今回お話を伺ったあの• •

大澤 正彦(おおさわ・まさひこ)
日本大学 文理学部 次世代社会研究センター(RINGS) センター長 / 情報科学科 助教

1993年生まれ。東京工業大学附属高校、慶應義塾大学理工学部をいずれも首席で卒業。
学部時代に設立した「全脳アーキテクチャ若手の会」が2,600人規模に成長し、日本最大級の人工知能コミュニティに発展。
IEEE Young Researcher Award (最年少記録)をはじめ受賞歴多数。孫正義氏により選ばれた異能をもつ若手として孫正義育英財団会員に選抜。
認知科学会にて認知科学若手の会を設立・2020年3月まで代表。著書に『ドラえもんを本気でつくる(PHP新書』。夢はドラえもんをつくること。

「ドラえもんをつくりたい」という思いは、「ご飯を食べたい」と同じぐらい根本的な欲求だった

 
―現在の大澤さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。

物心がついたときにはすでに「ドラえもんがつくりたい」と思っていました。

それは僕にとって、ご飯を食べたい、眠りたい、女の子と仲良くなりたい、という欲求と同じぐらい根本的な欲求でした。

なので、「将来の夢は?」という質問に対して、周りが「パイロット」や「警察官」など、職業で答えていることに違和感を覚えていました。
自分の夢はドラえもんをつくることだけど、それがどのような職業と結びつくのかわかっていなかったので。

この頃からすでにドラえもんをつくることが夢だったという

なりたい職業でいうと、学校の先生になりたいと思っていたかもしれません。
幼少期から人の気持ちには敏感なのにアウトプットは不器用だったので、ずっと居心地の悪い学校生活を送っていました。
そのため、自分と同じような子どもにも居場所を作ってあげたいと思っていました。

―ロボット作りを始められたのはいつごろからですか。

小学校4年生のときに、地元で開催されていたロボット作り講座に参加したのが始まりでした。
でも、ロボットを操作するのが苦手で、「自動で動いて欲しい」と思うようになり、電子工作へと興味が移りました。

高校にもそのスキルを活かした推薦枠でコンピュータの専門学科に入りました。
これをきっかけに、すると今度は、自然に電子工作からプログラミングに興味が移りました。
ロボットの外側から入って、徐々に内側を見るようになっていったイメージです。

友人のおかげで、ずっと感じていた「居心地の悪さ」から解放された

 
東京工業大学附属科学技術高等学校には推薦枠で入学したこともあり、入学当初の成績はさんざんなものでした。

僕は中学までずっとおじいちゃんっ子だったんですが、高校に入ってからはあっというまに落ちこぼれてしまい、祖父の家にも顔を出しづらくなってしまいました。そして、次のテストこそは頑張ろうと思っていた矢先、祖父が突然亡くなってしまいました。

「こんなことなら、もっと早くおじいちゃんに会いに行けばよかった。」と大きなショックを受けました。
あのときほど猛烈な後悔をすることは、きっとこの先ないと思います。

そんな状況の中、勉強に集中することもできなかったので、テストは半ば諦めかけていました。
しかし、そんな僕に友人たちがテスト対策のテキストをわざわざ送ってきてくれたんです。
幼少期から居心地の悪い学生生活を送ってきた僕にとって、こんなにも「友達っていいな」と思えたことはありませんでした。

友人たちの支援のおかげもあり、次のテストではいきなり学年で10位に入ることができました。祖父の仏壇を前に良い報告ができ、とても嬉しかったのを覚えています。
このことをきっかけに、どの瞬間を切り取られても大切な人に顔向けできる生き方をしようと思いました。

その後の高校生活は、友人に恵まれたこともあり、とても楽しく過ごすことができました。
みんなで一緒にテスト対策を行ったり、友人の誕生日に500本の“うまい棒”で椅子を作って驚かせたり…。
そんな遊びでも中途半端にはやりたくなかったので、いろいろな学科の専門性を持ち寄って最終的には160kg乗っても壊れない“うまい棒”の椅子を完成させました(笑)。

一方で、ドラえもんをつくりたいという気持ちも変わっていなかったので、競技プログラミングや情報処理の全国大会に出場したりして、技術の腕を磨いていきました。

ノリも文化もまったく違う大学へ。人の価値観を知るために、研究を封印した

 
―その後、慶應義塾大学に入られて学生生活はどのように変わりましたか。

入学早々、同級生のノリと文化の違いに衝撃を受けました。
カラオケに行っても、みんなが歌っている曲を僕だけが知らなかったんです。

そのことに驚くと同時に、「世の中の価値観を知らない自分がドラえもんをつくっていいのか?」という疑問が浮かびました。
世の中の価値観を知らない人間がつくったロボットなんて、ドラえもんのように愛されるどころか、怖がられてしまうんじゃないか?と。

そこで、思い切って3年生までは授業以外で技術の勉強はしないことにしました。
その代わり、昔から続けていたバレーボールや児童ボランティアサークルの活動に力を注ぎ、人との交流を深めていきました。

子どもたちの「こんなこといいな できたらいいな」を真剣に考える

 
―その中で印象的だった出来事はありますか。

児童ボランティアサークルの活動の一環として、子どもたちと一緒に工作を行ったことが特に思い出深いです。
2階建ての建物を使って巨大ピタゴラスイッチを作ったり、プラネタリウムを作ったりしていたので、最終的に子どもたちからは“工作の神”と呼ばれるようになりました(笑)。

”工作の神”として子どもたちから慕われていた児童ボランティアサークルでの活動

ドラえもんの歌の歌詞に、「こんなこといいな できたらいいな」というフレーズがありますが、そう思えることがすごく大事だと思うんです。
普通は試してみる前に「そんなことできるわけないじゃん」と言われてしまいますからね。
叶わなそうなことを一緒に考えてくれる大人がいるだけで、子どもの人生はいとも簡単に変わると思います。

そして大学4年生になり、いよいよ封印していた研究に没頭するときがきました。
3年間研究を我慢していた反動はすさまじく、来る日も来る日も人工知能の研究に明け暮れました。
結果その成果が認められ、IEEE(アイトリプルイー)という学会の日本支部で最年少の21歳でヤングリサーチャーアワードを獲得しました。

また、それと同時期に、「全脳アーキテクチャ若手の会」も創設しました。
もともと山川宏先生や松尾豊先生が主催していた「全脳アーキテクチャの会」に参加させてもらっていたのですが、これからの時代を作っていく若手世代のチームを作りたいと思い、新たな会を創設させてもらいました。

のび太がドラえもんを怖がらないのは、よく知っている存在だから

 
―大澤さんの著書「ドラえもんを本気でつくる」も、在学中に出版されたのですね。

そうですね。在学中に出版したほうがいいと勧められたので、すごいスピードで書き上げました(笑)。
僕がこの本を出版した理由は、みなさんに「ドラえもんをつくるプロジェクト」の存在を知ってもらいたかったからです。


僕は将来、ドラえもんを発表したときに「大澤がつくったドラえもん」ではなく、「みんなでつくったドラえもん」だと感じてもらいたいんです。
「みんなでつくった」の第一歩は知ってもらうこと。突然ドラえもんの存在を世の中に発表しても、世間から愛されるどころか、怖がられる存在になってしまいますから。

なんでもできるドラえもんがのび太から怖がられていないのは、のび太がドラえもんのことをよく知っているからだと思うんです。
これはテクノロジーにとってすごく大切なことで、知ってもらうために努力することも研究者の仕事の一つだと再定義したいですね。

1対100で教えるのではなく、100人が100人に教えあう大澤研究室

 
―大学院卒業後、2020年4月からは日本大学文理学部の助教に着任されています。研究のフィールドを大学に選ばれた理由を教えてください。

大学院を卒業する際、「どこにフィールドを移せばドラえもんをつくるを叶えられるのか」、というところから逆算して今の仕事を選びました。
起業や大手企業への就職も考えましたが、僕の結論は大学に入って「大学を変える」ことでした。

現在、一般的な大学では一人の教授が100人の生徒を教えています。しかし、それではどうしても一方的で画一的な教えになってしまう。
そこで、僕の研究室はさまざまな分野の専門家が集まり、「教えあう」ことができるコミュニティーにしました。
このコミュニティーには全脳アーキテクチャ若手の会や僕も参加していた孫正義育英財団の仲間も多く参加してくれています。

現在では、世界中から約200人もの社会人や他大学の仲間が参加するコミュニティーになりました。

やりたいことがなくてもいい。まずは1週間、「やること」を決めてみて

 
―最後に、これからのキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。

「こんなこといいな できたらいいな、でもそれは無理だからここに就職しよう」という考え方はしないでほしいです。
僕のように、将来叶えたい夢と職業が必ずしも一致している必要はありません。

しかしこんな風に答えると、「そもそも夢がない人はどうしたらいいですか」という質問をもらうことがあります。
それに対して僕はいつも、「ダーツでもあみだくじでもいいから、まずはやることを決めてみたら」と答えています。

やりたいことが見つからずに立ち止まってしまうぐらいであれば、一時間でもいいから「これはやる」ということを決めて、迷わずにやってみる。
人は迷うことに時間を取られがちですが、逆に迷わない人は驚くほど早く能力を伸ばすことができます。

このアドバイスをきっかけに、居酒屋のメニュー表にあった「480円」について一週間調べまくったという後輩がいます。
1週間後、彼は世の中にある480円の商品やサービスについて誰よりも詳しくなり、誰かに「●●がしたい」「●●について悩んでいる」と言われたときに、それを480円でどのように解決するか答えられるスキルを身につけていました。

くだらないと思うかもしれませんが、これがあれば初対面の人と話のネタに困ることは一生ありませんよね。一生もののスキルというのは、案外一週間で身につくものもあるのかもしれません。
それを何週間もやれば、世界で一人の人材になります。そうすれば人生のさまざまな場面で選択肢が増え、その中からやりたいことも見つかるかもしれません。

やりたいことがないという人は、まずは1週間、迷わずに何かをやってみてください。  
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
趣味は映画鑑賞・美術館めぐり。