今回お話を伺ったあの• •

藤谷 大樹(ふじや・たいき)
富士通株式会社 ソーシャルデザイン事業本部

北海道大学卒。文学部では日本語とコンピュータの関わりに興味をもち、言語・文学コースの言語情報学講座にて、言語情報学と日本語を中心に学ぶ。卒業後、富士通株式会社に入社。入社一年目から事業企画へ配属され、携帯電話事業の販売戦略に携わる。その後IoTサービスの立ち上げ・海外共同事業や、観光事業の支援、Web運用・デジタルマーケティングを経て、現在はソーシャルデザイン事業本部の事業業務に携わる。

「人に負けたくない」という気持ちで進学校に入学したが…

 
―現在の藤谷さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。
 
私は北海道出身で、道内で何度か引っ越しを経験したものの、大学卒業までずっと北海道で過ごしました。
幼い頃は運動神経が悪いくせにすごく負けず嫌いな性格だったので、周りの人と自分を比べて悔しい気持ちになることも多かったです。

負けず嫌いな性格のせいもあって、中学校では勉強ばかりしていました。
運動が得意ではなかったので、せめて高校は進学校に行きたいという気持ちがあったからだと思います。

ところが、受験期になってやんちゃな友達に勉強を教えてみると、あっというまに自分の成績を抜かされてしまいました(苦笑)。
目指していた高校に入学することはできたものの、自分の実力はこの程度のものか、と冷静に見ている自分がいました。

頑張って入った高校は、やはり周りは自分よりも頭のいい人たちばかりで、すっかり自信をなくしてしまいました。
テストのたびに同じく成績の良くない友達と、「(下から数えて)TOP10入りしたわ〜」なんて自虐を飛ばしていました。

ミスチルのWebサイト制作に没頭する中で、“言語の定義”に興味を持った

 

同時期に夢中になったのが、Webサイト制作でした。
当時私はMr. Childrenの大ファンで、2001年ごろはまだ公式Webサイトがなく、独学でMr. Childrenの情報を集めたWebサイトを作り始めました。
時間を忘れて深夜まで夢中になっていたので、親に怒られるほどでした(苦笑)。

Webサイトを作るときには、ルールに沿ってコードを書いていきます。
見出しは< h1 >< /h1 >、段落は< p >< /p >で囲う…というようなルールです。
その中で、「言葉を強調したいときには、名詞のみを太字にするべきか?動詞までを太字にするべきか?」というような、言葉の定義や使い方に対する興味が湧いてきました。

それをきっかけに、言語についてもっと勉強してみようと思い、地元だった北海道大学の文学部に進学しました。

―大学ではどのように過ごされていましたか。

大学では言語情報学を専攻し、言葉の歴史や品詞の役割などについて学んでいました。

変わらずwebサイトの運営も続けており、WordPressなどの個人でも使えるアプリケーションを導入したり、自分のサイトに広告を載せておこづかいを稼いだりしていました。
高校時代から始めたWebサイトの運営は、その後10年ほど続けました。

就職活動の時期になって、大手メーカーを中心に10社応募しました。
一応教員免許も持っていたので、まずは自分が行きたいと思う会社だけ応募してみようと考えていました。その中の一つが、富士通でした。

大学時代のアルバイト経験が買われ、一年目からまさかの事業企画へ配属

 
―富士通には何故興味を持たれたのですか。

大学時代に携帯電話を販売するアルバイトをしていたことがきっかけでした。
富士通は携帯電話のソフトウェアとハードウェアの両方を取り扱っていたことに興味を持ち、アルバイト時代のセールス経験を活かすなら多様なビジネスを手掛ける企業にしたいと考えていました。

しかし面接の際に、アルバイト時代の話をしたところ、何故かセールスではなく携帯電話事業の事業企画に誘われました。
アルバイトとはいえ、自分なりに接客人数や販売個数の目標を立てて行動していたということが買われたようでした。

数字を扱うことに苦手意識があったので、本当に自分がやっていけるのか不安でしたが、こんな機会はめったにないと思い、事業企画の道を選びました。

―事業企画ではどのようなお仕事をされていたのですか。

年度ごとに携帯電話事業の売り上げ目標を決め、そのためには携帯電話をいくつ作っていくつ売るのかという計画を立てていく仕事です。
もちろん事業企画だけでは決められないので、工場やセールス、リサーチ部門と相談をしながら取りまとめをしていきます。

簡単なことではありませんでしたが、集約した数字がぴたっとはまって、それに向けてみんなで一丸となって進んでいくときには、大きなやりがいを感じました。

他にも他社の買収や事務所移転計画、販路の拡張など、とにかく何でも経験させてもらいました。
あまりにも幅が広いので、事業企画と言えるのか?というような仕事も中にはありましたが、いい経験だったと思います。

多様なキャリアを経て考えたことは、人が活動し続けられる社会への貢献

 
―その後の歩みについても教えてください。

入社して6年が経ったころ、ジョブローテーションでIoTの商品企画部署へ異動しました。
同じ企画といっても事業企画とはまったく別物ですし、ましてやIoTに関する知見もほとんどなかったので、最初は戸惑いました。

事業企画のキャリアから離れた異動でしたが、予想もしなかったことに巻き込まれていく運は強いのかもしれません(笑)。

IoTの部署では、エンジニアとして位置情報サービスの立ち上げ、海外ベンチャーからの機器調達、海外拠点への納品や技術的なQAサポートをしていました。
IoTの後は、Web運用・デジタルマーケティングに携わりました。顧客のwebサイト運用やリニューアルでは、昔Webサイトを運営していた知識を大いに役立てることができました。
高校時代にMr. Childrenが好きで始めたことが、まさか仕事でも役に立つなんて思いもしませんでした。

―今後実現していきたいことは何ですか。

今はまた事業業務に戻っており、人が活動し続けられる社会の仕組みを作っていきたいです。
観光事業や流通事業の一部自動化・情報共有の仕組みの整備が、まずきっかけになると考えています。

また、地域で活動する人が長く所有していた土地や物を手放さないといけなくなったとき、きちんとその地域で回す仕組みを作ることができれば、SDGsの取り組みにもつながっていくと思います。

“多様なキャリア”だからこそ、歩める道もある

 
―最後に、これからのキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。

私が“多様な”キャリアを歩んできて思っていることは、「キャリアプランを描けないことを自己否定する必要はない」ということです。

世の中には始めからしっかりとキャリアプランを描いてつき進んでいく人もいますが、年月で技術や社会は変わりますし、キャリアについての考え方も変わります。
私のように気がついたらここにいた、という人もいます。

振り返ると自分のキャリアへの意識が不足していたことは反省点ですが、歩んできた道とスキルを否定はしません。
新しいことを始めるとき、多様なポジションからの視点が最初に求められますから。

だから、「キャリアプランを描けない」という人も決して自己否定せず、まずは自分ができることを肯定してあげてください。
やりたいことや評価は、時代や世の中の流れによって変わります。
そのぐらい変わりやすいものについて考えられることはもちろん素晴らしいですが、考えられていない箇所を認識することも大事です。
わからない・できていないことを認識して進み、深刻に自己否定する必要はないと思います。
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
趣味は映画鑑賞・美術館めぐり。