今回お話を伺ったあの• •

東 泰宏(あずま・やすひろ)
株式会社電通国際情報サービス
金融ソリューション事業部 / ISI-Dentsu South East Asia Pte. Ltd.(シンガポール現地法人)

関西学院大学大学院 理工学研究科 情報科学専攻卒。
大学・大学院では“主観年齢”をテーマに、単身アメリカや韓国に渡って研究活動を行う。
2011年に新卒で株式会社電通国際情報サービス(ISID)に入社し、金融機関向けシステム開発・調査プロジェクトでプロジェクトマネジャーやITコンサルタントとして活躍。入社5年目で海外トレーニー制度を利用し、ニューヨーク現地の金融機関IT部門に駐在。2020年2月からシンガポールに赴任し、現地社員のマネジメント、新規ビジネス検討、さらに金融機関向けプロジェクトマネジメントやコンサルティングを行っている。ISIDで活躍する一方、母校である関西学院大学の感性価値創造インスティチュートの客員研究員として、感性工学の裾野を広げ産学連携を推進していく活動を行っている。

弱小ラグビーチームから一転、強豪チームへ

 
―現在の東さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。

うーん、幼少期から高校生ぐらいまではあまり何も考えずに過ごしていたので…(苦笑)。
両親に勧められるまま中学受験し、大学付属の中学に入学しました。
中学からラグビー部に入部しましたが、僕達の代は勝てた記憶がほとんどないほど弱小チームでした。

高校進学後もそのままラグビー部に入部しましたが、当時から高校のラグビー部は県内では強豪校で、みなで花園を目指していました。
例え公式戦に勝ったとしても学校に戻って何時間も練習するぐらい、体力的にも精神的にもハードな3年間でした。

なので、社会人になってからも、そもそもあまり辛いと思わない。例え辛いことがあっても、「あの頃に比べればたいしたことはない」と思っています。
あの3年間が自分の体力・精神力の“土台”を作ってくれたと思っていて、今ではとても感謝しています。

漠然と過ごしていた大学生活から、単身アメリカへ

 
―大学ではどのように過ごされていたのですか。

ラグビーは高校卒業とともに辞めて、アルバイトをしたり、サークルに入ったり、のほほんとした大学生活を過ごしていました。
情報科学科を選んだのも、どちらかといえば理数系の方が得意だったことと、これからの時代はITだろうという漠然とした考えからで、これといってやりたいこともありませんでした。

今思い返してみても、大学後半までは本当に何も考えていなかったですね…。
勉強もそれ以外のことも、わりと何でも器用にこなせるタイプだったからこそ、何も考えずに生活していたんだと思います。

転機が訪れたのは、大学3年生の終盤で、4年生になる前に研究テーマを選ぶ必要がありました。
教授より「すぐアメリカに行けるよ」と言われたことをきっかけに、“主観年齢(自分のことを何歳ぐらいに思っているか?)”を研究テーマに選びました。
テーマを選んですぐに、春休みにアメリカに渡り、先輩から引き継いだ内容をもとに、一人きりで研究を始めました。

まずは、実験で利用するためのアメリカ人の顔写真を大量に集める必要があって、現地大学内のオフィスや教授室など手当たり次第に訪問して、とにかくいろいろな人に話しかけました。
とはいえ、英語で格好よく会話出来るレベルには程遠く、「Hello! I’m a Japanese University student」と勇気をもって話かけ、顔写真撮影さらに実験協力をお願いしまくりました(笑)。

写真撮影のお礼に日本のお菓子を配っていた

大事なのは自分の直感。ロジックはその後でいい。

 
―大学院を卒業後、ファーストキャリアにISIDを選ばれた理由はなんでしたか。

自分自身で何かを作るよりも戦略を練ることが好きだったので、IT×コンサルティングという軸で会社を探していて、ISIDに出会いました。

就職活動では20〜30社にエントリーシートを出し、結果3社から内定をもらいました。
業務内容はほとんど同じはず。であれば、どう経験を積んで、どう成長出来るかは自分次第。
なので、最終的には人と雰囲気に魅力を感じたISIDを選びました。

正直、知名度や給与などの条件がISIDより上の会社もありましたが、ISIDの社員や内定者と接してみて、圧倒的に個性的で面白く、自分に合うと感じました。また、より大変で、より予測できない環境を選んだ方が、人生をトータルで見たときに必ずいい結果になると信じていました。

ここまでの話からもお気づきかもしれませんが、僕は基本的に考えこまない性格で、自分の直感を大事にし、ロジックは後から考えればいいと思っています。
だからこそ、知名度や条件にとらわれず、ISIDを選ぶことが出来たと思います。
入社して11年目になりましたが、あのときの選択は間違っていなかったと実感しています。

焼肉・しゃぶしゃぶ店のアルバイトに開発リーダーのヒントがあった

 
―ISID入社後、どのような業務に携わられたのですか。

半年の研修を経て、金融ソリューション事業部に配属され、プロジェクトの一メンバーとしてシステム開発の上流から下流までを一通り経験しました。
次のプロジェクトからは早速リーダーとしてメンバーやパートナーを率いていく役割を任されたのですが、当然知識も経験も足りていなかったので、最初はとても苦労しました。
でも、経験を重ねていくうちに、プロジェクトを率いていくことは、大学時代に6年間働いた焼肉・しゃぶしゃぶ店のキッチンのアルバイトに通じていると気づいたんです。

―金融機関のシステム構築と焼肉・しゃぶしゃぶ店のアルバイトはかなりイメージが異なりますが…。

そうですよね、でも実は似ているんです。顧客とキッチン内のメンバーの様子を見つつ、絶えず流れてくるオーダーや問題点をどのようにさばいていくかを考えて組み換え続け、メンバーに指示を出しつつ、自分でも手を動かして課題に対処していくところは、まさに通じるものがあります。
例えば「先に塩タンを出しておいて、その間にこれをAさんに作ってもらって…」みたいなことです。
大変だったプロジェクトも、ひたすら変化していく状況を捉えて、作戦を考えて組み替え続け、そしてチームを動かしていくことで、なんとかやり遂げることができました。

―確かに、大学時代にアルバイトしかしていなかったという人にとっては勇気の持てる経験談ですね。

僕は必ずしも学生時代にすごいことをしていなくてもいいと思うんです。
ISIDの採用担当者も「例えすごいことでなくても、自分がやってきたことを、キラキラした目で一生懸命話す人が好きだ」と言ってましたが、その考え方に僕も共感しています。

日本でもニューヨークでも、ビジネスの本質は同じ

 
入社3年目ぐらいのときに、たまたま海外トレーニー制度を知り、思い切って応募しました。
ISIDを選んだときと同じように、大変で予測できない環境にまた飛び込みたいと思ったからです。

海外トレーニー制度で訪れたニューヨークにて

運良く決まって、ニューヨークで働き始めたものの、相変わらず難しい英会話は出来ません。
最初の半年間は、内容も進め方もわからないし、英語もわからないし、本当にわけがわかりませんでした(苦笑)。
さらに、ニューヨーカーはとても早口で、何が言いたいのか全く理解出来ません。しかし、半年ほど経ってだんだん慣れてくると、実はたいしたことを言っていないことがわかってきます。
ちゃんと本質を自分の中で整理した上で、相手のことを理解しようとしながらも、決めるべきことを曖昧にせずに、下手な英語でも一生懸命話をしていけば、ものごとは進められることがわかってきました。

思い切ってニューヨークに行って感じたことは、たかが社会人5年目の若造でも、役に立てるところや、現地スタッフに勝てるところは十分あるなぁ、ということでした。

アカデミックな“感性工学”に、みんなが幸せになるヒントがある

 
―ニューヨークでの勤務を経て、現在はシンガポールに赴任されているとのことですが、コロナの影響は大きかったですか。

そうですね、一時はほぼ全てのプロジェクトがストップしてしまう状況でした。
しかし、その間に自分ができることは他にもあるんじゃないかと考え、母校である関西学院大学の感性価値創造インスティチュートというところの客員研究員になりました。
大学時代に在籍した研究室が母体となっている機関ですが、効率や経済的価値だけを追い求めていてはヒト・社会は幸せになれないという思いがずっとあって、ヒトの直感や気持ちを科学する“感性工学”に、みんなが幸せになるヒントがあるんじゃないかと考えています。

すでにいくつかのプロジェクトが進んでいて、ISID人事部と共同で「ISIDの人間的魅力とは?」を研究したり、地方自治体向けに「海外のどんな旅行者が、どの観光資源に、どう感じて体験・訪問したいのか」を科学的に調査したり、さらには、これまで研究室で蓄積してきた評価指標や手法を一般向けに公開していくためのWebシステム開発を手掛けています。

このような取り組みを通じて、企業・大学・ISIDの三方よしを実現し、ビジネスとして持続・発展していくための存在になりたいと考えています。

心配しなくても、社会人は楽しい

 
―最後に、これからのキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。

まずは、心配しなくても社会人は楽しいよ、とお伝えしたいです。
年齢を重ねていくにつれて、興味関心の幅も、自分が感動出来る幅も、学生時代と比べて格段に広がったと感じています。

僕自身は、ニューヨークでの生活の中で、美術が好きになりました。また、日本全国の地域を旅して歴史や文化を感じたいと思うようになり、本も年間100冊近く読むようになりました。シンガポールではロードバイクを始め、狭い島内を走りまくっています。

学生時代にやっておけば良かったこととして、本を読むこと、日本国内の旅行をおすすめしたいと思います。
海外で生活しているからこそ、日本の良いところを知りたいと思うようになりましたし、
また、グローバルで活躍するためには日本のことをよく理解していることが強みになります。
まずは日本の良いところを見つけていきましょう。
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
趣味は映画鑑賞・美術館めぐり。