今回お話を伺ったあの• •

きゅん(通称)
日本たばこ産業株式会社(JT)/サステナビリティマネジメント部

コミュニティスペース『 』の提案をきっかけに、2018年に新卒で日本たばこ産業株式会社(JT)に入社。入社後は新卒採用チームに配属され、コミュニティスペース運営と兼務しながらいわゆる/いわば採用活動に携わる。その後異動し、現在はサステナビリティマネジメント部でプロジェクトの設計・推進を担う。

個人と組織の“探求”が交わる場所にこそ、自分の居場所が生まれる

 
 
―現在のきゅんさんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。
 
 
幼少期のころはあまり覚えていませんが、親からはすごく手のかかる子どもだったと言われます。

もともと集団生活が苦手なタイプだったのですが、小学生の頃に一年ほど入院して再び学校に戻ってきてからはさらに浮くようになり、周囲との衝突も多かったです。人数の少ない院内学級での生活が当たり前になっていたので、個人のペースに合わせてもらえないことに戸惑いを感じていました。

中学に入ってからは勉強がわりと得意だったこともあり、比較的勉強に重心を置いて過ごしていました。友人は数名いましたが、クラスの人たちが話している噂話のような会話にあまり興味が持てず…。

今になって振り返ると何様だよと思いますが、自分はもう少しまともな会話をしたいという気持ちが当時は強くありました。

中学まではその閉鎖的な雰囲気に息苦しさを感じていましたが、ユニークな試験内容に惹かれて入学した高校はのびのびとした校風で、かつ先生たちも専門知識に長けている人ばかりだったので、今までよりも楽しい学生生活を過ごしました。

あるとき友人に誘われて『エコノミクス甲子園』という金融版の高校生クイズに出場したことをきっかけに、金融の奥深さに興味を持ち、高校二年生のときにはその全国大会で準優勝を果たしました。

しかし、いつまでもクイズで勝った負けたをやっているのではなく、このような大会や金融の仕組みを作る側にならなければいけないなと思い、「ルールを作る側の人が多そう」というイメージで東京大学を志望しました。

今思えば東大だけが選択肢ではなかったと思いますが、当時は単純にそう考えていましたね。
 

ユニークな学生同士をつなげる場として、『お茶会』を主催

 
 
その後一年間の浪人生活を経て、東大に入学しました。

浪人時代に知り合った予備校の友人たちはユニークで、企業からコンピューターの基板を作る仕事を請け負って生活費を稼ぎ、ホテル暮らしをしているような人もいました。

高校までテストでいい点をとる、全国模試で何位だったという世界で生きてきた自分にとって、視野がぐっと広がった経験でしたね。
 
 
―大学生活はいかがでしたか。
 
 
想像以上に自分よりできる人たちがいることを思い知らされましたね。自分も成績は悪い方ではありませんでしたが、そんなものとは比べ物にならないほどでした。多分自分が東大を辞めても東大は困らないけど、この人が辞めたら困るんだろうなと思う人がどの分野にもいたんです。

そう思うようになってからは自分の存在価値がわからなくなり、入学してしばらくはぶらぶらと遊んでいました。

そんなときに東大生と社会人が交流できる場を作っている人と知り合い、その手伝いをするようになったんです。交流会の裏方として参加者の様子を見ているうちに、こういうところからビジネスが生まれるのか、今の大学3年生はこんなことを考えているのか、という気づきを得るようになり、自分でも学生同士をつなぐお茶会の場を開くようになりました。

浪人時代に視野を広げてくれた友人たちが「同じ領域のことをやっている人がいなくてつまらない」とぼやいているのを見ていたので、面白いことをしている学生同士をつなげるような場を作りたかったんです。

その後、『TEDx』というTEDからライセンスを受けて実施するイベントや、学生の国際会議の裏方をやるうちに他大生との交流も生まれ、お茶会の輪もどんどん広がっていきました。

あるときのお茶会の様子。これまで誰にも話していないことを紙片に書いて土に埋める。また、埋まっている紙片を中身を見ずに中央のろうそくで燃やし灰を土に戻す。という工程を共にしながらお茶を飲みました。

プロジェクトを任せてくれたJTに恩を感じ、「入社します」と申し出た

 
 
―就職活動について教えてください。
 
 
実はいわゆる就職活動というものを一切しないままJTに入社したんです。

大学時代から友人たちと一緒に法人向けにプロモーションやアウトソーシング、コンサルの事業をおこなっていたのですが、今は学生だから成立しているのであって、社会人になると各々の中で優先度が下がりはじめるのだろうなと予想していました。

だからといって無理に法人化する、あるいは就職をする必要もないと思っていたので、大学3年生になっても特に就活はしていなかったのですが、ある日友人にシェアハウスで肉を焼く交流会をやるから来ないかと誘われました。

当時はお金がなかったので、肉が食べられるならなんでもいいやと参加したときに出会ったのが、JTの役員でした。

するとその人が私を面白がってくれ、他のJT社員をいろいろと紹介してもらう中で当時人事部長を務めていた方と出会い、私が主催する交流会に何度か参加してもらうようになりました。

そんなときに、彼から「渋谷に場所を借りたものの何をするか決めていない」という話を聞き、「僕たちならこういう場にします」と提案してみたんです。するとその案が採択され、予算はすべてJTが出すという条件で、自分たちが考えたコンセプトに基づいたクローズドなコミュニティスペースが生まれました。

コミュニティスペースが完成したとき、これを自由に作らせてくれたJTには恩があると思い、「僕JTに入ります」と申し出たことが入社のきっかけになりました。JT側から入ってほしいとは別に言われてなかったんですけどね(笑)。

(参考記事)https://todai-umeet.com/article/36391
 

会社の資源を使うときには、自制心と自主心のバランスを意識する

 
 
―入社後はどのような業務に携わられていますか。
 
 
新卒採用チームに配属され、先ほどお話ししたコミュニティスペースの運営と兼務しながらインターンの設計や学生との交流会を企画していました。

企業のお金を使っているという意識を持ちながら、どのように自分らしさを発揮するかということが問われる仕事だったので、とても面白かったですね。人と向き合いながら線を引かざるを得ない仕事でもあり、狂わずに保つのが大変でもありました。

たばこ事業も同じで、たばこをどんどん推進するといろいろなところから反発が出る。だからと言って恐縮していては事業がなりたたない。事業自体がそういう構造になっているので、自分のミッションにおいても自制心と自主性のバランスをいかに取るかということが重要なテーマでした。

その後も、コミュニティスペースに集まったメンバーを海外に派遣し、本人たちの興味関心に合わせてレポートを作ってもらう『らぼ旅』、オンラインで世界中にいる探求者と一緒に同じ和菓子を食べながら、“託す^託される”を探る『茶話会Fiduciary』などのイベントを企画しました。

その合間に子どもが生まれたので、半年間の育休も取りました。それまでは自分の時間と仕事の時間がすべてでしたが、新たに育児の時間が加わったので、そのバランスをどのように取っていくかというのも今後の課題ですね。

育休中の1コマ

現在は採用チームを離れ、新たに創設されたサステナビリティマネジメントの部署に所属しています。

サステナビリティについて自分なりに解釈をすると、生き方を選び続けること、かつ終わり方を選べる状態であることだと認識しています。

たばこ業界は今、世界中のいろいろな機関から制約を受けています。そんな中で、作為・不作為を周囲の圧力に屈することしかできない状態をつくらないことが肝要ではないでしょうか。

もちろん、環境の変化によって打てる手は変わるものの、未来に対してよい原因を作り続けることによって、いつかこの会社が終わる時が来たとしても、納得して解散できる道筋を保ち続けたいですね。それは裏返せば、悪くない生き方を続けていくことだと思います。

そうすることでJTがやってきたことの一部は残せるかもしれませんし、それを誰かに託すこともできるかもしれません。

いつかはなくなるものだとしても、どのように終わらせるかを誰かに決められるのではなく、自分たちで決められるような選択肢を模索し続けていくことが自分のミッションだと捉えています。

そのためにはJTという組織自体のインテリジェンスをもっと磨いていく必要があると考えているので、今はさまざまな研究者の方や実業家の方に協力を仰ぎながら、合同のプロジェクト開発に向けて試行錯誤を重ねています。

「JTの望遠鏡」と呼称している、Principleの図 ©NiXoN/madoromism

個人と組織の“探求”が交わる場所にこそ、自分の居場所が生まれる

 
 
―最後に、これからキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。
 
 
まずは自分から始まる探求をしてほしいです。会社に入ると、組織がやりたいことに抵抗できず、個人の探究と組織の探求が乖離してしまう人もいます。

しかし、組織の探究の中に個人の探究がなければ、そこに自分の居場所は見出せないですよね。逆に自分の探求ばかりを優先しては、組織が進みたい方向と摩擦してしまいます。

まずは自分から始まる探求をし、それと交わる組織に出会う、あるいは組織にそれを交わらせることができれば、そこに自分の居場所( τόπος)が生まれるのではないでしょうか。
 

“探求”を教えてくれたUNIS国連国際学校の津田先生を囲むワークショップ。夜中でも最終発表の質疑応答が続きました

 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。
 

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
その傍らで現在は芸大に通い、芸術史やデザインについても学び中。