今回お話を伺ったあの• •

工藤 清香(くどう・さやか)
株式会社ユーグレナ/サステナブルマーケティング部

東京外国語大学卒。外資系企業の日本支社やアントレプレナーシップ人材を支援する認定NPO法人、シンガポールのスタートアップ企業等で長期インターンを経験後、2021年に株式会社ユーグレナへ入社。“多くの人の原体験の場所(ふるさと)の持続可能性を守る”ことをミッションに、サステナブルマーケティング部のメンバーとして日々奮闘中。

自然との共生は当たり前ではない。幼少期の経験から、“サステナブル”について考えるように

 
―現在の工藤さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。

幼少期は小学校の同級生が5人しかいない、山村集落のような場所で育ちました。
実家の周りには田んぼが広がっていて、人よりも先に動物に出会うような自然豊かなところです。

実家の近くには小川が流れており、夜になると蛍がたくさん集まっていました。
幼い私にとって、母に手を引かれて蛍を見にいくのはとても特別な時間でした。
しかし、いつからかその小川に蛍がたくさん集まることが評判になり、遠くから多くの人が押しかけるようになりました。
すると翌年には蛍の姿が消えてしまい、とてもショックを受けたことを覚えています。

それまで自分は当たり前のように蛍と共生していたはずだったのですが、環境をきちんと守らないと共生はできないのだと実感した出来事でした。
“環境”というのは、自然環境はもちろんですが、それだけでなく、例えばその自然環境を持続させるために必要なシステムやリソースなど広義な意味での環境です。
その経験をきっかけに、今でいう“サステナブル”を意識するようになりました。

故郷・岩手の風景。自然に囲まれた環境で、“サステナブル”を意識するように

高校時代の留学経験から、「日本の先進性とは何だろうか」という疑問を持った

 
学生生活の中で大きな転機となったのは、高校2年生のときのオーストラリア派遣でした。
派遣期間は1ヶ月と短かったものの、日本との文化や価値観の違いに衝撃を受けました。

もっとも違いを感じたのは、働くことに対する意識の持ち方です。
ホストファミリーの家に滞在していると、お父さんが夕方4時には仕事を終えて帰ってくるんです。
これまで私が生きてきた世界では、想像できないスケジュールです。
そのあとは私たちと一緒に海に行って遊んだりしていたので、日本と比較し、「こんな感じでも経済は回るんだ」と驚きました。

また、現地の学校を訪れたときに、女性の校長先生と話す機会がありました。
その方は私に女性を取り巻く環境と生き方について熱心に話をしてくれました。
そして、「日本は女性のキャリアに対する考え方が遅れているとも言われている。そのような中であなたはオーストラリアに来る機会を得ている。自分の生き方は自分でしっかりと考えてみてほしい」と言われました。

これらのことをきっかけに、何故日本とオーストラリアでここまで違うのか、日本は一般的に先進国と言われているが、それはどの部分なのだろうかという疑問を持つようになりました。

東京外国語大学に入って、“世界は狭く、日本は広い”ことに気づいた

 
―大学生活について教えてください。

オーストラリア派遣をきっかけに、もっと広い世界を見てみたいと思い、日本人学生に対して最も留学生の比率が高く、専攻できる地域や言語の数も多い東京外国語大学でインドネシアを中心とした東南アジア地域を専攻しました。

東南アジア、中でもインドネシアを選んだのは、高校生時代にみたインタビューでとある国連職員の方が「大きい言語を一つ、小さい言語を一つ習得しなさい」と答えていたことがきっかけでした。
当時これから急成長していくと言われていた東南アジアの中で、もっとも人口の多いインドネシア語を話せれば、東南アジアの中で最も多くの人と自分の言葉で話せるようになると考えていました。

インドネシアで出会った友人と。真ん中が工藤さん

東京外国語大学でのさまざまな国の留学生や、個人的に参加していた国際的なボランティア活動などを通して感じたのは、“世界って実は狭いんだな”ということでした。
国籍は違えど日々の会話で盛り上がるのは、恋バナや流行の話など、いわゆる大学生らしい話ばかりでした。
逆に、海外出身の友人から「今度香川に行くんだけど、おすすめのうどん屋さん教えて」と聞かれて、何も答えられない自分がいました。

広い世界を知りたくて東京外国語大学に入ったものの、自分が思っている以上に世界は狭く、そして日本は広いんだということに気づきました。

「何のために働くんだろう」。ずっと感じていた疑問を、インターン先でぶつけてみた

 
―就職活動について教えてください。

最初は国際的なキャリアにも関心があったのですが、実際にインドネシアを訪れてみると、その考えは変わりました。

スラム街に住んでいる人でも、「今の生活が幸せなんだよね」と笑っている人がたくさんいましたし、超優秀層と呼ばれる同年代の人たちは、この国をもっと豊かにしたいという熱い志を私よりも圧倒的に流ちょうな英語で私に語ってくれました。
そのような実体験を得て「きっとこの国は、この国の人たちが力強く生きながらつくっていくのだろう」と思い、自分はまずは日本で働いてこれまで社会からいただいてきたものを還元しようと決めました。

一方で、このままただ大学生活を送って、就職をするには、あまりにも自分は“働く”ということに対するイメージを持っていないと感じていました。
そのため、外資系企業の日本支社やアントレプレナーシップ人材を支援している認定NPO法人、シンガポールのスタートアップ企業などで長期インターンを行い、生きることと働くことについて自分なりの考えを深めていきました。

シンガポールでの長期インターン時。左から2番目が工藤さん

その中で、ずっと感じていた「何のために働いているのですか」「働くって何ですか」「どうして日本はwell-beingな暮らしができていない方が多いのでしょうか」という疑問を社員の方にぶつけたこともありました。

すると、ある社員の方が「今の社会を維持するためには、日本の経済はもっと成長しなければならない。どのようなアプローチをとるかで、たくさんの職業が生まれている。その中で私たちは生きながら働き続けるのではないか」という、今までの自分にはまったくなかった観点での意見をいただきました。

この意見を聞き、自分はまずは直接的に資本と向き合うビジネスセクターで働き、もっと社会における“経済活動”を理解し、感覚を身につける必要があると感じました。

業種や職種よりも、“人生の価値観”を共有できる場所で働きたかった

 
―ユーグレナとの出会いについて教えてください。

インターンでさまざまな業務を体験し、自分は配属された場所でそれぞれの楽しさを見つけることができるタイプだと自覚していたので、業種や職種よりも価値観を共有できる企業で働きたいと思っていました。
そんな中で出会ったのが、当時「人と地球を健康にする」という経営理念を掲げていたユーグレナでした。

ここであれば、私の人生の大テーマである、“多くの人の原体験の場所(ふるさと)の持続可能性を守る”という価値観を共有しながら働けるのではないかと思い、選考を受けました。

就職活動を始めるまでのインターンやボランティアなどの経験を通して私の”軸”の部分は定めていたので、多くの企業の選考を受けながら自分の軸を探すというステップは必要ありませんでした。

あくまで自分の価値観に合いそうなところを探していたことに加え、就職活動は企業側が学生を一方的に評価する場ではなく、学生側も一致不一致を確かめる場であるはずだと強く意識していました。

そのような意味で、ユーグレナがだめだったら他の会社を受けてみよう、という感覚だったのですが、ありがたいことに内定をいただき、また私もこの場所で挑戦してみたいと感じたため、ほとんど就職活動らしい活動をしないままユーグレナ1社だけを受けて入社を決めました。

―ユーグレナに入社されてからはどのようなことに携わっているのですか。

1ヶ月の研修を経て、サステナブルマーケティング部に配属されました。
入社するまでマーケティングにはあまり興味はなかったのですが、マーケティングを学んだことで世の中の見え方が変わり、社会の中で具体化されているマーケティングを日々発見しては驚きと喜びの連続です。

ユーグレナはコーポレートアイデンティティとして、Sustainability First(サステナビリティ・ファースト)を掲げており、マーケティングの中にもその考え方が浸透しています。
大量生産・大量消費ではなく、マーケティングをもちいて本当の意味で適切な市場活動を実現したいと仲間全員が考えているので、意思決定の場面でも“ユーグレナらしいか、そうじゃないか”という観点を大切にしています。

選択するのは自分次第。“人生の主体者”として、生き方をデザインしよう

 
―工藤さんは今後どのようなキャリアを歩みたいですか。

キャリアの描き方には、点と点をつないで最終的に線になっていくタイプと、最初から自分のイメージの絵があり、絵を描くための材料を集めていく2つのタイプがあると思っていて、私は圧倒的に後者だと思っています。

ふるさと、自然、共生というキーワードが私の原体験にあり、過疎化や人によるエコシステムの破壊などといった問題を抱えるそれらに自分の経験を還元できる生き方をするのが私の人生で成し遂げたいことです。
ユーグレナで働くことはそのゴールへ至るまでのひとつの過程であると考えているので、持続可能な社会を作るための経済活動についてもっと学んでいきたいと思います。

―最後に、これからのキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。

一度きりしかない人生を作っていくのは自分なので、つねに“自分の人生の主体者”であってほしいです。
誰しもが様々なライフイベントを積み重ねつつ、学び、働いていくのだと思いますが、やりたいこと、やらなければならないこと、偶然と必然、不慮の出来事、理想と現実など、それらを含めて、受け入れて、自分が選択をしていく。そのことが、“人生をデザインする”ということなのだと思います。

そのことに40歳で気づくのと、18歳で気づくのとではきっと大きく人生が変わってくるのではないでしょうか。

あらゆる人の営みによって作られている社会だからこそ、自分の人生は自分で作りうるものであると同時に、作らなければならないものなのだと思います。
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
趣味は映画鑑賞・美術館めぐり。