今回お話を伺ったあの• •

長崎 弘明(ながさき・ひろあき)
三井化学株式会社/ADVANCED COMPOSITES, INC.在籍

早稲田大学卒。幼少期はイギリスで6年間を過ごし、大学時代はシンガポールに2年間留学。新卒で三井化学に入社後、出向先のグループ会社で化学素材の営業を経験。入社5年目からはアメリカにあるグループ会社に出向し、営業部唯一の日本人として自動車部品向け材料の販売に携わる。

自分の“アイデンティティの曖昧さ”に悩んだ学生時代

 
―現在の長崎さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。

良くも悪くも自分のルーツに大きな影響を与えたのは、小学校時代をイギリスで過ごしたことです。
「帰国子女」と言えば聞こえはいいかもしれませんが、自分の”アイデンティティの曖昧さ”にかなり苦しみました。

言葉がわからないイギリスではいじめられることが多かったですし、日本に戻っても「帰国子女」という色眼鏡で見られてしまう。
日本語も拙い部分があったので、部活に入ったり、周りのヤンキーと呼ばれる人に合わせてやんちゃな遊びをしてみたり、とにかく周囲に馴染まなければと必死でした。

高校に入ると周りも個性豊かな人が多く、はじめてのびのびとした学生生活を送ることができました。
進学校だったものの、勉強はまったくせずにアメフトの練習ばかりしていました。
いわゆる“根性論”の世界だったので、精神的・肉体的にあそこまで追いこまれたことは後にも先にもありません(苦笑)。
でも、自分にとってはすごくいい経験だったと思います。

過酷な練習を乗り越えたアメフト部時代

大学は一浪の末、早稲田の国際教養学部に入りました。
本当は京大でアメフトを続けたかったのですが、一浪してもそこには届きませんでした。
しかも一緒に京大合格を目指していた彼女だけが合格し、その後すぐにフラれるという出来事も起こり…。
何もかもがうまくいかない、いわば人生の“暗黒期”でした。

成績が下がれば強制帰国。自分のコンプレックスを武器に、あえて厳しい環境に飛び込んだ

 
―大学ではどのように過ごされていましたか。

結論から言うと、帰国子女や外向的な人が集まる国際教養学部でも自分はうまく馴染めませんでした。
自分も帰国子女とはいえ、両親はあくまでも私を「日本人らしく育てる」という方針だったので、大学の国際色豊かな環境についていけなかったんです。
だからと言って日本語がそこまで得意ではない自分が、日本というフィールドで勝てるとも思わない…。

それであれば、この“アイデンティティの曖昧さ”を武器にするしかないと思いました。

国際教養学部は最低でも1年は必ず留学しないといけないルールになっているのですが、「海外で戦える人材になる」と決めた私は、あえて2年間のシンガポール留学を選びました。
そのコースは留学費を全額免除する代わりに、成績が一定のラインを下回ったら強制帰国という厳しいものでした。

留学後の成績はいつも強制帰国ギリギリのラインでしたが、昼夜を問わず必死に勉強し、なんとか2年間通うことができました。

日本は“大学に入ることがゴール”という雰囲気がありますが、海外では大学の成績でその後のキャリアが大きく変わります。
だからこそ誰もが「どんな手を使っても成績を上げる」という気概で勉強していて、熾烈な学歴社会の怖さを知りました。

帰国時には多くの仲間が見送りに来てくれた

志望動機は聞かない。一人一人の“個性”を認める三井化学に惹かれた

 
―就活についてはどのように考えていましたか。

シンガポールでは長期インターンも行っていたのですが、そこでの経験から将来は営業をやりたいと思うようになりました。
というのも、インターン先の日本人社長がいわゆる“THE・営業パーソン”で、魅力的な人柄とガッツを強みにどんどん事業を広げて収益を上げていました。
そんな彼のように、どのフィールドにおいても活躍できる営業になりたいと思いました。

シンガポールでの留学が終わると、日本で就活を始めました。
特定の会社や業界へのこだわりはとくにありませんでしたが、日本独自の強みを持っているところがいいなと思っていました。

車や電化製品などの最終完成品においては今や海外のメーカーも強い力を持っていますが、その中に使われている部品や素材はまだまだ日本製のものが多い。
この分野であれば世界でも勝負できるのではないかと思い、化学系メーカーや部品系メーカーを中心に7〜8社の選考を受けました。

留学先のインターンでお世話になった社長。この人に憧れて営業を志すように

―その中で三井化学を選んだ理由は何ですか。

一人一人の個性を尊重し、誠実に向き合ってくれる会社だと思ったからです。
私は面接でよく聞かれる「他社ではなく弊社を選ぶ理由は?」という質問が苦手でした。
世界を相手に営業として活躍したいという気持ちはありましたが、“その会社でなければいけない理由”は正直なかったからです。

三井化学の選考ではそのことを察してくれていたかのように、最初から最後まで志望動機を聞かれませんでした。
ESは書きたいことを書いていいという形式でしたし、面接はおしゃべりをしている間に終わったという感覚でした。

これらの独特な選考を通じて、この会社であれば“アイデンティティの曖昧さ”という自分の個性を認めてくれるのではないかと思い、入社を決めました。

喫緊の課題は、“環境問題への配慮”。持続可能でなければ、世界から取り残される

 
―入社後はどのような業務に携わられているのですか。

入社1年目から4年目まではプライムポリマーという三井化学と出光興産の合弁会社に出向し、化学素材の営業を行っていました。
入社1年目から「海外関連の営業をやりたい」という希望を汲んでいただき、入社5年目からはADVANCED COMPOSITES, INC.というアメリカのグループ会社で働いています。
入社5年目でアメリカに駐在した社員は私がはじめてということなので、その期待に応えなければと日々奮闘しています。

入社1年目から希望していた海外関連の営業として活躍

三井化学は、自動車向けPP樹脂という石油由来の化学材料において世界シェア2位、ADVANCED COMPOSITES, INC.はアメリカシェア1位を占めており、まさに世界を相手に勝負している会社です。

石油由来の商品を取り扱っている私たちにとって喫緊の課題は、 “環境問題への配慮”です。
SDGsやESGが注目される中、今後はクオリティだけでなく環境にも配慮した商品を作らなければ企業は生き残っていけません。
石油を掘らない、プラスチックを捨てないということを信条に、持続可能な商品の開発を世界から要求されています。

非常に難しいテーマだと感じる一方で、世界から取り残されないようにこの課題に食らいついていかなければと思います。

自分の“あり方”を受け入れた瞬間に、人は大きく跳ねる

 
―今後長崎さんはどのようなキャリアを歩みたいとお考えですか。

三井化学は新たに欧州拠点を立ち上げ、新たな地域でも影響力を強めていく方針なので、まずはそれに貢献したいです。
そのあとは化学メーカーという業界を軸に、いろいろな国で仕事ができればいいなと思っています。
今は自動車産業に携わっていますが、それ以外の業界も経験してみたいですし。

あと、実は将来東南アジアでドリアン農家になりたいという夢もあるんです。
シンガポールに留学しているとき、ドリアンの美味しさにハマってしまいまして…。
日本ではあまり人気がないですが、果物の王様と言われるだけあって本当はとても美味しいんですよ。
その美味しさを世界中の人に知ってもらいたいので、仕事をリタイアしたらドリアン農家になろうかなと思っています。

―最後に、これからキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。

“自分のあり方”を受け入れた瞬間に、人は大きく跳ねることができると思います。

私は帰国子女で日本語が拙いことにコンプレックスを感じていましたが、その“アイデンティティの曖昧さ”を受け入れて、武器にすることができました。

世の中に強みのない人はいませんし、それが活きる場所は必ずあります。
日本は「弱みを克服して平均点を目指す」という考え方が多いですが、無理に弱みを克服するよりも、自分の強みが活きる場所を選べばいいと思います。

強み・弱みを含めた自分の“あり方”を受け入れて、それが活きる場所を探してみるのがいいのではないでしょうか。  
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
趣味は映画鑑賞・美術館めぐり。