今回お話を伺ったあの• •

木村 恒太(きむら・こうた)
日本郵船株式会社/海上職/二等機関士

芝浦工業大学大学院を卒業後、2016年に日本郵船株式会社に海上職として入社。約2年間の実習を経て、機関士に。現在は二等機関士として世界中の港を周りながら船のメンテナンスを担っている。

興味を持ったことはまずやってみる。その中で出会ったのがヨットだった

 
 
―現在の木村さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。
 
 
体を動かすことが好きで、幼少期は友達と一緒に自然の中で遊ぶことが多かったです。

中学生になってからは学級委員長を務めたり文化祭でバンドを組んで演奏したり、目立つことが好きなタイプでしたね。運動神経も悪くなかったので、体育の先生に誘われて出場した陸上の大会では県3位に入賞したこともありました。

誰かに誘われて興味を持つと「まずはやってみよう!」とチャレンジしていましたが、特定のものにこだわったり夢中になったりすることは特にありませんでした。いわゆる器用貧乏なタイプだったんだと思います。

高校では先輩に誘われてヨット部に入りました。ただ、この部活がかなり厳しくて…。

朝6時に家を出て、船の準備をしてから授業に行き、授業が終わってからは日が暮れるまで練習、休みは週1日だけ…という日々が続き、気づけば5人いた同期は自分以外全員辞めてしまいました。

練習も自分たちで考えてやれというスタンスだったので、精神的にも体力的にもハードな部活でしたが、自分が納得いくまでは辞めたくないという気持ちで続けていました。
 

はじめて乗った飛行機に感銘を受け、パイロットを目指しながら機械工学の道へ

 
 
―将来についてはどのように考えていましたか。
 
 
高校が開催しているハワイへの語学研修に参加したとき、はじめて飛行機に乗り、純粋に「飛行機ってすごいな!」と思ったことからパイロットという仕事に興味を持ちました。

高校卒業後は航空大学校へ行きたいと思っていたのですが、航空大学校を受験するためには大学に2年以上在籍する必要があったため、芝浦工業大学の機械工学科に進学しました。ヨット部では船の整備なども行なっていたので、ここであればものづくりの勉強もできるだろうと思ったからです。
 
 
―大学生活はいかがでしたか。
 
 
想像以上に忙しい学科で、実験や製図、レポートに追われる日々でした。また、大学では新しいことをしたいと思っていたのでヨット部に入るつもりはなかったのですが、結局先輩の押しに負けてしまって…(苦笑)。

当時ヨット部は先輩が2人しかおらず、試合にも出られないという状況だったので、部員集めや練習費用の工面など練習よりも運営における苦労がたえませんでした。それでもなんとか部員を増やし、最終的には関東インカレの決勝にまで進めるチームになりました。

廃部寸前だったヨット部を仲間と一緒に立て直した

設計だけでなく現場でエンジニアリングに触れたい。“機関士”という仕事に出会い、日本郵船へ

 
 
―就職活動について教えてください。
 
 
機械工学について学びながらパイロットを目指していたものの、航空大学校と航空会社の養成試験に落ちてしまい、残念ながらパイロットになる道は絶たれてしまいました。

そこで一からどんな仕事に就きたいかを考えていたときに、ヨット部の知り合いから“海上職”という仕事があると教えてもらい、興味を持ちました。

もともとヨット部で船の修理や改善に携わっていたこともあり、機械の設計だけでなく現場で機械を動かすことができる仕事がいいなと思っていたので、海上職の中でも船内の機械メンテナンスを行う“機関士”を自社養成している大手商船会社を志望しました。
 
 
―その中でも日本郵船を選んだ理由について教えてください。
 
 
1番の決め手は“人”でした。日本郵船の面接では、何故それをやろうと思ったのか、そのときにどう思ったのかなど私個人にフォーカスした質問をたくさんしてくれたので、自分という人間をちゃんと理解してくれようとしているのだと感じました。

また、どの社員の方もフラットで話しやすく、自分の仕事に対していきいきとやりがいを持って働いているという印象を受け、好感を持ちました。もし機関士になれば約半年間の間同僚と寝食を共にしながら航海するので、誰と一緒に働くかというのが最終的には重要だと思い、日本郵船に入社を決めました。

あまり知られていないことですが、海上職は入社に当たり特別な資格や知識は必要ありません。私も船に関する専門知識はまったくありませんでしたが、簡単な適性検査と面接だけで内定をいただきました。同期には文系出身の人もいたので、意外と門戸は開かれている職種です。
 

入社後約2年間の実習を経て、一人前の機関士に。世界中の港を周りながら、エンジンを支える

 
 
―入社後はどのような業務に携われているのですか。
 
 
日本郵船では入社後にゼロから海上職の自社養成を行うので、入社後は海技大学校というところに入学し、約2年間の座学や実習を通じて機関士になるための知識や経験を身につけていきました。

海技大学校では他社の海上職の人たちとも一緒に学ぶので、会社の垣根を超えた仲間ができ、とても充実した日々でした。テスト勉強や実習で忙しい中でも、一緒に釣りをして釣った魚をさばいて食べたり、寮でわいわい話したり…卒業試験に合格したときには一人前になれて嬉しい反面、この生活が終わってしまうのかという寂しさもありました。

入社6年目の現在は、機関士として大型エンジンをはじめとした船の機械メンテナンスに携わっています。基本的には1年のうち6カ月は船に乗って世界中の港を周り、船に降りてからの3カ月間は休みというスケジュールです。

機関士は船が問題なく運航を行えるよう、メインエンジンをはじめとしたさまざまな機械の点検やメンテナンス、燃費効率を上げるための提案や試行を担っています。一日一日はコツコツとした作業の繰り返しですが、お客様から預かった大事な荷物を乗せているので、計画通りに船が運航できるよう日々責任感を持って仕事をしています。

世界は広いので、万が一海賊に狙われたときにもしっかりと船が持ち堪えられるように(笑)、どの海域にも対応できる整備が求められます。

船内での1コマ。半年の間、船内で機械のメンテナンスに取り組む

6カ月間は世界中の港を周るので、海外の港に停泊(※)したときに街を歩いたりご飯を食べたりして現地の文化に触れられるのは楽しいですし、仕事が休みの3カ月間では海外旅行に行ったりして自由に過ごせるのが嬉しいですね。同僚の中には、3カ月の間に寿司アカデミーに通っている人もいました(笑)。

あまり一般的な働き方ではないですが、仕事とプライベートでメリハリをつけたい人には合っていると思います。

(※)…コロナウイルス感染症の影響により2022年3月現在では上陸不可
 

自分の限界や向き不向きを決めつけずに、「まずはやってみる」ことを大切にして

 
 
―これからどのようなキャリアを歩んでいきたいですか。
 
 
今は二等機関士なので、さらに知識と経験を積んでもっとも上の階級である機関長を目指したいです。

あとは、海に関わっている人間として地球環境の問題も考えていかなければなりません。脱炭素やサスティナブルというキーワードが注目されていますが、現在ほとんどの船ではエンジンを動かすために重油を使っています。それを環境に配慮した燃料に転換していくという課題は、私たち世代が向き合っていかなければならない重要なテーマだと思います。
 
 
―最後に、これからキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。
 
 
最初から自分の限界や向き不向きを決めつけないで、とお伝えしたいです。

私自身、学生時代はこれといったものがありませんでしたが、興味を持てばまずはやってみるという姿勢は大事にしていました。その中でヨットに出会い、機関士という思いもよらなかった仕事に就きました。

選んだ結果がもし自分に合わないなと思っても、最初に出会った仕事をやり続けないといけないという時代ではありません。自分にはできない、向いていないと考える前に、まずは気軽にやってみることをおすすめします。
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。
 

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
趣味は映画鑑賞・美術館めぐり。