今回お話を伺ったあの• •

塩原大介(しおはら・だいすけ)
株式会社ドワンゴ/教育事業本部サービス開発部フロントエンドセクション/Webフロントグループ/グループリーダー

東京理科大学大学院卒。大学院でネットワークの研究を行い、2017年に新卒でドワンゴへ入社。入社後は『N予備校』のWebフロントエンドエンジニアを務めながら、ニコニコ生放送のPC向け配信アプリ開発にも携わる。入社6年目の現在はWebフロントエンドエンジニアチームのリーダーを務める。

“オタク文化”が教室の中心にあった学生時代

 
 
―現在の塩原さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。
 
幼い頃から変わっていないところは、こだわりが強くて自分の意志をはっきりと伝えるところですね。自分が納得しないとその場から動かず、両親や祖父母を困らせることもあったようです。

あとは、興味を持つととことんインプットするところも昔から変わっていません。色や宝石、神話に出てくる神様の名前など、一連のカテゴリーに対してすごく詳しくなるタイプの子どもでした。

特に中学受験をする気持ちはなかったのですが、両親と先生に勧められて、都内の中高一貫校に第一期生として入学しました。その学校は生徒一人ひとりの考える力を尊重してくれる校風で、タイプは違えどしっかりと自分の考えを持っている人が集まっており、すごく居心地の良い環境でした。先輩がいなかったので、第一世代として自分たちがこの学校を切り開いていくんだという感覚も新鮮でしたね。

ちょうどその頃から当時流行していたライトノベルにハマりはじめ、それを学級文庫として教室に置きました。すると周りの友人たちがそれを読んだり、一緒に本を置いてくれるようにもなったりして、いわゆる“オタク文化”が教室の中に広がっていきました。

自分がバスケ部の部長を務めていたこともあってか、自分のように運動部系の人や、生徒会をやっているような人もみんなオタク文化に染まっていったので、オタクが教室の中心にいるという特殊な構造の中でのびのびと過ごすことができました。
 

友人との交流サイトを作ったことがエンジニアの原点に

 
 
高校に上がってバスケ部をやめてからは、パソコンを触って過ごす時間が増えました。

当時は個人でブログを書くのが流行っていたので、自分でレンタルサーバーをたててWebサイトを作り、そこに友人たちのブログリンク集を作ったり、チャットルームを設置したりして、Web上で友人たちとコミュニケーションがとれる場を作っていきました。

幼少期からゲームをしたりソースコードをのぞいたりすることはありましたが、サイトの作り方に踏み込んでいったのはこのときがはじめてで、フロントエンドエンジニアの原点になった経験ともいえます。

大学受験では化学系を志したこともあったのですが、最終的に合格したのが情報系の学部だけだったので、その結果からなんとなく自分はコンピュータとともに生きていくのかなと思うようになりました。ただ、大学入学時点で「これだ!」という確信は得られていませんでしたね。
 

大学時代は競技プログラミングに熱中。より技術を磨くために大学院へ

 
 
―大学生活はいかがでしたか。
 
高校時代は関心の薄い分野の勉強にあまり身が入らないタイプだったので、優秀な友人たちと比べると成績が芳しくなかったのですが、大学に入り普通に勉強に取り組んでいただけでそれなりの成績になったことに驚きました。

その分野に関心があり、それが世の中にとってなんの役に立つのかわかっている状態で学ぶのはこんなに面白いことなんだ、と思いました。

大学ではネットワークの勉強をしていたのですが、大学3年生のときに競技プログラミングに出会ってからはそちらにも熱中するようになりました。競技プログラミングの大会があるらしいということを知ってからは休眠していたプログラミングサークルを立て直し、メンバーを集めて大会に出場するまでになりました。

高校からの友人たちと大学生の頃に撮った写真

学部生のときに一度就活をしたものの、自分には自己分析をして面接で自己PRを話して…といういわゆる普通の就活は無理だと悟り、それであれば技術を磨くしかないと考え、大学院に進学しました。

結果から考えると、この選択はよかったと思います。私が大学院を卒業するまでの2年間でWebの世界は大きく変わっていったので、その変遷の時代に学生として研究や開発に没頭できたことは貴重な経験でしたし、そこで身につけた知識と技術は後の自分を支えてくれました。
 

自分が書いたコードを送ったら、いきなり最終面接に

 
 
―就職活動について教えてください。
 
修士時代から先輩のところでアルバイトをしていたので、知識と技術には自信があったのですが、それが会社で通用するのかは半信半疑でした。

ただ、若手のうちからフロントエンドエンジニアを任せてくれるところにいきたいという想いは揺らがなかったので、それを軸にWebサービスを提供している会社をいくつか受ける中で出会ったのが、ドワンゴでした。

当時は提出書類の他に自分の書いたコードを添えて提出できたのですが、これが評価されていきなり最終面接に呼ばれ、驚きましたね。

そこで人事やエンジニアの方とお話をする中で、技術だけでなく私の経験や価値観など、ウェットな部分にも興味を持ってくれたところに好感を持ちました。また、私が書いたコードに対して「うちの現場社員がこんなにコードを褒めるのはめずらしいよ!」という話をしてくださり、とても嬉しかったことを覚えています。

たった1回の面接でもすごく満足度が高かったですし、ニコニコ動画など、普通じゃないことをやってきたドワンゴであれば自分も普通じゃないことにチャレンジできるのではないかと思い、入社を決めました。

友人や家族からも「ドワンゴが合ってそうだね」と言われましたし、実際に入社してからも居心地が良く、きっとここに長くいることになるんだろうなと思いました。
 

大変でも、嫌いじゃないと思えたひとつの経験

 
 
―入社後はどのような業務に携わられているのですか。
 
入社してから現在に至るまで、『N予備校』というドワンゴが提供しているeラーニングサービスのフロントエンドエンジニアを担当しています。

『N予備校』を利用いただいている方々、それから『N高』の先生方や生徒さんたちと直接関わることはありませんが、みなさんが勉強に励んでいる様子は伝わってきます。『N高』との定例会で生徒さんたちの様子を共有してもらうこともあり、こういう人たちの日々を支える仕事をしているんだなと実感できます。

もっともハードだった経験は、一時期だけニコニコ生放送のアプリ開発を任されたときです。

ニコニコ生放送に業務で関わることも初めてだったほか、アプリケーションの作りも作り方自体も普通ではなく、リリースまでの期間も余裕がないという状況でした。とにかく必要なことを、Webフロントエンドの枠を超えて全部やっていくという日々で、かなり苦労しました。

企画者やデザイナーを含めた少人数のチームでしたから、物事がどんどん動いて刺激的でした。「きみがやばいと思ったら、このプロジェクトはとめるから」と言われたときには背筋が伸びるような責任を感じましたが、最終的には無事にリリースに漕ぎ着けることができ、ホッとしましたね。

便利な道具も時間もないという状況をなんとかしなければいけないというのは大変な経験でしたが、決して嫌いじゃないなと思いました。
 

「もっとこうなれば」という些細な妄想を見逃さないで

 

 
―今後塩原さんはどのようなキャリアを歩みたいとお考えですか。
 
現在入社6年目でリーダーを任せていただいています。実装面や触り心地のような面でも、アーキテクチャの面でも、向き合っているものが違和感なく存在している状態を目指してきているかなと思いますし、これを広げていきたいです。あとは、フロントエンドのことをもっとうまくやりたいが知識や技術が伴っていないという人をサポートし、開発支援をおこなっていきたいという気持ちもあります。

さらに長期的な目線でいうと、今はWebの上で仕事をしていますが、ゆくゆくはWebブラウザや重要なツール、仕様などにも貢献していきたいです。
 
 
―最後に、これからキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。
 
些細なことでもいいので、「もっとこうなればいいな」と思うことを見逃さないでほしいです。

これはメンバーと接する中で実感したことですが、「もっとこうなればいいな」という妄想がまったくない人はいないと思うんです。頭の蓋がしまっていたり、情報不足だったり、当事者意識を持てていなかったりということはあるかもしれませんが、根本的な欲求としてそれがない人はいないはずです。

それは学生のみなさんも同じだと思います。小さな違和感を見逃さず、自分が叶えたいことや「もっとこうなったほうがいいんじゃない?」と思うことを深めていってほしいです。
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。
 

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
その傍らで現在は芸大に通い、芸術史やデザインについても学び中。