今回お話を伺ったあの• •

後藤 邦生(ごとう・くにお)
住友重機械工業株式会社/ICT本部/ICTインフラ戦略G

日本大学建築学科を卒業後、独立系Slerへ入社。エンジニアとしてERPの導入・保守・運用に携わったのち、2017年に住友重機械工業へ入社。現在はクラウドプラットフォームチームでクラウドの活用促進に携わっている。

幼い頃からものづくりが好き。中学時代からパソコンを自作していた

 
 
―現在の後藤さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。
 
 
幼い頃から好奇心旺盛で、三者面談では落ち着きがないと先生に怒られるタイプの子どもでした(苦笑)。

当時から自分で考えたことを形にするのが好きで、幼少期はレゴ、少年期はよくミニ四駆を改造して遊んでいましたね。夏休みの自由研究で風力発電システムを作り、区から表彰されたこともありました。

活発でものづくりが好きだった幼少時代

中学生になると祖母がパソコンを買ってくれたのですが、使い込んでいくとだんだん動きが不安定になりイライラしてきて…(笑)。どうすれば安定的にストレスなく使用できるのかを調べていくうちに、自分で一からパソコンを作りたいと思うようになり、パーツを買ってパソコンを作りはじめました。

パーツの役割を理解し組み立てれば動くという点ではミニ四駆とそんなに変わりませんでしたが、パソコンにはソフトウェアという概念が入ってくるため、少し難易度はあがりましたね。

学生時代は部活に入っていなかったので、学校以外の時間はテニススクールや水泳に通い、小説を読み漁ったり、電車で知らない街に行っていろいろな建物を観察したり、比較的自由な時間を過ごしていました。

自分の興味と世の中の役に立ちたいという思いから、将来は医療、IT、建築のいずれかに進みたいと考えていたものの、高校3年生になるまでなかなか踏ん切りがつかず…。

その中でたまたま国境なき医師団の存在を知り、「これだ!」と思い医学部を志望するものの、たいして勉強をしていなかったため当然ながらうまくいきませんでした。

そこで浪人期間中に改めて将来を考えるうちに「やはり自分は建築が好きだな」と思い至り、最終的に日本大学の建築学科へ進学しました。
 

やりたいことから遠ざかっている自分に気づき、もっと広い業界を見てみようと思った

 
 
―大学生活はいかがでしたか。
 
研究と課題がかなり大変だったものの、個性的で切れ者の友人に恵まれ、楽しい大学生活を過ごしました。日大の建築学科は福島県にあるので、「実家の農業を手伝うから授業を休む」という会話が友人たちの中で日常的に飛び交っているのも新鮮で興味深かったです。

学業に専念せよという大学の意向で、基本的にバイトは禁止され、部活やサークルもそこまで盛り上がってはいなかったのですが、大学3年生のときには友人と一緒にスポーツサークルを立ち上げてフットサルの大会に参加するなど、研究と課題に追われつつも充実した学生生活を送っていました。
 
 
―就職活動について教えてください。
 
もともとは設計関係の仕事に就きたいと考えていたのですが、ある設計事務所が起こした事件と就職氷河期が重なり、設計系の就職が非常に狭き門となってしまい…。先輩たちが就活で苦労している様子を見て、大学3年生からは設計系ではなく材料系のコンクリートの研究を選びました。

大学での研究の様子

想像以上にその研究が忙しかったため就活にはほとんど時間を割けなかったのですが、ありがたいことに研究内容が評価され、大手ゼネコンなどいくつかの企業からお声がけをいただきました。ただ、あらためて将来について考えてみたときにだんだん自分がやりたかったことから遠ざかっている感覚があり…。

それであれば建築系の仕事にこだわらなくてもいいんじゃないかと思うようになり、そこからはゲームやメーカー、IT系など業界関係なくいろいろな会社を見て回るようになりました。東北から東京へしょっちゅう遠征していたので、教授には睨まれましたけどね(苦笑)。

いろいろな会社の話を聞く中で、特に興味を持ったのがITでした。もともとITはソフトウェアのイメージが強かったのですが、それだけではなく社会のいろいろな分野において役に立っており、また日々新しいものが生まれていっているという点に惹かれました。

今まで興味を持っていた医療も建築もうまくいかなかったので、それであれば最後にITを選んでみようと思い、独立系Slerに入社しました。
 

システムを導入するだけでなく、最後まで見届けたい。そんな想いで住友重機械工業へ転職

 
 
―入社後の業務と、そこから住友重機械工業へ転職された経緯について教えてください。
 
入社後はSAPエンジニアとしてERP(基幹システム)パッケージの導入から運用・保守までを担当していました。

ちょうどその頃から世間がクラウドに注目しはじめたので、クラウド系の資格をとり「クラウド系の案件をやりたいです!」と手を挙げ、兼務の形で新たな取り組みにも積極的に携わらせて頂きました。当然ながら基幹システムはお客様の業務の根底に関わることなので、案件一つ一つのやりがいも大きかったですし、お客さまを含めた多くの方と関われるところも面白さの一つでしたね。

しかし、案件が終わると関係性も切れてしまうのがSlerの特徴とわかりつつも、導入したシステムがその後どうなっていくのかというところまで見られないところにもどかしさを感じるようになり…。システムを導入することよりも、それを5年10年と運用していく方が大変なのに、自分はそれを知らないままでいいのか?と思う気持ちが大きくなり、入社して6年後に転職を決めました。

コンサルや大手メーカーなどからもお声がけはいただいていたものの、Slerとして案件に関わる中で「この人たちと一緒に働きたい」と思った住友重機械工業へ入社を決めました。転職前は住友重機械工業という名前の通り、固い社風なのかなというイメージがあったのですが、面接で出会った方は皆堅苦しくなく、風通しや人当たりが良さそうという印象を持ちました。
 
 
―住友重機械工業へ移られてからはどのような業務に携わられていますか。
 
入社した2017年から今年の3月までは前職での経験を活かし、SAPエンジニアとして業務を中心にDXに関する取組にも携わっていました。

そして今年の4月からはクラウドプラットフォームというチームに立ち上げメンバーとして参画しています。クラウドプラットフォームチームは社内でのクラウド活用促進を目的としているのですが、社内でも前例のないことにも挑戦しているので、良くも悪くも試行錯誤しながら業務を進めています。

先ほどもお話しした通り、入社前は社名のイメージから固い社風なのかなと思っていたのですが、実際のところは気さくで優しい雰囲気があり、いい意味で意外でした。

また、新しいことをやりたいと手を挙げると非常に好意的に受け止めてくれ、かつ適切にサポートをしてもらえるので、いろいろなことにチャレンジしたいという自分の性格に非常に合った環境です。

当社は事業所ごとに作っているものが全然違うので、やりとりする事業所が変わると毎回0からインプットしていくところも刺激的で面白いです。一つの会社にいながら、複数の会社で仕事をするような感覚を得られる環境はなかなかないと思いますね。
 

会社の看板ではなく、どんな経験ができるか。わがままに環境を見極めて

 

 
―今後後藤さんはどのようなキャリアを歩んでいきたいですか。
 
どんな環境においても一定の成果を出せるよう、これからもスキルを磨き続けていきたいです。特に転職したいというわけではないですが、所属する会社でしか活躍できない人間にはなりたくないという想いは、今も昔も変わっていません。

エンジニアは常に新しい技術について勉強し続けなければ廃れてしまう一方なので、好奇心を持ち続ける気持ちを大事にしていきたいですね。

―最後に、これからキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。

就職先を選ぶときには、新しいことに挑戦でき、学べる環境に身を置くということを一番意識した方がいいと思います。

私はエンジニアなのでどうしてもエンジニア目線になってしまいますが、変化が激しいこの時代において会社の看板にパワー守ってもらおうという考え方はすごく危ないです。何かあったときに自分を守ってくれるのは、自分が身につけた技術。

だからこそ就職先を選ぶときは、会社の看板ではなく、どんな経験ができるかという観点でわがままに見極めてみてもいいのではないでしょうか。
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。
 

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
その傍らで現在は芸大に通い、芸術史やデザインについても学び中。