今回お話を伺ったあの• •

中村 真奈(なかむら・まな)
株式会社ガイアックス ジェニックラボ 事業責任者

慶應義塾大学卒。在学中に教育系ベンチャーに創業メンバーとして参画し、3年間事業運営を行う。ガイアックスに内定後、インターンとして新規事業に参加。2021年4月に正社員として入社後、2021年5月から子会社のジェニックラボの事業責任者に就任し、現在に至る。

世界中のユーザーと繋がれるアプリが、自分の世界を広げてくれた

 
―現在の中村さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。

幼少期は目立つことやみんなをまとめることが好きなタイプで、小学校では6年間学級委員をしていました。
スポーツも勉強も大好きで夢中になってやっていました。どちらかというと、やればなんでもできる!という無双モードに近かったかもしれません(苦笑)。

小学校4年生の頃に、国境なき医師団についての本を読み、衝撃を受け、「自分も世界で活躍する医者になりたいな」と医者という職業に憧れを持ちました。
そして、大学受験を見据えて中高一貫校への進学を決めました。

第一志望だった中高一貫校に無事入学することが出来、中学校生活ではテニス部での活動のかたわら勉強にも熱心に取り組んでいました。

一方で、この頃から英語を話していろんな国の人と話すことに強い憧れがあり、買ってもらったばかりのスマートフォンで、「メッセージバード」という世界中にユーザーがいるチャットアプリを始めました。自分が送ったメッセージがランダムに数人のユーザーに届くという斬新な仕組みでした(笑)。
そして、そのアプリを通して同世代のオーストラリア人、韓国人の女の子と仲良くなり、ほぼ毎日ビデオ通話で話すようになりました。

二人とは、後にリアルで会うことも出来て、今でも頻繁に連絡するような仲なんです。
インターネットというツールを通して自分の可能性が大きく広がる体験に心から感動したことを今でも覚えています。

中高での限られた人間関係は、少し狭い世界のように感じていた部分もあったので、この体験は自分の中でとても貴重なものでした。
そしてやはり、「色んな人との出会いを通して、自分の当たり前とは違う価値観に触れること」が大好きだったのだなと振り返ってみて思います。

来年4月の自分の姿を想像して、ワクワクする方を選べばいい

 
―高校入学後も医者になりたいという夢は変わらなかったのですか。

高校2年生までは変わらず医学部受験を考えていました。
しかし、高校3年生のときにSFC(慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス)の存在を知り、文理関係なく分野横断型で幅広い学問を自由に学べることに心がときめき、自分にピッタリではないかと直感的に感じました。
これをきっかけに改めて自分の将来や進路と向き合うようになりました。

そして、自身の好奇心旺盛な性格と行動力といった強みを存分に活かせる場所だと感じたことから、SFCで心ゆくまでチャレンジしてみたい、自分の可能性を最大限広げたいと思うようになりました。

当時の担任の先生からは、「来年4月にその大学にいる自分を想像して、ワクワクする方を選べばいい」と言われました。
振り返ると、その一言が自分の背中をぐっと後押ししてもらうきっかけだったかもしれません。
紆余曲折ありながらも、最終的にSFCへの受験を決め、無事入学することができました。

周りとの経験値の差に、初めて挫折感を味わった

 
―SFCでの大学生活はいかがでしたか。

実は、入学してすぐに人生初めての挫折感を味わうことになりました。自分は勉強も部活もそれなりに頑張ってきた方だと思っていましたが、同級生のレベルはまったく違って…。
同世代にも関わらず、すでに起業、留学、団体の立ち上げなどを経験した人がゴロゴロいました。
とてもじゃないですが、「高校のときに頑張っていたことは部活です」なんて言えるような雰囲気ではなかったんです。

自分はやりたいことを見つけに大学に入ったのに、周りはすでに目標や明確な志を持っている人たちばかりで。
彼らのキラキラしている姿に自分がとても情けなく思えてしまい、大学に行きたくないと思っていた時期もありました。

「子どものやりたいことを応援する新しい教育を作りたい」。教育系ベンチャーの創業メンバーに

 
―そこからどうされたのですか。

正直、これまで自分は部活と勉強しかやっていなかったため、特別な経験も原体験もありませんでした。
そんな状況の中で、「自分は社会に対して何がしたいのだろう。何が向いているのだろう。」と頭でぐるぐると考えていてもキリがない。
ワクワクする気持ちや自分の直感に従って行動してみることに価値があるのではないか、と考えました。

ベンチャー企業で見習いエンジニアとしてインターンをしてみたり、塾講師や家庭教師のアルバイトをしたり、アルティメットのサークルに入って未経験のニュースポーツにチャレンジしてみたり、全く経験のないデザイン系の授業を集中的に受講したりと、色んなことをひたすら経験しました。

そうするうちに段々と、自分の興味分野が徐々に明確になり「教育」という領域に身を置きたいと思うようになりました。
塾講師や家庭教師のアルバイトを続け、たくさんの中高生と出会う中で、教育現場における課題を強く実感したことがきっかけです。

塾や学校という画一化された教育環境では、どうしても生徒一人ひとりの小さな「好き」や「興味」は無視されてしまいがちですが、そこには多くの可能性が隠されていることを日々感じていました。
子供たちの好きなことや興味のあることに寄り添い、普遍的な力に繋げられるような、子供目線の新しい教育文化を作れないかと考えるようになりました。

大学一年生の冬、偶然にも自分が持っている教育への思いをそのまま実現しようとしている教育ベンチャー企業があることを知りました。
「子どもたちのやりたいをカタチに」というビジョンを掲げ、小学生向けの映像制作の習い事サービスを運営しているFULMAという会社でした。

運命的なものを感じ、社長宛に思い切って連絡をとって会いに行ったところ、運良くメンバーとしてジョインすることが決まりました。

―FULMAではどのような役割を担っていたのですか。

創業したばかりでメンバーが私を含め4人しかいなかったこともあり、コンテンツ制作やマーケティング、デザイン、企業向けの営業など、ありとあらゆる仕事を任せてもらいました。

チャレンジしてみたいと手を挙げたことは何でもやらせてもらえる、理想的な環境でしたね。
ビジネス経験が何一つない私を受け入れ、育ててくれた先輩方には感謝してもしきれません。

思うように業績が伸びなかったり、右も左もわからず遠回りをしたり、色んな困難はありましたが、自分が実現したいと信じる未来に向かって事業を作っていく経験は、心から夢中になれた、あっという間の3年間でした。

いいサービスは、いいチームからしか生まれないということ、誠実に愚直に自分たちが届けたい価値を突き詰めることが一番の価値になること。

FULMAで学んだことは今後も私の中での大切な価値観として存在し続けると思っています。

“ビジョン人間”だった自分を変えるためにガイアックスへ

 
―ガイアックスにはどのような印象を受けましたか。

「自由すぎる会社・ガイアックス」という記事を見たのがきっかけで、ガイアックスを知りました。
どの会社とも似ていない、独特な文化や世界観を持った会社だなと、興味を持ちました。
働く場所や時間はともかく、給与まで自分で決めるなんて、そんな自由な会社が存在するのかと、最初は信じられませんでした。

ガイアックスは社員ひとりひとりが自分の生きる上で成し遂げたい使命や大切にしたい価値観を持っていて、ガイアックスで働いているのはあくまでもその過程の一つという感じでした。
個々がしっかりビジョンを持って働いてるからこそ、独自の自由すぎるカルチャーが成り立っていることを理解しましたね。
どの社員さんに会っても目がキラキラしていて、これは本物だな、自分がなりたい社会人像だな、と感じたことを覚えています。

ガイアックスの同期たちと

特に印象に残ったのは最終面接です。社長の上田から、学生時代に携わっていた事業や、自分でチャレンジしたプロジェクトについて、かなりシビアに経営視点からフィードバックを受けました。
ガイアックスは自分の中でビジョンを大切にする会社だと思っていたので、数値目標はどう立ててたの?戦略やリスクは?達成率とその要因は?など、経営視点でのシビアな質問ばかりが飛んできて正直焦りました(笑)。

その場でうまく答えることができず、かなり悔しい思いをしたのと同時に、ビジョンや想いももちろん大切だけれども、社会的にインパクトをもたらすためには、事業をいかに拡大させ、人を巻き込み、仕組みを作り上げていくか、という経営視点はそれ以上に必要であることを改めて実感しました。

まさしくそれが今の自分に足りないところなのだとハッとさせられ、ここで働きたいなと強く思うきっかけになりました。

入社1ヶ月で子会社の事業責任者を任されることに

 
―ガイアックスに入社されてからはどのようなことに携わっているのですか。

大学4年生の9月から内定者インターンとして、オンライン配信のコンサルを行う新規事業に携わっていました。
卒業論文のかたわら週4日で働いていたので、目が回るような忙しさでしたが(苦笑)。
そのまま4月から正社員として入社し、5月からはガイアックスが買収したSNSマーケティングを行う子会社の事業責任者を任されることになりました。

―入社1ヶ月で子会社の事業責任者ということにプレッシャーは感じませんでしたか。

最初は驚きましたが、事業が目指すビジョンに自分が心から共感できたこと、かつクリエイティブという領域としても自身の得意分野であったため、迷いなく引き受けました。

プレッシャーがないわけではないですが、各方面で先輩社員の方々にサポートいただいたり、アドバイスをいただける環境なので、本当に心強いです。

ジェニックラボのメンバーたちと

事業全体を見る立場になったことで、1週間先のタスクしか考えていなかった今までと違い、3ヶ月先、半年先、一年先を常に考える必要があるので、かなり視座が変化したなと思います。
また、経理や法務などのバックオフィス、採用や組織作りなど会社経営の全体像を把握し、そこに対して責任を持つことは、自分で起業しない限り滅多にない機会だと思うので、それも有難いなと思っています。

もちろんこの数ヶ月はかなり大変でしたが、正直楽しさの方が勝っていますね。
引き続き楽しみながら毎日駆け抜けて、関わる人全てが幸せになる事業を作りたいと思っています。

「とりあえずやってみる」ことが、その後の自分を作ってくれる

 
―今後中村さんがやりたいことはなんですか。

「素敵な事業」を沢山生み出したいです。
事業を作る面白さは、自分一人で社会に貢献する活動よりも何倍もの価値を出せることと、自分たちも幸せになれるというwinwinな状態を作れることにあると思っています。

だからこそ、誰にどんな価値を届けたいかを突き詰めて、価値を創出し続けることと、関わる人全員がワクワクしながら幸せに働けている状態を作ることのどちらも両立することこそが、「素敵な事業」ではないかなと思っています。
もちろんその分難易度は高いですが、挑み続けたいなと考えています。

また、自分の興味やモチベーションの源泉には「まだ世の中にない新しい流行や文化を作る」というキーワードがあるので、それを軸にこれから色々仕掛けていきたいなと思っています。

―最後に、これからのキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。

「まずはやってみること」を大切にしてもいいと思います。
私自身、深く考えずに色んなことをまずやってみるというスタンスでしたが、行動に起こすことによって自分の向き不向きや好き嫌いがはじめて分かったり、そこから思わぬ発見に繋がったりしました。


少し遠回りなことはあるかも知れませんが、学生時代はそれが許されるくらいの十分な時間があると思っています。

そして、やってみた後に、行動した軌跡を振り返り、自分なりのストーリーを落とし込むことも同じくらい重要だと思います。
過去を振り返って点と点をつなげてあげることで、自分が大切にしたいことや、自分なりの考えや知見がどんどん明確になってくるのではないかなと思います。

根気のいる作業ですが、自分自身の納得感も、第三者に伝えた時の説得力も段違いなので、大切にして欲しいです。
「自分オリジナルのストーリー」は大きな武器となって、その後の自分の可能性を大きく広げてくれるものになるはずです。
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
趣味は映画鑑賞・美術館めぐり。