今回お話を伺ったあの• •

稲葉 仁(いなば・ひとし)
株式会社エス・エム・エス/シニアライフサポート事業部

東北大学大学院工学研究科修了後、2018年にエス・エム・エスに入社。入社後は介護事業者向けSaaSのインサイドセールス、リフォーム事業の法人営業やカスタマーサクセスを経験。現在は建て替えサービスなどの新規事業立ち上げを行っている。

輝いていた幼少期から一転、“自分の平凡さ”に気付かされた中学時代

 
 
―現在の稲葉さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。
 
 
自分で言うのもなんですが、小学生のころは特に努力をせずとも勉強もスポーツもそこそこでき、高い自己肯定感を持ちながら仲間に囲まれて楽しく過ごしていました。

しかし中学受験を経て入学した中高一貫の進学校では、何においても平均的かそれ以下で、自分の平凡さを強く感じさせられた時期でした。

周りはお医者さんや社長の息子ばかりだし、小学校ではサッカーチームでキャプテンをやっていたのに、中学では2番手チームの1メンバーからのスタート。
成績も良かったのは最初だけで、どんどん下がっていきました。今思えばただ単に努力不足だったのですが、それなりに打ちのめされていましたね(笑)。

それでもせめてサッカーだけは頑張ろうと思い、毎日練習に明け暮れていました。
最終的に全国大会の出場メンバーに入れたことによって、やっと自分の居場所が見つかったような気がしました。
 

「あと1年でこの生活は終わるのか」。サッカーしかやってこなかった自分の将来に不安を感じた

 
 
その後受験勉強することも将来について考えることもないまま、エスカレーターで高校に入学しました。
高校でも変わらずサッカー中心の生活を続けており、週6日以上サッカーに取り組むというハードな日々が続いていました。

しかし、高校2年生のときに転機が訪れます。
仲の良かった友人が練習中に怪我をしてしまい、2年生の途中で引退になってしまうかもしれないという事態が起こりました。
それを聞いた私は、「そうか、あと1年でこの生活は終わるのか」と急に実感し、それと同時に自分の将来に不安を感じました。

周りは受験に備えて勉強を始めている中、自分はただサッカーだけをやっている。
プロになれるわけでもないのに、このまま残りの高校生活をすべてサッカーに捧げたままでいいのだろうか、と。

悩みに悩んだ結果、残りあと1年というタイミングでサッカーを辞めることにしました。
 
 
―小学校から続けてきたサッカーを高校2年生で辞めるのは、かなり勇気のいる決断だったのではないですか。
 
 
そうですね。仲間からも反対されましたし、自分でも辞めたら後悔するんじゃないかとかなり悩みました。
でも、辞めても辞めなくても結局は後悔する。それであれば、将来のために有限な時間を使おうと思ったんです。

それ以来、ガラッと切り替えて受験勉強に打ちこむようになりました。
「勉強する」と言ってサッカーを辞めた手前、ちゃんと勉強して結果を出さないと格好がつかないですからね(苦笑)。
その結果、東北大学工学部に入学しました。
 

大学ではロケット作りに熱中。PMの面白さを知り、文系就職を決意

 
 
―大学ではどのように過ごされていましたか。
 
 
勉強もそれなりにしていましたが、一番ハマったのはロケット作りを行うサークルでの活動です。
スポーツ系の部活に入ろうか悩んでいた私に、そのサークルを作った先輩が「スポーツは大学生同士の競争だけど、俺たちが競う相手はJAXAやNASAだ。それを一緒にやらないか?」と誘ってくれたんです。
大げさでしたけど、その言葉とビジョンにすごく惹かれ、大学時代はロケット作りに打ちこみました。

私たちの代では、固体燃料と液体の酸化剤を使って全長1.8mのロケットを上空に400m〜500m飛ばしていました。
それでも結構すごいことですが、後輩によると今では上空に2kmも飛ばしているらしいです。すごいですよね。
 
 
―将来についてはどのように考えていましたか。
 
 
もともとは公務員と看護師だった両親の影響から、将来は社会の役に立つ仕事に就きたいと思っており、その中でも当時の日本の強みであったものづくりに携わりたいという気持ちで工学部を選んだんです。

しかし卒業研究やロケット作りを行う中で、自分は研究職よりも全体像を見ながら意思決定し、プロジェクト全体を遂行していくPM(プロジェクトマネージャー)や事業責任者的な役割のほうが好きだと気づきました。
世の中で何が求められているのかということを自分で考え、全体を設計するような業務になるべく早く関われたほうが、楽しく働くことができそうだなと思ったのです。

そのため大学院まで研究を続けましたが、途中からはいわゆる文系職に絞って就活を始めました。
 

社会課題に“自分ごと”として向き合いたい。そのときに出会ったのがエス・エム・エスだった

 
 
―就職活動について教えてください。
 
 
文系職の仕事についてあまりにも知識がなかったので、特に業界は絞らず、研究の合間を縫って外資系コンサル、外資系金融、ベンチャー、大手IT系など、さまざまな企業のインターンに参加しました。エス・エム・エスに出会ったのもそのころです。

それらのインターンを通じて感じたことは、やはり自分は富裕層や大企業など、一部の人ではなく、より多くの人の役に立ちたいということ、そしてそれを“自分ごと”として追求していきたいということでした。

その中で、「高齢社会に適した情報インフラを構築することで人々の生活の質を向上し、社会に貢献し続ける」というミッションを掲げ、複数の事業を展開しているエス・エム・エスに興味を持ちました。

高齢社会で生じる社会課題に挑戦しているところや、創業以来右肩上がりで成長し続けていること、若手のうちから事業責任者になれる可能性があるというところが、特に自分の志向性とぴったり合っていると感じました。

事業を数多く展開していながら新卒は少数採用という点に機会を感じたのはもちろんですが、その一方でただ闇雲に事業を立ち上げているわけではないというところも印象的でした。

全社のミッションに、各事業領域の中にあるそれぞれの事業がきちんと紐づき、相互に関連しながら社会課題に取り組んでいる様子に一貫性を感じ、この会社であれば社会に貢献している実感を持ちながらビジネスマンとして成長できると考え、入社を決めました。

就活の話という括りで言うと、私の場合は外資系のコンサルからも内定をいただいていたので、「なぜ事業会社にしたのか」という質問をよく頂きます。

就活中の皆さんが気になるテーマでもあるかと思うので、この場でもお話できればと思うのですが、一言でいうと、事業を育てて利益を生み出す力は事業をやる中でしか身につかないと思ったからです。

スポーツと同様に、どれだけ試合に出たかが戦略や理論と同じくらい重要なのではないかと。
どこかのタイミングで事業運営を経験したいと考えていた私にとっては、例え小さな範囲だけでも、若いうちから自分で意思決定する経験を積み上げられるのであれば、事業会社に飛び込んでみたほうが良いなと考えました。

望んでいた経験を積めているので、現時点では自分の選択に満足していますし、もう一度就活をするとしても同じ選択にたどり着くと思います。
 
 
―エス・エム・エスに入社されてからはどのようなことに携わっているのですか。
 
 
入社して最初の半年は介護事業者向け経営支援サービス「カイポケ」というSaaS(Software as a Service)のインサイドセールスを経験し、その後シニアライフサポート事業部という部署に配属されました。

この部署では「高齢社会の生活にまつわる良質な選択肢を提供し、より良い暮らしに貢献し続ける」をミッションに、介護、住まい、高齢者食、終活関連のサービスを展開しています。

私はその中で立ち上げられてから3年ほどの住まい関連の事業に所属することとなり、主に法人営業を担当していました。
しかし事業自体がまだ成長中で、組織も小規模だったこともあり、新規開拓営業だけでなくカスタマーサクセスやエリアごとの利益管理など、さまざまなことを経験させてもらいました。

最近では隣接する領域での事業立ち上げも任せてもらっています。
人生100年時代と言われる今、30~40年ほどで劣化が進む住宅に何もせずそのまま住み続けることは生活の質を下げてしまいかねません。
これらの事業を通じて、それぞれの人のライフステージに合わせた住まい方の良質な選択肢を提供し、豊かで快適な暮らしの実現に貢献できればと考えています。
 

事業を取り巻く環境は数年で大きく変化する。それを経験していることが自分にとっての財産になっていると感じる

 
 
―入社前と入社後でギャップを感じたところはありますか。
 
 
どちらかという社会人になる前となった後のギャップという側面が強いですが、大きく二つあって、一つは継続し続ける時間軸の長さです。

「新規事業」というと華やかな業務のイメージがあるかもしれませんが、日々の業務としては地道な改善行動の積み重ねです。
細かなオペレーションの改善はもちろん、必要に応じて自分自身でテレアポも行いますし、サービスの設計時には想定されていなかったことへの判断に悩むことも多々あります。

加えて、事業運営はプロジェクトと違い、年間の目標が達成できたらOKというものではありません。
大きなテーマに対し、長い年月の中でその都度必要な打ち手を打っていく必要があります。私はどちらかというと飽きっぽい性格なので、最初はその泥臭さと道のりの長さに戸惑いました。

今現在の考えで言うと、一定期間1つの事業に関り続けられていることはとてもいい経験になっていると思っています。
もちろん、エス・エム・エスは前述のように多くの事業を運営しているので、短期間で様々なビジネスモデルに触れられる可能性があることも魅力の一つです。

ただ、何かと分かったつもりになりがちの私にとっては、業界理解を深めながら事業を取り巻く市場環境や競合環境が時系列で大きく変化していることを体感できたことがよかった。

今まで上手くいっていたことが通用しなくなるような変化をいち早くとらえて主体的に対応し、コツコツと乗り越えていく経験が別の領域における“新規事業立ち上げ”にも活きると考えています。

大変ではありますが、立てた仮説を事業を通じて検証、改善していくプロセスは物つくりや研究に通じる面白さがあると感じています。

そしてもう一つは、エス・エム・エスで働く人たちへの印象です。
エス・エム・エスで働く人たちといえばロジカルでドライという印象を持っていたのですが、選考や仕事を通じてそれだけではない一面が見えてきました。

エス・エム・エスの人たちは、人柄の中にロジカルな部分とエモーショナルな部分がバランスよく存在していて、例えば「自分のおばあちゃんにはどんな暮らしをしてほしいか?」というように、ロジックだけでなく自分の価値観と照らし合わせて考えることも多いんです。

ドライな印象が先行しがちかもしれませんが、発言の背景をきちんと汲みとってくれる優しさや、間違った方向に進みかけたときにきちんとフィードバックしてくれる誠実さ、他者のチャレンジを応援してくれる熱さもちゃんとあります。

入社前にはエス・エム・エスのミッションや事業ばかりに目がいっていましたが、その裏側ではこんなに個性豊かで誠実な人たちが事業を作っていたのだと知りました。
 
 
―現在入社四年目の稲葉さんですが、今後のキャリアについてはどのように考えていますか。
 
 
まずは目の前の事業立ち上げに注力したいので、いい意味であまり具体的には考えていません。
ただ、将来的には全体を俯瞰できるような立場で仕事をしたいと思っているので、事業作りの経験を積み、大きい事業の責任者であったり、複数の事業を束ねる立場になりたいです。

あるいは、コーポレートサイドの仕事にもチャレンジしてみたいという気持ちもあります。
エス・エム・エスグループという3000人規模の上場企業を大きくしていくというミッションに携わることで、事業サイドとは違った視点から物事が見えるようになるのではないかと思っています。

どちらの道を選んでも活躍できるよう、まずは今の環境の中で成果を出していきたいです。
 

時間をかけなければ、本当のことは見えてこない。まずは自分が“知らない”ということを知ろう

 
 
―最後に、これからキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。
 
 
意思決定をする前に、“自分が見えている範囲”を広げる意識を持ってほしいと考えています。

今振り返ってみて改めて感じるのですが、私が学生時代に見えていた社会や企業はほんの“一部分”でした。
さまざまな企業のインターンに参加したことで見える範囲が広がりましたが、参加していなければすごく少ない選択肢の中で意思決定をしていたでしょう。

学生のみなさんも、社会に出てみてはじめて知ることがたくさんあると思います。

中には「自分がやりたいことと違う!」と思うこともあるかもしれませんが、そこで辞めてしまってはより視野が狭いまま、スキルも身につきません。
先ほど新規事業立ち上げについてお話ししたように、一定の時間をかけなければ本当のことは見えてきません。

就活中だけでなく社会人になってからも、まずは自分が“知らない”ということを知り、「まだ見えてないことがあるかもしれない」という気持ちを持ち続けられるといいんじゃないかなと思います。
 
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
趣味は映画鑑賞・美術館めぐり。