今回お話を伺ったあの• •

須藤悠平(すどう・ゆうへい)
住友商事グローバルメタルズ株式会社/海外薄板事業第一部

明治大学法学部卒。約1年間のアメリカ留学を経て、2009年に住友商事グローバルメタルズ株式会社へ新卒入社。営業として、ステンレス、チタン、ブリキ等のトレード、事業会社管理など様々な商社業務へ関わる。2015年から2年間は営業マネージャーとしてドバイに赴任し、帰国後は日頃の業務に並行して気候変動ワーキンググループにてカーボンニュートラル社会実現に向けた取り組みの検討も行っている。

幼いころから英語が好き。高校時代には友人と一緒にLAへ

 
 
―現在の須藤さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。
 
両親が洋画好きで、私自身も小学生から英会話を習いはじめたことから、英語が身近にある環境で育ちました。基本的に自分は運がいい方だと思っているのですが、英語や海外が好きになれたのも一つの運のよさだったと感じています。

小学生のときに英検4級をとるほど英語が好きだったので、高校受験も大学受験もさほど苦労しなかった記憶があります。

高校1年生のときには、友人と2人でロサンゼルスへ8日間の旅行にもチャレンジしました。アルバイトで貯めたお金だけでは足りず、家にあった漫画も全部売って…それぐらい海外に行きたい気持ちが強かったんです。

海外も飛行機もはじめての経験で、なおかつツアーにも参加せずに自分たちだけで観光地を回ることにしていたので、当時の自分にとっては大冒険でした。当然不安な気持ちもありましたが、ネイティブの英語に触れながら友人と旅ができたのは、今振り返ってもいい思い出です。

英語や海外は好きだったのですが、大学受験の時期を迎えてもやりたいことが見つかっていなかったので、「なるべく偏差値が高く、つぶしが効きそうなところ」という理由で明治大学の法学部へ進学を決めました。

大学では留学に行けたらいいなと思っていたのですが、学費の高さに愕然とし…。大学入学前にうちの家計では無理だと諦めてしまいました。
 

“廃人生活”の大学時代。就職直前に「これでいいのか?」

 
 
―大学生活はいかがでしたか。
 
正直にお話しすると、大学時代はひたすら趣味に興じる生活を送っていて、友人たちと共に自分たちの生活を“廃人生活”と呼んでいました(苦笑)。勿論、悪いことはしていませんでしたが、何をしていたかはここでは割愛させてください(笑)。

大学1、2年生のときはそれで問題なかったのですが、3年生になって就活を意識するようになってからは少しずつ焦りはじめ…。

気づけば、就活を同じ目線で頑張って一緒に情報交換していけるような人が少なく、「このままだとやばいかも」という危機感を持ちはじめました。

それでも大学4年生の春頃には金融系の会社に数社内定をいただけたのですが、やりたいことが見つかっていないのに、本当にこの会社に決めてしまっていいのかと不安を抱くようになり、再び進路について考えはじめました。

その中で、学費の関係で諦めてしまっていたものの、やはり自分は留学に行きたい。このまま就職をしてしまったらチャンスを一生逃してしまうだろうと思い至り、内定を蹴って約1年間の留学を決めました。

留学から帰ってきて就活をやり直すことにも不安を感じましたが、「やらない後悔よりもやった後悔の方がいい」という気持ちで両親を説得し、アメリカのペンシルベニア州へ旅立ちました。
 

アルバイトを得るために「私を採用してくれ!」と直談判

 
 
―留学生活はいかがでしたか。
 
約1年間アメリカで過ごしたので、当初不安に感じていた英語力には自信が持てるようになりましたし、自ら率先して動くことの重要性を学べたのはすごく貴重な経験でした。

私たち留学生は大学校内でしかアルバイトができない決まりになっていたのですが、採用人数に限りがあり、また奨学金生が優先されるなど競争率がかなり高く…。

留学資金は自分の貯金と両親から借りたお金でまかなっており、早々にアルバイトをはじめないと途中で帰国しなければいけないほどギリギリの状態だったので、一刻も早く職を得るために大学の人事部に通い詰めました。

職員からは「他に働きたい人も大勢いるから、あなたの順番はかなり後になるよ」と言われたこともあったのですが、それでは自分の生活が回らなくなってしまうので、その状況を説明しながら「他の人じゃなくて私を採用してくれ!」と直談判したところ、なんとか図書館でのアルバイトを得ることができました。

こういったできごとも含めて、いい学びになりましたね。

留学時代の友人たちと

SCGMであれば、世界中どこにでもいけるチャンスがある

 
 
―帰国後はどのように就職活動を再開されたのですか。
 
1年2ヶ月の留学を終えて帰国した頃にはすでに春採用は終わっていたものの、とりあえず「海外で仕事ができること」を軸に海外展開している大手メーカーの説明会に参加していました。

そんなときに、姉から「海外で仕事がしたいなら商社も受けてみたら?」とアドバイスを受けたことをきっかけに、住友商事グローバルメタルズ(以下、SCGM)に出会いました。

お恥ずかしながら当時の私は商社がどんな仕事をしているのかも知らなかったのですが、鉄を取り扱っているSCGMであれば世界中どこにでもいけるチャンスがあるし、住友商事のリソースも活用できるぶん、他社よりも面白い仕事ができるのではないかと興味を持ちました。

ただ、私はいわゆる「にわか商社志望」だったので、いざ面接に進むとあやうい場面が何度かありましたが…(苦笑)。

役員面接で「商社の役割とはなんだと思う?」と聞かれたときにもうまく答えられず、結局役員の方から直々にご指導をいただいたこともありました。

それでも最終的に内定をいただけたのは、すぐその場で自分の不勉強さを認められた素直さと、当時はまだめずらしかった留学経験を買っていただけたからではないかと思っています。

そういう点でも、やはり私は運がいいのではないでしょうか。
 

想像していたよりもずっと早く、海外を舞台に仕事ができた

 
 
―入社後はどのような業務に携わられているのですか。
 
2009年から2015年までは東京でステンレス、チタン、ブリキの営業としてASEAN、東アジア、欧米、中東とかなりいろいろな地域を担当させてもらいました。

入社半年ほどで得意先を任せてもらい、2年目のGWには一人で海外出張にも行かせてもらえ、早い段階から色々な経験をすることができました。

海外出張は商談、クレーム対応、メーカーとの定期訪問などが主な目的ですが、それらの計画もすべて自分で組み立てることができたので、若手でありながら裁量権をもって自由に働くことができました。

アジアを担当していたということもあり、2ヶ月に一度のペースで海外出張に行けたことも嬉しかったです。ある程度想像はしていたものの、こんなに高い頻度で海外に行けるというのは予想外でした。

その後、2015年からは2年間ドバイに赴任しました。

当初は他の国に行ってほしいと言われていたのですが、その国は宗教的なルールも厳しく、砂漠地帯というイメージしかなかったので、お話をいただいたときには正直憂鬱な気持ちが大きくて…(苦笑)。

出発の1ヶ月前に行き先がドバイに変更になったと聞いたときには、内心ガッツポーズでした。

私が赴任したのはドバイにある中東住友商事だったのですが、そこには住友商事の方を含めていろいろな部署が集まっており、何かあればすぐに相談できる環境だったのでありがたかったですね。

ドバイ駐在当時、出張先のレバノン ベイルートにて

ドバイは他の都市にもアクセスがよく商談先にも行きやすかったですし、インフラも整っていて街も綺麗だったので、仕事もプライベートも充実した日々を過ごすことができました。

2018年に帰国してからやることが大きく変わったわけではありませんが、中東地域に加えてブラジルも担当するようになり、販路が一層広がりました。

また、それらと並行しながら「気候変動ワーキンググループ」という新規事業系のプロジェクトにも参加し、環境に負担の少ない素材を安定的に供給できるよう、サプライチェーンの構築に取り組んでいます。
 

説明会だけで会社の姿は見えてこない。“生”の情報から後悔のない選択を

 

 
―今後須藤さんはどのようなキャリアを歩みたいとお考えですか。
 
新規事業をゼロから作り上げたいと思っています。

新規事業はアイデアがあっても、既に他の会社が先行していたり、利益に見合わなかったり、試行錯誤を数えきれないほど繰り返していくものなのでかなりハードルは高いのですが、それでも実現させたいですね。

商社に入る人は海外で働きたいという気持ちが強いと思うので、新規事業を収益化して海外拠点を増やし、そこで後輩たちがいきいきと働くことができればすごくいいなと思います。
 
―最後に、これからキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。
 
私が就活で一番苦労したのは、会社の本当の姿が見えにくいということでした。説明会だけで会社のすべてはわかりませんし、社会人経験がない自分が入社後の姿を想像するにも限界があったので…。

もし今就活をしているみなさんも同じような気持ちを抱えているのであれば、ぜひ“生”の情報を取るように意識してみてください。私もSCGMに入社を決める前にはなんどもOBOG訪問をし、自分のやりたいことと仕事内容にギャップがないかを確かめました。

結果として志望動機通り、むしろそれ以上の経験を積むことができているので、ネットの情報に惑わされず、自分で見聞きした情報をもとに後悔のない選択をしてください。
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。
 

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
その傍らで現在は芸大に通い、芸術史やデザインについても学び中。