今回お話を伺ったあの• •

須藤 悠太(すどう・ゆうた)
株式会社サイバーエージェント/インターネット広告事業本部/局長

2017年に株式会社サイバーエージェント新卒入社し、2019年株式会社CyberBull営業統括責任者に就任。その後入社3年目でサイバーエージェントの営業局長に就任し、ナショナルクライアント領域を担当。2020年にサイバーエージェントインターネット広告事業本部にて、第三本部を新設、本組織の責任者に就任。

高校進学を目前に、父の会社が倒産。裕福だった生活が一変した

 
―現在の須藤さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。

実家が会社を経営していたこともあり、幼いころは教育熱心な両親のもとで何不自由ない生活を送っていました。
経営者である父に対する憧れが強かったので、将来は自分も会社を継ぎたいと幼いながらに思っていました。

そんな生活に転機が訪れたのは、中学3年生のときでした。
ある日両親から父の会社が倒産してしまったことを告げられ、予定していた私立高校への進学も諦めてほしいと言われました。
この日以来、自分を含め家族の生活は一変してしまいました。

何よりもショックだったのは、家族の生活を支えるために転職活動をしていた父が、就職先に難航していたことです。
憧れの存在だった父が、経営者という肩書きがなくなったとたんに社会からの見られ方が変わった社会事実は、とても衝撃的でした。

この出来事をきっかけに「市場価値」という言葉を意識するようになり、肩書きや所属が変わっても社会から必要とされる人間になりたいと強く思うようになりました。

当時私は大学付属の私立中学に通っており、そのまま友達と一緒に進学したいという気持ちが強かったので、周りの人に支えられながら奨学金を借りてなんとか高校に進学しました。
仲のいい友達はたくさんいましたが、父の会社が倒産して生活が苦しいことは誰にも言えず、それまでと同じような生活を装っていました。
友達に打ち明けられない苦しさはありましたが、専業主婦だった母が資格をとって一生懸命働いている姿を見て、自分も頑張ろうと思えました。

公務員の道を諦めたとき、サイバーエージェントに出会った

 
―大学ではどのように過ごされていましたか。

家庭を持つことを視野に将来は安定した生活を送りたいと思っていたので、入学後すぐに公務員試験の勉強を始めました。

しかしそれだけでは自分自身の市場価値は上がらないと考え、友達と一緒にストリート系のアパレルブランドを立ち上げて服の販売も始めました。
年商でいうとたいしたことはありませんでしたが、SNSで広告を打ったり、個展開催やセレクトショップへの卸売りをして、その売り上げで学費を払っていました。

大学3年生になって将来を考え始めたころ、当時結婚を意識して真剣に付き合っていた彼女に「公務員っぽくない」と言われたことをきっかけに、公務員への道はあっさり諦めました。
大切な彼女の言葉がきっかけではありましたが、マーケットで勝負したいという気持ちもどこかにあったんだと思います。

そしてある日、サイバーエージェントの社員が登壇する広告についての講義に参加したことをきっかけに、サイバーエージェントという会社に興味を持ちました。

登壇していた3人の社員は若手でありながらすでに子会社の社長や事業責任者を担っており、この会社であれば若手のうちから裁量権の大きい仕事にチャレンジできるのではないかと感じました。

アパレルブランドを運営しているときに自分でSNS広告を運用していたので、巨大な市場であり今後さらなる成長が見込まれるインターネット広告市場で、サイバーエージェントが新しいチャレンジをたくさんしているところも魅力的でした。

友人たちとアパレルブランドの展示会を開催したことも

「この領域では成長できません」。生意気だった内定者アルバイト時代

 
―そこからはどのように行動されたのですか。

出会ったときに「この会社だ!」と思ったので、他の会社はあまり見ないままサイバーエージェントの選考を受けました。

印象的だったのは、当時の人事責任者の方と面談をしたときに「熱い気持ちはわかったけど、勉強が足りない」と言われて読書感想文の課題を出されたことです。

広告に関する5冊分の読書感想文を必死で書き上げ、なんとか内定に至りました。
今ではありえない選考フローですが、口だけでなくちゃんと行動も伴っている人間なのかということを見られていたんだと思います(このフローは当時自分だけに向けられた特別なフローだったので、全員がこの選考フローだったわけではありません)。

その後、大学4年生からは内定者アルバイトとして株式会社CyberBullという動画広告に特化した広告代理事業を行っている子会社で働き始めました。
当時の私はすごく生意気で、自分の市場価値を上げることしか考えていませんでした。

そのため「この領域では成長できないから別の部署に異動させてください」と無理を言って、別の部署に異動させてもらったこともありました。それも何回も。今思うとかなりやばい奴ですよね…(苦笑)。
ただ、成果に執着しながらとにかく泥臭く頑張る姿勢を買ってくれたのか、そんな自分を面白がって期待してくれたCyberBullの先輩方には本当に感謝しかありません。

自分一人が出す成果なんて、会社にとっては本当にわずかなもの

 
―入社後もCyberBullでのお仕事を続けられたんですね。

はい、インターン時代から携わっていたブランド広告領域で引き続き腕を磨いていきました。
ブランド広告だけに集中させてもらえたことによって、入社後は少しずつ成果もあげられるようになっていきました。

ありがたいことに入社2年目には営業統括部長を任せていただくことになりましたが、自分の成果とは反比例する形で会社の売上は下がっていました。
このとき、自分一人が出す成果なんて、会社にとっては本当にわずかなものだと思い知らされました。

そして最終的に、広告領域はサイバーエージェント本体に統合されることが決まりました。
父のようにはなりたくないと思っていたはずなのに、自分が関わった事業が本体に吸収という結果になってしまい、とてもショックでした。

チャンスに応え、先人から受け継いだ“若手活躍のバトン”をつないでいきたい

 
―その後、須藤さんはどうされたのですか。

サイバーエージェント本体に戻り、そこでブランド広告領域に携わることになりました。

それまで私はCyberBullのメンバーに対して年上・年下問わずかなり厳しく接していましたし、敬意が欠けていたこともあったと思います。
今考えると自分の未熟さを痛感しますが、それでもメンバー全員が私についていきますと言ってくれたんですよね。

事業の統合が決まったときは正直別の道も考えたのですが、こんな自分を応援してくれる仲間の人生を豊かにしないまま逃げてしまったら、自分はここで終わってしまうと思いました。

この出来事をきっかけに、サイバーエージェント本体に戻ってからは個人ではなくチーム全体でプロジェクトに取り組むようになりました。
そうすると面白いように成果が出始めて、3年目には営業局長を任せていただけるようになりました。

今は新しく立ち上げた部署で、これからの日本を代表する企業の事業成長に貢献すべく、あらゆるマーケティング支援を行っています。

サイバーエージェントが私のような若手にチャンスを与えるのは、先人たちがそのチャンスに応え続けてきたからだと思います。
私もそのバトンを受け継ぎ、次の若手にチャンスを渡していけるよう成果で応えたいと思っています。

現在は第三本部のメンバーたちと一緒に日々奮闘している(※写真はコロナ前の懇親会の様子)

突出したスキルがある人よりも、みんなから応援される人の方が強い

 
―最後に、これからキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。

就活は今までの人生で一番自分の個性と向き合うときだと思います。
そして向き合った末に自信をなくて“自爆”してしまう人も多いのではないでしょうか。

しかし大事なのは、個人の力以上に“周囲の人との関係を大切にできるか”です。
最速で成果を出すために必要なのは、弱みを克服することではなく、得意な人を仲間にすること。
突出したスキルがある人よりも、みんなから応援される人の方が強いと私は感じます。

就活においても、面接に受かる・落ちるではなく、“相手と関係性を作る”という気持ちで取り組んでみると良いのではないでしょうか。
 
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
趣味は映画鑑賞・美術館めぐり。