今回お話を伺ったあの• •

宮原 大祐(みやはら・だいすけ)
株式会社メディクルード/社長室/新規事業プロジェクト責任者 兼 NLP人材育成責任者

東京大学教育学部卒。大学時代は教育関係のNPOや人材系企業での長期インターンを経験し、2020年4月に新卒第一期生として株式会社メディクルードに入社。入社3年目からは新規事業立ち上げと経営幹部候補の後輩育成の責任者を兼任している。

号泣するほど嫌だった海外での生活。でも、結局は自分でなんとかするしかないと気づいた

 
 
―現在の宮原さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。
 
 
「まずはやらせてみる」という両親の教育方針のもと、ピアノや水泳、習字など興味のあることにはなんでもチャレンジさせてもらっていました。

好奇心旺盛なぶん途中で興味をなくしてやめてしまうことも多々ありましたが、押し付けは一度もなく、自分の意志を尊重してくれたのは今思うととてもありがたいです。

3歳からピアノをはじめるなど、好奇心旺盛な子どもだった

小学校4年生からは父親の仕事の関係で、フランスへ引っ越しました。引っ越した当初は学校に日本人の友人がいたので問題なく過ごせていたのですが、彼女が日本に帰ってしまった途端に周りとコミュニケーションが取れなくなってしまい…。

そんな学校生活が嫌で嫌で仕方なく、日本に一時帰国して再びフランスへ戻るときには、飛行機の中で何時間も号泣したほどでした(苦笑)。

でも次第に「結局は自分でなんとかするしかない」「どうせ帰れないならめいっぱい楽しんでやろう」という思いが芽生えはじめ、家庭教師をつけてもらいながら語学を学び、最終的には友人もたくさん作ることができました。

その後帰国して地元の中学校に通い始めたのですが、文化の違いになかなか馴染めず、今度は日本で「浮いた奴」になってしまいました。それが原因で周りからいじられることも多々ありましたが、反発ではなく素直に受け入れる姿勢を取るようになってからは友人も増え、楽しく過ごせるようになりました。

高校へ進学後はバレーボール部に入り、すべての時間をその練習に費やしました。進学校ではあったものの勉強する時間はほとんどなかったので、テスト前だけ死にものぐるいで勉強しているタイプでしたね(笑)。

バレー部の友人たちと。高校時代は休みなく練習に明け暮れていた

「どうせ目指すならトップの大学に」。東大に入学後、教育の面白さに目覚める

 
 
そんな調子で高校生活を過ごしていたので、3年生の春に部活を引退するまで具体的な進学先については考えていませんでした。

ただ、当時人気だった「リーガルハイ」という弁護士のドラマと教え方の上手な担任の先生に影響を受けて、将来は弁護士か教師になりたいなという気持ちを漠然と持っていました。どちらにも共通していたことですが、豊富な知識を上手に使いこなせる姿に憧れていたんだと思います。

3年生になったころ、両親に地元の愛知県を離れて一人暮らしをしたいと伝えると「県外へ行きたいなら地元の国公立よりも偏差値の高い大学に行け」と言われてしまい…。

その言葉を受けて「どうせ目指すならトップの大学に行こう」と思い、東京大学を目指しはじめました。一年目の受験では最低合格ラインにすら遠く及びませんでしたが、猛勉強の末、なんとか二度目の受験で文科一類に合格しました。
 
 
―大学生活はいかがでしたか。
 
 
浪人時代から「大学に入ったら興味の赴くままに好きなことをしよう!」と思っていたので、入学後は塾の講師や博物館の警備員などいろんなアルバイトをしつつ、大学3年生からは教育関係のNPOや人材系企業での長期インターンも経験しました。

大学3年生になる前にどの学部に行くか決めなければいけないのですが、法学の勉強と並行して受けていた教職の授業を通じて「教え方ではなく仕組みから教育を捉える」という学問領域にドはまりして、教育学部を選択しました。

周りを見ると8割ぐらいの人は法学部を選んでいたので、めずらしい選択だったと思います。
 

「本当に課題解決できる事業であれば、いつか必ず収益化できる」。社長の言葉が入社のきっかけに

 
 
―就職活動について教えてください。
 
 
就活をはじめたのは大学3年生の5月でした。第一志望として文科省を目指していたのですが、試験を受けられるのが大学4年生からだったので、それまでの間に他の企業も見てみようという気持ちではじめました。

業界・規模に関わらずさまざまな企業の説明会やインターンに参加し、教育、人材、医療、組織コンサルなど、“人”が価値をつくる業界に興味を持った一方で、大きな組織の一員として働くことが自分に合っているのか?という疑問を抱くようになりました。

そしてその観点から考えると、文科省ってどうなんだっけ?と考えるようになり…。そのときに出会ったのがメディクルードでした。
 
 
―メディクルードの選考で印象に残っていることを教えてください。
 
 
社長と話す機会をいただいたときに、文科省を目指そうか悩んでいるということを正直に伝えました。大きな組織の一員として働くことに疑問を持っているものの、利益を度外視しないと解決できない教育課題もあるのではないか、と。

すると社長から「本当に誰かの課題を解決できる事業であれば、いつか必ず収益化できる。それがすぐにはできなくても、長い目で見て収益化できる方法を模索すればいい」という言葉をかけてもらい、「そんな考え方もあるのか」とはっとしました。

また、選考中にいろいろな社員の方とお話をする中で、一人一人が社会課題解決に対する動機をしっかりと持っているというところにも惹かれ、最終的にはメディクルードに入社を決めました。

両親はおそらく大手に入ってほしかったんだと思いますが、法学部ではなく教育学部を選んだときと同じように「それで後悔はしないんだね?」と聞かれただけで、それ以上はなにも言いませんでした。

心配する気持ちもあったと思いますが、私の気持ちを尊重し、見守ってくれたことに感謝しています。
 

入社3年目からは教育事業立ち上げの責任者に

 
 
―入社後はどのような業務に携わっていますか。
 
 
「とりあえずなんでもやらせてみよう」というのがメディクルードの方針なので、入社後の2年間は社長室、現場の採用支援、マーケティング、経理などの部署を順番に回ってそれぞれの業務内容について学びました。

そしてこの4月からは、新規事業立ち上げの責任者と今年入社した後輩の育成を兼任しています。

社会課題に対する動機を持つ人がたくさんいるところもメディクルードの魅力だという

就職説明会などで学生の方からキャリアパスについてよくご質問をいただくのですが、メディクルードに決まったキャリアパスはありません。

私は教育領域に携わっていますが、介護領域での課題解決を目指している同期は医介連携の一環として訪問介護推進プロジェクトの責任者を務めています。

それぞれがやりたいと主張すればその場を用意してくれる環境にとても感謝していますし、日々社会課題に向き合っている仲間からたくさんの刺激を受けています。
 

正しいことは世の中にたくさんある。本当に大事なのはそれを自分が面白がれるかどうか

 
 
―今後宮原さんはどのようなキャリアを歩みたいとお考えですか。
 
 
まずは今携わっている新規事業の立ち上げを成功させたいです。ここで成功体験を積むことができれば、もっとこれをやりたいという意欲と自信が持てるようになると思うので。

もっと先の話で言うと、新しい形の学校を作りたいと思っています。一般論として言われている「いい教育」ではなく、研究やデータの蓄積に基づいた教育を子どもたちに提供していきたいというのが私の長年の夢なので、メディクルードの基盤とネットワークを活かした学校を作っていきたいです。
 

 
―最後に、これからキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。
 
 
自分が面白いと思えるものを信じてほしいです。

説明会やインターンなどで事業についてのさまざまな話を聞くと思いますが、人事や現場の人が言っていることは基本的にどれも正しいと思います。ただ、それを自分が面白いと思えるかどうかは別の話で、これから長い時間を使う仕事人生において“自分がそれを面白がれるか?”という観点は大切にしてほしいです。

世の中にとってどれだけ正しい仕事でも、自分が面白いと思えなければつらいですからね。

そしてもし自分が面白いと思えるものが見つかってないという人は、面白いものを自分で作れるぐらい成長できる環境を選ぶことをおすすめします。

キャリア選択において悩むことも多いと思いますが、“面白いと思えるかどうか”という素直な気持ちに従ってみてください。
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。
 

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
その傍らで現在は芸大に通い、芸術史やデザインについても学び中。