ダンサーに対する世間のイメージを覆したい
それじゃやりましょう。元気かい?そんな元気じゃないかい? あれ、反応なしか(笑)ちょっと俺おさえたほうがいい?(会場笑)
OK、始めましょう。HANと申します。職業はダンサーです。
本当はここに来る時にお酒を持ち込もうと思ったんですがゼミ長に止められました(笑) 今日は人材研究を専門とするゼミでの講演ってことで、私は人材のプロでもなんでもないんですが(笑)少しお時間をいただいて皆さんとお話しができればと思います。
まず、自己紹介しますね。僕の活動のメインはダンサーなんですが、「東京六大学ストリートダンス連盟」という団体で顧問を勤めています。
野球で有名な早慶戦や東京六大学リーグってあるじゃないですか。そのダンス版を私が2014年に立ち上げまして、団体化した組織です。未来的には何かしらの法人にする予定です。
何故これを始めたか、というと2つ理由があるんですよね。
まず、ダンサーってめちゃめちゃ頑張ってる人が多いんですよ。だから応援したいという強い想いがあって。
学生時代に体育会の部活に所屬している人と仲良かったんですけど、そういう仲間からよく合コンに誘われてたんですよね。でもその当時ダンスの練習のために、ことごとくお誘いを断ってまして、そのくらいずっと忙しく練習してました。
あれ?ダンサーって体育会系の部活と比較しても、意外にめちゃめちゃ頑張ってるじゃんって。
ただ、その当時、僕自身が就職活動を始めて企業や面接にいった時に感じたのが、 「ダンサーって世の中からの見え方まだ良くねえなあ。」ってこと。 それがきっかけで、もっと(ダンサーを)世の中に良く思ってもらえるような仕組みづくりがしたいなあって思うようになったんだよね。
ダンスっていうと体育会のやつらと比較しても、さっき言ったように練習量半端なく多いんですよ。そんな子らを応援したくて、体育会で頑張ってる人たちと同等に扱われるような世界観を作りたくて活動してます。これが今、俺がやりたいこと= WILLです。
幼少期の家庭環境は、本当に過酷だった
今日の講演のテーマは「自分がどう生きたいか」。
みんなが「何をやりたいか」を探す方法を見つけられるというのをゴールにしたいと思います。
僕という人間をサンプルにして「こういう人間だったからこういうことがやりたくなったんですよ、やってるんですよ。」という探し方の実例をお伝えするので、それを皆さんが自分自身にあてはめて考えてみてください。
僕は、福岡県北九州市で生まれました。私は名前の通り中国人です。中国人だけど日本に生まれました。
なかなか複雑な家庭環境に生まれたんですけど、特に祖父が亡くなってから。
当時、僕の祖父には愛人がいたんですよね。で、祖父が亡くなってから、その愛人が「私は内縁の妻だ!」と主張して祖母と裁判で争いはじめて。その間、家庭は大荒れ。経済的にも危機的状況でした。小学校2年生から高校2年生くらいまでですね。
北九州ってあんまり治安が良くない土地なんですけど、そういう背景もあり、カツアゲなんて日常茶飯事で、僕もカツアゲとかして生活していました(会場笑)
この後でも、「原体験が価値観を産む」というテーマで、話すんだけど、悪い事を一度やるとあとで絶対やりたくなくなるんですよね。
今の僕は、そういった原体験があるので、むしろ「悪いことって本当に良くない、正しいことがやりたい」と正義感に溢れています。
そんな環境だったんですけど、中2の時には「留学するお金なくたって英語は喋れる」という気持ちでTOEICで910点、英検準1級を取ったり、高校は「没頭してれば全てを忘れられる」という気持ちでピアノやテニスを毎日12時間練習したり…。
その後、慶應義塾大学に無事入学しまして、高校の時に見てて「かっこいいなあ」と思っていたダンスがやりたくてダンスサークルに入りました。
ダンスに憧れたのは、ピアノとかテニスってめちゃくちゃ頑張ってたのにモテないんですよね。すごいかっこよく言うと「努力量に対してのリターンが悪い(笑)」。
ピアノは弾けるとかっこいいってなるけど、ピアノがないと弾けない。クラスの女の子もテニスじゃなくてサッカーとバスケの応援に行く。
頑張ってる意味がよくわからなくなった時に、ブレイクダンスやってるやつが廊下でちょこっと頭で回っただけでものすごい人だかりができたんですよ。これはやるしかないと(笑)
今思うとこの時から既に「努力に対する評価の正当性」みたいなものに意志を持つ性格でしたね。
ノープランで渡米。直感的に良いと思ったら秒で行動
それからダンス漬けの大学生活が始まるんですが、大学2年の時。
僕のやってるダンス(poppin)ってアメリカ発祥で。それのジャンルを創った人ってまだ生きてるんですね。
で、その人にどうしても習ってみたくて、でもその当時Facebookとかはないし、会える手段がそもそもなかった。けど「ダンスもっと上手くなりたい」って気持ちが強くて「まあわかんねえけど、とりあえずアメリカに行こう」と思って(笑)
有名人だし、道端のダンサーらしき人に聞けばわかるんじゃね?と思ってとりあえず行ってみました。行動を何よりも大切にしていましたね。
慶應では「Revolve」ってダンスサークルだったんですけど、僕がやってたダンス(poppin)がなかったので自分でそれを立ち上げました。今ではそのサークルは「poppinが強いサークル」と大学生シーンで言われていて、僕もびっくりしています。
その後、Dance@liveという国内最大級のダンスバトル(全国大会)の大学生部門で優勝もしました。他の大学生タイトル(BIGBANG!、BUZZSTYLEなど)も全て入賞しました。
※動員数1万人以上を誇る日本最大級のイベント会社「anomaly」によるDance@live の大学生サイド”RIZE” にて優勝した当時の映像
そんな感じの自分だったので、ぶっちゃけ「やればできる」とか思ってたんですよ。
でも、就活では一回やってみたけどうまくいかなかった。
実は心の中でダンスのプロの道もちらついてて、ちょっとまだ(進路を)決めきれないなと思ってたんですね。
だから1年休学しました。休学の1年間ではインストラクターやらイベント打ったり、極め付けにタイのテレビ番組にも出演したこともあってプロフェッショナルな方がやるようなダンサー活動に従事していたんですけど、ダンス業界は収入面で過酷な環境などもあり、「仕事のスキルがないとダメだ」と思うようになり、その後ようやく決意して就活しました。
リクルートに応募したのは、ESが必要なかったから(笑)
就活に本気になってから(ダンスはやり続けてましたが)4社受けて4社とも内定もらいました。三井物産、伊藤忠商事、丸紅、そしてリクルートです。
もともとは商社志望だったんですよね。日本を誇る仕事がしたかった。(この価値観も中国人として日本に生まれた環境が大きかったです)
リクルートって会社はなんで受けたかと言うと、サークルの同期で特に仲が良かったやつが、1年先リクルートに入社をしていて、誘われたのが全てです。
「樊、就活どうすんの?」って聞かれて「大丈夫だよ!総合商社3社受ける!」っていってたら、全力で説教されました。「俺の後輩の慶應で一番優秀なゼミのゼミ長もどこも受かってないんだぞ!?」って。(笑)
リーマンショックの影響が強かった年なので、急に大幅採用カットが行われて大手自動車メーカーは、新卒採用を中断していたような時期です。「そんな中、総合商社3社だなんて!100社エントリーしてる奴もいるよ?もっと応募しろよ!」って言われて。
僕としては「選択に悩む時間が勿体無い」という強い価値観があったので、色々受けるの面倒だったんですよね、受かっても行かないだろうし。
なので「ES書くのめんどいから。。。」と言ったら「リクルートはESないよ!」って言われて、(受けたら受かったので)リクルートに入社を決めました(笑)
リクルートでは総務部というコーポレートスタッフ職、2012年にはリクルートライフスタイルって会社に転籍して、そこで「ホットペッパービューティ」を売ってました。下北沢を担当していて、美容師がどんなカラーが好きかとか、どんなカットが得意か大体全部把握してましたよ。
でもその後、2年でリクルートやめました。社会離脱早かったですね。
起業するも、自ら退職。環境にとらわれずWillを追求する
リクルートを辞めた理由は、やっぱり、ダンスが好きだったんで。体の自由が効くうちにダンス一生懸命やっておきたいなあと。
以前の経験から、業界の負は強いなあってわかったたんですけど、社会人2年間の経験を使ったら何かうまいことやれるかな、と。
その後、プロダンスチームに所属して世界大会にでたり、プロ活動をやりながらいろいろ仕事してみたいなあと思い、麻布十番のダンススタジオ立ち上げと運営、台湾の工場と提携してダンスのオーダーメイドのダンス衣装を売ったりしてました。
また、世界大会っていくつかあるんですけど、「世界一の世界大会を作りたい」と思って、当時の師匠と一緒にアメリカ、韓国、台湾、フランス、中国そのあたりのダンス先進国のダンサー200人くらいに連絡をとって、JTBと提携して、全員日本に招待するとかそんな事もやっていました。
200人分の航空券予約、ホテル予約、空港からホテルまでのアテンドの仕組み考えたり。こんなWILL(=やりたいことをやる)強いぶってるんですけど僕MUSTにめちゃくちゃ強いです(笑)
2年間この活動に従事した後に「自分にしかできないもっと貢献度の高いことがやりたい」という気持ちもありプロチームをやめて独立したんですね。
そこから、仲間を集めて新しい市場を開拓したいということで一回会社を作っています。そこで副社長を務めました。
みんなフラッシュモブって知ってる?あ、そういえば早稲田に「フラッシュモ部」ってあるよね。知ってるか。
会社を立ち上げた当時、流行りはじめだったフラッシュモブに注目して。結婚式で流行るんじゃねえかってことで(会社で)フラッシュモブの商品を作ったりして。
俺らは新しい市場を開拓したかったので、B to Cのサービスにするのではなく、B to Bを攻めて、結婚式場の演出ってエリアを全部うちで奪おうじゃないかって、BtoBtoCのモデルをやることにしました。
この時に大手ブライダル企業の部長さんなんかと泥臭いやり方で繋がって、提携が決まるなど、割と青春のある仕事をやってました。
そんな事業立上げと並行して、僕が感じていた「ダンサーって体育会系以上に頑張っていると思っていて、その頑張りを認めて欲しい」という想いで、早慶戦作ったり六大学リーグを作ったり、キャリアサポートのシステムを作ったりしてました。
で大変身勝手なんですが、その会社をやめました(笑)
前の会社にお願いして「学生支援のシステムだけは事業譲渡して欲しい」と話しして。
その事業だけを切り出して作った組織が、東京六大学ストリートダンス連盟。そこで、僕は顧問をしていているというわけです。
プライドなんて自分の成長には邪魔なだけ
これまで、僕のケースをお話してきましたが、「やりたいことを生むために必要なこと」を考える上で、大切なことが3つあるんです。
これは簡単なようで、いきなりやるのって意外と難しい。
特にこの③が大事です。みんな「無知の知」って知ってるよね。「無知の知」ってとても必要で。
簡単にいうと、等身大の自分じゃないと成長できないってことなんですよ。 例えば「大隈重信って知ってる?」って聞かれた時に、自分が知らないのに、「お、お、おう知ってるよ」と答えてしまったら、もうそこで成長はないじゃないですか。
恥ずかしくても「知らない、誰?」って答えた方がその瞬間の生産性って高いと思うんですよね。自分が素直な状態でいるって本当に大事なんだよね。
で、今日のテーマの「やりたいことを生むために必要なこと」ですが、僕の一番いいたいことは、本当の意味でのWILL(やりたいこと)は自分の経験の中にしかないってこと。極論だけどやりたいことがない、自分の夢がないって言ってる人ってまだ何も経験してない人なんだよ。
例えば、、この中でフェンシングのプロとして極めたいって思ってる人いる? いないよね。やったことある人いる?いないよね。フェンシングのプロになりたいって人って、当然だけどフェンシングをやったことがある人が多いと思うんだよね。
「賢者は本に学び 愚者は経験に学ぶ」って言葉があるけど、賢者も経験に学ばないといけない。と俺は思います。やってみて分かることって沢山ある。
だから、直感的にいいなと思ったことは、まずやってみてください。まずはやってみて楽しかったと思えばもう一回やるし、嫌だっと思ったらやらないし。
とにかく自分のやりたいことは自分の中にしかないんだよ。なければ自分の経験をつくりにいってください。それが自分のWillをつくる糧になるはずなんで
ややこしい幼少期に行動の源泉があった
実は、Willを実現するための原動力というのも過去の経験にしかないんだよね。HANが元気に毎日行動できる「やる気スイッチ」を話すと、これって幼少時代に原点がある。
それは、「家に帰りたくない」ってこと。
冒頭にも話したけど、自分は中国人の家系に生まれて、祖父は満州国の公務員やっていました。
その頃中国は社会主義でどんなに働いても働かなくても給料とか同じ世界だったんだよね。 祖父は満州国にいて日本人と仲が良く、そして働き者だった。「日本は働けば働くほど稼げる国だ。お前だったら日本に来たら稼げるぞ」って日本人に言われて。
祖父は中国で家庭を持ってたんだけど、その家庭をそのままにして中国から日本に来たんだよね。突然姿を消したから、家族は大混乱で、さらに資本主義に逃げた人間の家族だと中国で迫害まで受けたんだよね。
その後、祖父は日本では中華料理屋の経営を始めるわけだけど。
まあ中国人が日本で中華料理屋って鉄板だよね(笑)
祖父は中国にいる父が30代半ばになった時に日本の下関にいきなり呼び寄せた。 3歳の時に父は祖父と生き別れているので、当時は何のこっちゃと思っただろうね(笑)
そんな経緯だっかたら、父が祖父を「父さん」と呼んでいることは聞いたことがありません。すでにこの時から僕の人生ややこしいんですよ(笑)
しかも祖父には日本人の愛人がいて、愛人と一軒家を立てたんですよね。 そこに、父とか私達を呼んだんです。そんなところに入れるわけないじゃんと。
結局その愛人が借りていたマンションに、僕の家族は住むことになって。小さなマンションに6人ですよ。ブタ箱です。
その後は愛人に裁判を起こされて、私は内縁の妻だと。小2から高2までずっと裁判をしてる中で過ごしました。そんな感じなので家族は誰かしら喧嘩してるんですよね。もういつも荒れてて、ガラスとか割れてて歩くとガラスの破片が足に刺さるんですよね。
もう俺は悲しかったですよ。センチメンタルな幼少期でした。
そんな環境だったから、とにかく家に帰りたくなかった。
だから、小学生から中学校ときまで本当に家に帰らなかった。そのかわり、テニスを頑張りました。死ぬほど練習頑張りました。ピアノも死ぬほど練習してれば家に帰らなくて済むんですよね。
僕は家に帰りたいくないって思いを原動力に、ですべてを全国レベルに引きあげたんです。
人生の軌跡に全てのヒントがある
結果的に、「自分よりいい環境に育った人への反骨精神」が育ちました。
幼少期は僕はとてもセンチメンタルで「どうして俺ばっかりこんなに不幸なのかと。」 ずっと考えてた。日本人の友達は、親子仲良い人が多いし、裕福だし、日本はすごい良い国だからなんじゃないかとも思った。
同時にそれが羨ましいとも思うようにもなったんだよね。
中学生くらいから友達でも「留学したい!」って子が現れ始めるんだよね。なんで留学行くの?と聞いたら「英語をしゃべれるようになりたいって」。
その子が帰って来た時に、「どのくらいしゃべれるの?」って聞いたら、全然喋れなかったんですよね。まあそんなもんだよね。
でもね、当時の俺は非常に憤慨した(笑)なんでだよと。俺よりお金あって裕福なのになんで頑張らねえんだよ。
俺は見返してやろうと思って日本国内だけで勉強して中2でTOEIC910点取った。 自分より裕福なのに頑張ってないやつらを見るとなにくそ根性で見返してやろうと思ってがんばった。
結局、自分が貧困を経験したからだね。
行動を起こすためのエネルギーの源泉も自分の過去にヒントがある。
結局、本当の意味でのWILLや、それを実現させる原動力って自分の経験にしかないんだよね。
だから、原体験を振り返ったり、今まで以上に沢山経験を積み重ねることを通じて、自分のやる気スイッチを認識すること。それが、自分のWILLを見つけたり、実現させる近道だと思うんだよね。
就職活動で「やりたいこと」を面接で話すために、自己分析をやる方がいますが、決して就職活動のための自己分析なんてやらないでくださいね。就職活動の自己分析は自分を就活市場でどう売るかという自分を商品化するためにやることなんですよ。
だから本質的じゃない。就職活動という狭い範囲内のことではなくて、自分の行動のエネルギーってなんだろう、自分の人生でやりたいことってなんだろう。そういう観点で考えることが人生を豊かにするんだと思います。
以上で私の話は終わります。
今度はみんなで酒を飲みながら話しましょう(会場拍手)