FreakOut China Co., Ltd./代表取締役
2015年に新卒で株式会社フリークアウトに入社。直販セールスチームにて、消費財メーカーを主に担当。2017年10月、FreakOut Taiwan Co.,Ltd.へ異動。2018年5月、FreakOut China Co., Ltd.を設立し、代表取締役に就任。
- 体調不良で受験に失敗…。しかしそれが人生の転機になった
- 日本と中国では恋愛観さえも違った
- 「遊ぶように働く」姿に憧れて、フリークアウトへ入社
- 「さすがに無茶ぶりでは…」。入社3年目で中国支社の代表取締役に抜擢
- 既成の枠にとらわれず、心から「すごい」と思える場所を選んで
TOPICS
―現在の岡田さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。
子どもの頃は引っ越しで学校を転々としていましたが、活発な性格で友人には恵まれていました。習い事をしつつ友人たちと秘密基地を作ったり、駄菓子屋さんに行ったり…忙しくしているのが好きなのは今も変わらないですね。
中学に入ってからはでしゃばりな性格のせいか少しいじめられたこともありましたが、しばらく経つとそれもなくなり、友人と一緒にダンスやバンド活動をして楽しく過ごしていました。また、テストで周りに負けたくないという気持ちが強かったので、塾に通いながらかなり勉強に力を入れていました。
高校受験では学区で一番偏差値の高い高校を目指していたのですが、受験当日に体調を崩してしまい…。結果的には滑り止めのつもりで受けた高校に入学したのですが、この高校に入学したことが人生における転機になりました。
私が所属していたコースでは、高校2年生からの1年間はカナダへ留学に行くことが決められており、私もホームステイをしながら現地の学校に通いました。
最初は英語がほとんど話せなかったのでつらい思いもしましたが、ホストファミリーがすごくいい人たちだったので、自分の家があるという安心感を得ながら充実した生活を送ることができました。
外の世界から客観的に日本を見るという経験をして、自分が日本で当たり前に享受していることは当たり前じゃなかったんだと気づくことができたのも、大きな学びでした。
帰国後は留学の期間分を取り返すために必死で勉強し、早稲田大学の国際教養学部に入学しました。将来のことを具体的に考えていたわけではありませんでしたが、漠然と英語を活かせる仕事に就きたいという考えでの選択でした。
―大学生活はいかがでしたか。
国際教養学部は帰国子女や留学生が半数以上を占めており、授業もすべて英語だったので、日本にいながらも国際色豊かな大学生活を送ることができました。個性的な人も多かったので、サークルの幹事長としてメンバーをまとめるときにはかなり苦労しましたが…(苦笑)。
留学期間中に在籍していた北京大学は留学生が多かったので、現地の学生も含め、さまざまな価値観の違いに触れることができて楽しかったです。学業への取り組み方だけでなく、恋愛観も中国と日本では違っていたりして興味深かったですね(笑)。
中国では高校生まで恋愛が禁止されているケースが多いらしく、大学で初々しくも恋愛に対して積極的に行動している友人たちを見て、日本と中国、そしてカナダは本当に文化も価値観も違っているのだなと実感しました。
留学から戻ってくるときには中国語検定の最上級である6級にも合格し、ある程度の語学力を身につけることもできたので、非常に充実した留学経験になりました。
―就職活動について教えてください。
帰国したのは大学3年生の夏でした。私の入ったゼミは就活の指導も熱心におこなっているところで、先輩たちはマスコミや大手IT、総合商社などそうそうたる企業に入社しており、周りにベンチャー企業を志望している友人もおらず、その中で私は外資系の大手IT企業に行きたいと考えていました。
といっても大した志望理由があったわけではなく、英語が使えて、オフィスが綺麗で、美味しい社食もあって…という単純な理由だったんですけどね。
ただ、OB訪問をしてそこで働いている方と話しているうちに、自分がやりたいこととは違うかもと思うようになり…。自分はお給料や環境だけでなく、仕事に熱中できて成長実感のあるところで働きたいんだということに気づき、改めてインターネット広告系の企業を中心に就活をおこない、その中でフリークアウトと出会いました。
いくつか内定をいただいた中で、フリークアウトかIT系メガベンチャーかで悩んだのですが、最終的には“人”の魅力でフリークアウトを選びました。
フリークアウトでは役員を含めて10人ほどの社員の方と面談させていただいたのですが、どの方とも面白い・かっこ悪いと思うポイントが同じで、「遊ぶように働く」という言葉がぴったりなほど仕事に熱中している姿に憧れを抱き、入社を決めました。
もう一方のIT系メガベンチャーとは規模も知名度も違いましたが、私の中でまったく迷いはありませんでした。
その後、大学4年生の5月からは内定者インターンとして人事部で働くことになりました。
まったく経験がない中で採用ホームページ作りやイベントの企画・運営を任されて、「未経験の学生にこんなことまで任せるのか!」と驚きましたね。インターン生ということもあり、いろいろなことを任せていただきながら自由に動き回り、まさに「遊ぶように働く」を体現できた貴重な経験でした。
―入社後はどのような業務に携わられているのですか。
3ヶ月間の研修とOJTでインターネット広告について学んだあと、7月からは営業チームに配属されました。
私は某大手メーカーを担当することになったのですが、そのお客様は現在の当社代表取締役の時吉が自ら開拓した主要顧客だったので、インターン時代と同様に、新入社員の私にこのお客様を任せるのか、と驚きました。
私のようにベンチャー企業を選ぶ人はある程度自分に自信があり、自分の実力を試したいという気持ちを持っている人が多いと思うのですが、お客様との折衝を通じて自分の至らなさや弱さに早い段階で気づけたことは貴重な経験でした。
またそれと同時に、大事なお客様を任せていただいているという責任感も芽生え、レベルの高いご要望にも真摯に向き合う姿勢を学びました。
3年目の10月からは台湾支社に異動したのですが、異動してすぐに中国支社の立ち上げを任されました。てっきり数年は台湾にいるものだと思っていましたし、入社3年目で海外支社の立ち上げを任されるなんて予想もしていませんでした。
しかも中国は他の国と違って制約が多いので、ほぼ一から事業を立ち上げることになるんです。いくらフリークアウトでも、「さすがにそれは無茶ぶりでは…」と不安にもなりましたね(苦笑)。
でもフリークアウトのいいところは、無茶ぶりと放任主義とケアのバランスがすごくよく取れているところなんです。基本的には信頼して任せてくれるのですが、本当に困ったときには必ず助けてくれる。その信頼感があるからこそ、自由に動き回ることができるんです。
立ち上げに関してもそれは同じで、周囲のサポートを得ながら事業計画の立案、採用計画、オフィス選び、諸々のシステム契約までをおこない、入社4年目の6月に無事中国支社を立ち上げることができました。
入社8年目の現在は、20人ほどが在籍している中国支社の代表を務めています。
代表を任されるまではマネジメント経験もなかったので、最初は何が代表で何が経営なのかもわかっていなかったのですが、自分らしいマネジメントスタイルを、試行錯誤するなかで徐々に見つけられたように思います。役が人を育てる、ですね。
一人でできないことでも、チームになればできるようになるというのはすごくエキサイティングな経験ですし、RPGのパーティーを作るように、強いチームを作って事業を拡大していくことにやりがいを感じています。
―今後岡田さんはどのようなキャリアを歩みたいとお考えですか。
明確なキャリアの目標はありませんが、何かにチャレンジしたいと思ったときにそれができる自分でありたいです。先が読めない時代に生きているので、5年後10年後にどんなことに興味を持っているのかはわかりません。
だからこそ、やりたいことに出会ったときには自信を持って挑戦できる、実用的なスキルと経験を得ていきたいですね。
―最後に、これからキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。
人生で一度きりのファーストキャリアを大事にしてほしいです。
生まれた家庭によってその人の価値観が決まるように、社会人0歳の価値観は新卒入社した会社によって決まると思います。だからこそ、「大手企業だから」「ベンチャーだから」という枠にとらわれず、自分が心からすごいと思える人たちがいるところを選んでほしいです。
そのためにも、就活では表面的な情報だけでなく、たくさんの社員の人と話をしたり、業務が体験できるインターンに参加したりして、企業と自分の本質的な相性を見極めてみてください。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
その傍らで現在は芸大に通い、芸術史やデザインについても学び中。