今回お話を伺ったあの• •

中野 里菜(なかの・りな)
日本タタ・コンサルタンシー・サービシズ株式会社/EIS-PLM

東京外国語大学 国際社会学部卒。2017年に新卒で日本タタ・コンサルタンシー・サービシズ株式会社(日本TCS)に入社。ソリューションエンジニアとして製造業のシステム開発・設計・運用・保守などを行う。入社2年目でチームリーダーに抜擢され、インドと日本の橋渡しを行いながらプロジェクトを遂行。入社4年目からは後進の育成にも力を注ぎ、人事部と協力しながら育成計画プロジェクトに参画。

「狭き門より入れ」。顧問の教えが人生の指針になった

 
―現在の中野さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。

幼少期は物怖じせず、誰とでもすぐに仲良くなれる性格でした。

小学校の頃からはバレーボールを始め、中学・高校もバレーボール部に所属していました。
中学のバレーボール部は顧問の先生が厳しい人だったので、練習中に泣いてしまうこともありましたが、その厳しさも振り返ってみれば私への心配から来ていたんだと思います。
気分にムラがあり、そそっかしいところがある私に、勉強も部活も「どうすればミスせずにできるのか?」ということを一緒に考えてくれる先生でした。

恩師に出会った中学のバレーボール部時代

その先生がよく言っていた「狭き門より入れ」、つまり、「事をなすときに、簡単な方法を選ぶより困難な道を選ぶほうが、自分を鍛えるために役立つ」という考え方は、今でも大切にしている指針です。

高校卒業後、東京外語大学の国際社会学部ヒンディー語科に進学しました。
世界史がとても好きだったことと、父親が航空会社に勤めていた関係で海外に強く興味を持っていたことが理由でした。

きっかけは1つの単位。人生はじめての挫折を味わった

 
―大学ではどのように過ごされていましたか。
 
実は、大学で人生初めての挫折を経験しました。

授業のレベルが予想よりも高く、予習復習を行っても授業についていくのがやっとでした。
それまで勉強であまり苦労をしたことがなかったので、自分はできると自負していたにも関わらず、結局1年目で1つ単位を落としてしまいました。

今思えば1単位ぐらい大したことないように思えますが、そのころの私は狭い世界の中ですごく深刻に捉えてしまいました。
もともと完璧主義で、自分の「できること」より「できないこと」に目が向いてしまう性格だったこともあり、一気に勉強へのモチベーションが下がってしまいました。結局その1単位を落としてしまったことが2年生になっても挽回できず、2年生の後期で早くも4年で卒業できないことが確定してしまいました。

―その後はどのように行動されたのですか。

大学に行くのも憂鬱になり、結局4ヶ月ほど家にひきこもってしまいました。
周りの友人は就活を始めたり、留学に行ったりしていましたが、自分はどちらの方向にも行けず、とても苦しかったです。

しかしずっとひきこもっているわけにもいかないですし、就活のときに自信をもって話せる自分になっていないと困ると思ったので、1ヶ月間シンガポールへ留学することにしました。

正直、「とりあえず動いてみよう」くらいに考えていた留学でしたが、とてもいい経験になりました。1ヶ月だけの留学だったので語学力はそこまで伸びませんでしたが、広い世界を見て、「もっと気楽に考えてもいいのかもしれない」と思えるようになりました。

シンガポールへの留学時に宿泊させてもらっていた家族

入社を決めたのは、「カオスな環境」で成長したかったから

 
―就職活動はどのように行われましたか。

大学では国際協力や国際経済の分野を勉強していました。その影響からなんらかの形で人の役に立ちながら国際的に活躍できる仕事をしたいと思っていたので、当初はインフラ業界を中心に見ていました。

しかしちょうどそのころ、IT企業で働いている知り合いからITで社会課題を解決するプロジェクトに取り組んでいるという話を聞き、興味を持ちました。
また大学時代に挫折した経験から、成長したいという思いが強くあり、「安定」のイメージが強いインフラよりも、変化が激しいIT業界で働きたいと思うようになりました。

そこで国際的に活躍できそうなシステムインテグレータに軸を絞り、10社ほどエントリーした中に日本TCS(日本タタ・コンサルタンシー・サービシズ株式会社)がありました。

―日本TCSはどのようなところが魅力だと思っていたのですか。

日本TCSはインドを本拠地とするグローバルITサービス企業タタコンサルタンシーサービシズと三菱商事株式会社の合弁会社として2014年に発足した会社です。
私は2017年卒として就職活動を行っていたのですが、正直「日本TCSはまだ本当の意味で一つの会社として完成していないだろうな」と思っていたんです。

私は大学でヒンディー語の勉強をしていたので何度かインドに行ったことがあるのですが、インドと日本では文化がまったく違います。
例えばインド人は「知らない」とめったに言いません。知らない場所を聞かれたときにも、「知らない」とは言わずに他の人に聞いてくれたり、適当に答えたりします。日本人からすると「知らないなら知らないって言ってよ」と思うかもしれませんが、彼らに悪気はないのです。ただ文化が違うだけなんです。

この経験から、インド文化の影響を受ける外資系のTCSと日系企業が一緒になっても、最初からうまくいくはずがないと思っていました。
でも、整った環境よりもカオスな環境に飛び込んだ方が、結果的に成長できると感じました。まさに中学の先生が言っていた「狭き門より入れ」ですね。

就活をきっかけに、「できること」に目を向けられるようになった

 
結果日本TCSから一番に内定をいただき、そこで就職活動はやめました。

就職活動はつらいと思う人が多いかもしれませんが、私は自分がやってきたことを振り返るいい経験だったなと思います。
大学時代は何もやってなかったと思っていましたが、よくよく振り返ってみると、意外と頑張っていたんだなと気づきました。

これをきっかけに、自分の「できたこと」にようやく目を向けられるようになりました。「二次選考で落ちてしまった」ではなく、「一次選考は受かったんだ」という考え方ができるようになってからは、落ち込むこともなくなりました。

「仕事って楽しい!」から一転、スキル不足を痛感することに

 
―日本TCS入社後はどのような業務に携わられたのですか。

入社後の研修でビジネスとITの基礎をみっちりと勉強し、およそ半年後にソリューションエンジニアとして現在の部署に配属されました。
私が配属された部署は、製造業のクライアントに対して、製品開発のリードタイム短縮、品質向上、コスト削減などを目的としたシステムの設計、開発、運用・保守を行う部署でした。

入社1年目の10月からプロジェクトにアサインされ、先輩社員に同行してOJT(オンザジョブトレーニング)で仕事を学びました。
クライアントの工場を訪問し、設計から製造までの行程をヒアリングしたり、海外へ出張して現地の工場長と話をする機会に恵まれたり、すべてがはじめてのことだらけで、「仕事ってなんて楽しいんだ!」と感動しました。
実際には先輩社員に教えてもらっている立場だったので、今思えば仕事と呼べるほどのことはしていなかったんですけどね(笑)。

楽しかったプロジェクトから一転、次のプロジェクトではとても悔しい思いをしました。
入社1年目の冬頃、ある製造業のクライアントのシステム運用フェーズのプロジェクトにアサインされました。そのプロジェクトは先輩社員1名、インド人社員が1名、そして私というメンバーだったのですが、3ヶ月ほどで頼りにしていた先輩社員がプロジェクトを離れてしまったんです。

クライアントとインド人社員の間に立っていた帰国子女の先輩社員の役目を私が担うことになり、不安でいっぱいでした。
実際、インド人社員とクライアントの会議に参加しても、うまく間に立ってサポートすることができず、自分のスキル不足を痛感しました。
結局そのプロジェクトは自分で何もできないまま契約が終わってしまい、悔しさが残りました。

想像以上に過酷だったリーダー経験。「できません」と上司の前で泣いたことも

 
入社2年目の秋頃からは現在のプロジェクトにチームリーダーとしてアサインされ、2年以上経った現在もプロジェクトに携わっています。
オフショアメンバーとの保守運用プロジェクト経験があるとはいえ、入社2年目でリーダーを務めるのはかなりチャレンジングなことでした。
自分のスキルを考えると苦労することは目に見えていましたし、断ることもできたのですが、ここでも「狭き門より入れ」という信念のもと、イエスと答えました。

しかし、いざプロジェクトに入ってみると、リーダーとしての業務は想像以上に大変なものでした。
やらなければいけないことがたくさんある中、新しい仕事もどんどん降ってきて、それによって新しいスケジュールも組み直さないといけない…。

仕事のコントロールがまったく出来ていない中、さらに上司から「提案書作っておいて」と言われ、「できません」とついに上司の前で号泣してしまいました。
すると上司は「じゃあ一緒に作ろうか」と声をかけてくれ、無事に仕上げることができました。

このことをきっかけに、自分の抱えているものはもっと可視化して、いっぱいいっぱいになれば素直に助けを求めていいんだと気づきました。
その後も悪戦苦闘しながら、入社4年目でやっとクライアントの要求を整理し、提案に落とし込むところまでやりきれるようになりました。

海外に何倍も遅れをとっているデジタル化を推進し、日本を元気にしたい

 
―日本TCSの魅力はどこにあると思いますか。

入社2年目でリーダーに抜擢いただいたように、若手でもチャレンジさせてもらえる機会があり、成長を実感できるところです。
また、日本TCSはワンチームでやるという姿勢を大切にしています。

実際現場にいると、日本人社員よりもインド人社員の方がチームワークを重視していると感じます。インド人が道を聞かれて「知らない」と答えないのと同じで、こちらが助けを求めると、インド人社員はNOと言わずに助けてくれます。
逆に向こうが困ったことがあれば助けを求めてくれるので、自分が認められているのだと実感することができ、嬉しいです。

―中野さんは今後どのようなキャリアを歩みたいですか。

今までは自分のスキルを伸ばすことを最優先にしていましたが、今後は会社とクライアントのために後進の育成とナレッジ蓄積にも力を注いでいきたいです。
現在も業務の傍ら、人事と協力しながら部門の新人育成の計画を進めています。

また、日本の製造業に比べて海外は何倍もデジタル化が進んでいます。このまま日本企業が衰退してしまわないように、グローバルの知見を日本へ持ち込み、製造業のデジタル化を推進していきたいです。
日本を支えている製造業を復活させることで、日本を元気にしたいですね。

今までの価値観が不確かになっている時代。自分の“軸”を見つけよう

 
―最後に、これからのキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。

変化の激しい時代だからこそ、自分の軸=大切にしたいことが何かをよく考えてほしいです。
世の中で価値があると考えられていたものの価値がなくなり、今ある会社も職業も数十年後にはなくなっているかもしれません。そんな変化の激しい世の中で状況に流されず自分にとって最良の選択を行うために、自分の軸を持つことが大切だと考えています。

インド人の同僚と

自分の軸を見つけるには、自身との対話ももちろんですが、多くの人と出会うことが大切だと考えています。
様々な価値観や経験を持った人と話をする中で、共感することや逆に「私はそうは思わないな」と感じることが、自分にとって大切だと思うことを再認識することにつながるからです。

私自身はオンラインでの異業種交流会やコミュニティ活動を通して自分の軸を見つめ直す機会を設けています。
皆さんにもぜひ自分の軸=大切なことを見つめ直す機会を持ってほしいと思います。
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
趣味は映画鑑賞・美術館めぐり。