今回お話を伺ったあの• •

志賀 恭子(しが・きょうこ)
株式会社くふうカンパニー/株式会社Zaim執行役員

早稲田大学を卒業後、2013年4月メガバンクに入行。2018年12月にくふうカンパニーに入社し、くふうカンパニーのファイナンス業務、投資事業、グループ内不動産事業の管理管掌役員などを担当。現在は、オンライン家計簿サービスを提供する株式会社Zaimでデータビジネス事業部の執行役員を務める。

ユニークな校風の中で、自分の個性を発揮したいと思うように

 
―現在の志賀さんのご活躍を紐解くために、まずはルーツについて教えてください。
 
幼少期は小中高の一貫校に通っていたのですが、勉強以外の教育にも力を入れているユニークな校風でした。そこで経験したさまざまなフィールドワークと一人ひとりの多様性を認める環境が、今の自分のルーツになっていると感じます。

小学生の頃、遠足で登山へ

小学生のときは学年を貫いたグループで1年間かけて野菜を育て収穫して文化祭で味噌汁をつくるんですが、他のグループの育てた野菜と交換ができるルールがあったんです。そこで自然と物々交換という経済を学んだり、あるときは自分たちでわらじを作って昔の人と同じように東海道五十三次を歩いたり…今振り返ると、そんな経験をさせてくれる学校は他にないんじゃないでしょうか。

学生時代の友人は、勉強熱心なのはもちろん、一芸に秀でている人たちが多く、世の中にはいろいろなスキルやポテンシャルを持った人がいるのだなと改めて実感しました。無理に周りに合わせるのではなく、一人ひとりが個性を発揮できる環境だったので、多様性を受け入れる受容度がそこで高まったように思います。

そんな環境の中で過ごしていたので、明確にやりたいことはなかったものの、自分の個性を発揮できる仕事がしたいと思っていました。親族は医療系の仕事が多かったのですが、決められた枠の中に収まりたくなかった反骨心からか、医療系以外の仕事をしようと何となく進路を決めていきました。

大学受験期を迎えた頃、尊敬している先生の「日本人は平和で恵まれた環境にいるが、それが当たり前ではない。日本人に生まれたからには、自分の能力や経験を世界に還元しなければならない」という教えに影響を受けたこともあり、ぼんやりと社会の格差を少しでも解消できるような仕事に携わりたいと思ったことから、目標に少しでも近づける環境に身を置きたいと、早稲田大学の政治経済学部に進学しました。
 

「自分よりすごい人はたくさんいる」。オーケストラ部ではじめての挫折を経験

 
―大学生活はいかがでしたか。
 
勉強やアルバイトをしつつも、基本的にはオーケストラ部の活動にどっぷりと浸かる日々でした。幼稚園の頃からバイオリンを習っていたのですが、私よりもすごい技術を持った人がたくさんいて…。部内でのオーディションに落ちて悔しい思いをすることも多々あり、私にとっては多くの挫折を経験した場所でした。

その一方で、組織の一員としての学びを得ることも多くありました。オーケストラと会社は一人ひとりに違う役割が与えられているという点で似ており、リーダーシップがうまく機能しているときには組織として最大の力が発揮できる、と。

4年生になってパートリーダーを務めるようになってからは、メンバーが最高の演奏をするためにどのようなコミュニケーションをとればよいのかを考えるようになり、実践的な学びを得ることができました。
 
 
―就職活動について教えてください。
 
大学3年生の後半から就活をはじめたのですが、ずっとこれをやり続けたいと思えるものを見つけられず…。それであれば社会人になってからやりたいことを探せばいいやと考え、さまざまな業界のインフラ的な部分に携われるという観点から、メガバンクに入行しました。

そのときも「世界の格差解消に貢献できるような仕事に携わりたい」という気持ちは根っこにあったので、金融を通じて途上国のインフラを整えるような部署に行ければいいなという期待も抱いていました。
 

新卒で入社したメガバンクを辞め、設立前のくふうカンパニーへ

 
―メガバンクに入行された後はどのような業務に携わっていたのですか。
 
法人営業として新規顧客の開拓を任されていました。

私が配属されたのは恵比寿支店で、開拓先は恵比寿周辺のスタートアップ企業が中心だったのですが、他の銀行と同じ取り組みをしていても面白くないなと…。もっと自分らしい方法でアプローチを仕掛けようと思い、当時はハードルの高かったスタートアップ企業の口座の開設から融資まで積極的に支援を進めていきました。

スタートアップ支援に関わる本部や関係グループ企業の方々の協力もあり、たくさんの企業の成長を微力ながら伴走させていただく機会をいただきました。

また、同時に企業の経営者の方の熱い志やマネジメントスタイルに憧れを抱く気持ちも強くなっていた頃、2年間省庁へ出向することが決まりました。

ミッションも大きくやりがいのある貴重な経験をさせていただいた一方で、徐々に自分のキャリアは自分の意思で決めていきたいと思うようになり…。

そんなときに知人を介して(くふうカンパニーの現代表執行役である)穐田と話をする機会があり、これからくふうカンパニーを設立する予定だから参画してみないかと声をかけていただきました。

カカクコムやクックパッドなど、自分が実際に使っているサービスを拡大させてきた穐田と一緒に働いてみたいという純粋な気持ちから、その場で転職を決意しました。
 

入社4年目で経営管理、投資、事業立ち上げを担う

 
―くふうカンパニーに転職後は、どのような業務に携わっていらっしゃるのですか。
 
「穐田と一緒に働いてみたい」という気持ちだけで転職したので、最初は何をやるかも決まっていなかったんです(苦笑)。

自分に何ができるかなと考えていく中で、ホールディングスの経営管理部として新たに金融機関との取引を開始したり、事業会社のアライアンスのサポートをしたり、投資支援部として企業への投資検討業務を担当していました。

未経験の業務が多く、失敗することも多々ありましたが、経営陣や現場の先輩方が時には優しく時には厳しくサポートしてくださり、短期間で多くの経験を積むことができました。

様々な業務を経験する中で、管理部門だけでなく事業や組織を立ち上げていく経験を積みたいと感じた頃、Zaimで家計簿データを活用した事業の立ち上げが決まり、その事業開発の責任者としての役割を担い、今に至ります。

現在入社4年目ですが、さまざまな経験を積んでいく中で、やりたいと手を挙げてから実際にやらせてもらえるまでのスピード感や、失敗してもチャレンジしたいことを応援してくれる「実家」のような社風は、くふうカンパニーならではだと実感しています。
 

キャリアに正解はなく、やったことすべてが糧になる

 

―今後志賀さんはどのようなキャリアを歩みたいとお考えですか。
 
今の時点で明確にこれをやっていきたいというのは決まっていませんが、いつか自分がやりたいと思うものに出会えたときに、いつでも動き出せるような経験を積んでいきたいです。

とはいえ自分一人ではできないことがほとんどだと思うので、周りの人と頼りあえるような関係性を作っていきたいですね。

また、キャリアのきっかけになった「社会の格差をなくしていけるような仕事に携わりたい」という想いは変わらずに持っているので、自分自身の幼少時代の経験も活かした事業ができればいいなと考えています。
 
 
―最後に、これからキャリアを考える人に向けたメッセージをお願いします。
 
キャリアに正解はありません。経験したことがいつかは自分の糧になるので、やりたいと思うことがあればそれができる環境に身を置いてほしいです。

くふうカンパニーに入社後、しばらくして穐田と話をする機会があり、「最近仕事どう?」と聞かれるかと思っていたのですが、穐田は「最近楽しい?」と聞かれたんです。仕事には苦しさがつきまとうものですが、穐田の言葉にも表れている通り、総じて見たときに仕事を楽しめているかどうかがすごく大切だと思います。

失敗を恐れず、やりたいことを見つけて飛び込んでみてください。
 
 
 

インタビュアー:アイルーツ+(プラス)編集部 小笠原寛

1999年上智大学 経済学部 経営学科 卒業。
新卒採用責任者他、様々なHR事業経験を積む中で、本音の大切さを実感。
2012年にirootsに参画し、「学生と企業の本音フィッティング」に従事する。
横浜市生まれ、現在は岐阜県関市に在住し、自然と人との対話に耳を傾ける日々。
 

文・編集:アイルーツ+(プラス)編集部 西村恵

2015年にエン・ジャパンの子会社である人材系ベンチャーに中途入社。
2018年にエン・ジャパンに転籍後、新卒スカウトサービス「iroots」の企画として、
ミートアップやメディアの運営、記事のライティング・編集に携わる。
その傍らで現在は芸大に通い、芸術史やデザインについても学び中。