程式すらなく…。
何がだめで何が正解なのか、自分のやっていることは正しい努力なのか、それがまったくわからない中で走り続けるのは本当に大変でした。
しかしその後、大型案件の受注をきっかけに、社内の体制やプロジェクト化が急速に整いはじめ、事例ができたことによって案件獲得もしやすくなっていきました。
その後も順調に事業は伸び、さまざまな役割を任せていただいています。CEOの十河より、「波を見極めて、いい波が来ているときはしっかりとその波に乗り切ること。これができるかできないかが、分かれ道になる」と言われたことがあり、今もその言葉を大切にしています。
―藤田さんは今後どのようなキャリアを歩んでいきたいですか。
キャリアの大きな方向性としては、経営者として社会にバリューを発揮できるような人になりたいです。20代のうちに事業部長や役員を経験できたことで、マネジメントや意志決定に関するスキルが向上していると実感しています。
今後も自分の能力をさらに磨き、社会課題の解決につながるような事業づくりに励んでいきたいです。
・日本に限らず、15カ国・地域で事業を展開する「グローバル環境」
・20代のうちから事業部長や役員にチャレンジできる「若手抜擢」
・年齢に関わらず、本人の能力や成果に応じて役割を任される「実力主義」