脱・ゆるブラック。「仕事はラクだが、力がつかない」「自分の市場価値に自信が持てない」…そんな悩みを抱えるのではなく、“ラクではないが力がついた”と胸を張れる人になりたい。そんな想いを胸に、ラクではないが力がつく環境=「若手ホワイト企業」で奮闘する若手社員の経験にフォーカスし、自分の力でキャリアを切り拓くためのエッセンスを紐解く。

●若手ホワイト企業とは?
新卒スカウトサービス『iroots』では、会社の評判プラットフォーム「エンゲージ 会社の評判」に寄せられた口コミの中から「20代の成長環境」と「実力主義」のスコアにフォーカスし、“ラクではないが力がつく”企業を「若手ホワイト企業」と認定。>>若手ホワイト企業について詳しく知る

Interviewee’s Profile

株式会社阪神メタリックス
創業:1956年 従業員数:150名(2025年5月時点 ※グループ計)
特殊鋼や特殊工具鋼の専門店として事業を展開。2012年には川上ハガネ(株)をM&Aにより子会社化。現在は国内に7拠点、海外に2拠点を設ける。盤石な経営基盤を持ちながらも「特殊鋼専門商社の機能とはどうあるべきか?」を常に考え、事業成長を続けている。

川上ヒデル 特殊鋼事業部 高松支店
関西学院大学人間福祉学部卒。学生時代は陸上競技に打ち込み、数々の大会で優勝の実績を誇る。2020年には、日本学生対校選手権(日本インカレ)男子十種競技にて、当時の日本学生歴代7位の記録で関西勢初の優勝。2022年に株式会社阪神メタリックスに入社。入社2年目には、自らの立候補で新規エリアの開拓を手がける。現在入社4年目。

“夢中になれる仕事と実力主義”。2つの軸を大切にした就活。”

 
―最初に、阪神メタリックスに入社を決めるまでの経緯について教えてください。就活をはじめたときには、どのような軸で企業選びをおこなっていましたか。

就活をしはじめた当初から、業界は専門商社に絞っていました。中学校から大学まで陸上競技に打ち込んでいたため、1つのことを突き詰める力や数字への執着心には自信がありました。その強みを活かせる仕事を考えたとき、特定の分野について、知識や考えを深く掘り下げていく専門商社が合うのではないかと考え、業界を専門商社に定めています。また、自ら戦略を立てて結果を出すために行動する営業職に陸上競技との親和性を感じ、就活の軸を専門商社の営業に決めていました。

企業選びの基準の1つは、夢中になれる仕事かどうかです。陸上は、進化し続けなければすぐに周りに置いていかれてしまう競技です。何度も挫折を味わいましたが、進化を続けて結果を出せたのは、一心不乱に競技に打ち込むことができたからだと思っています。そんな経験があるからこそ、夢中になれる仕事ができたら、この先もずっと成長し続けられるのではないかと思うようになり、1つの軸が形成されていきました。

また、実力主義の会社かどうかも重要な軸の1つでした。学生時代は常に結果や記録を意識した生活を送っていましたし、結果は全て自分次第だと考えて、様々な工夫や努力をした自信があります。苦しいこともありましたが、努力に応じた結果が表れたときの嬉しさと達成感は、私の大きな原動力になっているんです。年齢や経歴といった“自分ではどうにもならないもの”ではなく、努力や結果といった自分次第のもので全てが決まる。そんな、今まで身を置いてきたような環境と近い会社なら、どこまでも自分を高め続けられると思い、軸に定めました。

―その中で、阪神メタリックスに興味を持ったきっかけを教えてください。

私の就活は、一般的なナビサイトやエージェントなどはあまり使わず、自ら企業を探して社員の方々にお話を伺うスタイルが中心でした。やはり、2つの軸に合った企業かどうかを見極めるためには、実際に働く人たちの声を聞くのが一番早いと思っていました。特に営業現場などに出ている方にお話を伺うと、夢中になれる仕事か、実力主義かどうかがよくわかると思い、いろいろな方にお会いしたのが懐かしいです。

当社に興味を持ったのも、当時のリクルーターとの出会いがきっかけでした。初めて話を聞いたときは「楽しそうに仕事のことを語る人だなぁ」という印象で。「仕事が楽しいから、できるだけたくさんの時間を割きたい」と話す姿に、そんなに夢中になれる仕事って、どんなものなんだろうと興味が強くなっていきました。

また、若手社員にも大きな裁量が委ねられていることや、年次や経歴ではなく実力が給与や評価に反映されることを聞いて、「ここが僕の居場所かもしれない」と思いましたね。


―選考を経て、阪神メタリックスに入社を決めた理由を教えてください。

就活の中で接点を持った企業は多かったのですが、自分の考えや価値観に合う企業だけ受けたので、実際に選考に進んだのは5~6社ほどでした。ありがたいことに、どの企業の方も私のことを高く評価してくださり、どこに進むか迷っていたんです。

その際、当時の人事担当者に「ヒデル自身が幸せになれる意思決定を優先してほしい」と言われたことに驚きました。採用したい反面、私自身が幸せになれる意思決定を誰よりも親身になって考えてくれていると実感しました。その言葉に続けて「もしうちに来てくれたら必ず幸せになると思うし、そうなるように支えるよ」と言ってもらったとき、当社への信頼がすごく強まりましたね。

また、弊社で働いている人が仕事に前向きであることも、大きな決め手の1つです。どの企業に入るかを考えるとき、理論的な分析だけじゃなくて「ここで働く人たちと一緒に仕事をしたいか」という感覚的な判断も大切にしていました。選考に進んだ企業はどこもそう思えるところばかりでしたが、中でもより強く感じたのが阪神メタリックスでした。

営業も“経営者”であれ。ただ売るだけではない営業への成長

 
―2022年にご入社されてから、今までどのような業務に携わられましたか。

入社後は、まず半年間の研修からスタートしました。事業内容や営業の基礎を学び、特殊鋼や鉄鋼材料についての知識を深めた半年間でしたね。営業活動をはじめてからすぐに活躍できるように、製造業や加工業を営むお客様のニーズを知るトレーニングも重ねました。

本格的に営業をはじめたのは、2022年の10月からです。香川エリアを中心に、製造業や加工業を営むお客様のニーズに合わせて、鉄鋼材料の提案を行なってきました。メーカーのお客様を担当することもあり、図面をもとに材料から機械加工を経て、完成品を提供することも珍しくありません。

業務内容だけお話しすると、一般的な営業っぽく聞こえると思うのですが、携われる業務範囲は実は広くて深いんです。当社の社長は日ごろから、営業に1人の経営者として動くことの大切さを伝えていて、時々社長からの電話に出ると「最近、商売はどう?」と聞かれることもあるくらいです。社内でも、営業はただモノを売るわけではなくて、商売を営む人という認識が広がっているので、一人ひとりに大きな裁量が委ねられています。

そんな社風の会社なので、私も1年目で価格設定を行なっていましたし、営業戦略を自分で立案することもありました。入社前に先輩社員から聞いていた“若手社員でも大きな裁量があること”は本当でしたね。職種は営業ですが、ただモノを売るだけじゃないからこそ毎日楽しいです。

新たな環境でどれだけ通用するか。新ミッションに挑戦した入社2年目

 
―入社してから今までの間に「ラクではないが力がついた」と思う経験を教えてください。

入社2年目に手がけた広島県の新規開拓が、一番記憶に残っています。1年目に担当していたエリアには、前任者や支店長が築き上げた基盤がありました。そのエリアがあったからこそ営業スキルを磨くことができたのですが、徐々に自分がゼロから作り上げたエリアを持ちたいと思うようになって。上司に「広島エリアを担当させてください!」って自ら頼みました。すると「やりたいならやってみればいい」と背中を押してくれたんです。

今まで培ってきたものが、どれくらい通用するのか試したかったのも、立候補した理由の1つでした。いざ開拓をはじめてみると、まだ配送網がないエリアだったからこそ、運送費のデメリットを理由に営業活動が難航したり、クレーム対応の難しさが露わになったりと、課題は少なくなかったです。思うように成果も出ず、数字も上がらないし出張費用だけがかさみ、利益が残らない状況が続きました。

このままじゃ、立候補した示しがつかない。そう思い、どうすれば広島エリアで売れるのかをイチから考え直しました。例えば香川で取引のあったメーカー向けの加工品を、広島の同業メーカーに提案したり、「商社業の本質は仕入先にある」という考えのもと、優れた仕入れ先の開拓に時間をかけたり。陸上競技に励んでいた時のように、私の強みである結果を出すための工夫と努力を最大限に発揮しました。

その結果、過去実績を活かした営業活動や、仕入れ先の開拓が功を奏して、受注につながるケースが増えたんです。今では数字も上がっていますし、利益も出るようになりました。お客様にも喜んでいただけて、全く実績のなかった広島エリアで成果を残せるようになっています。

この経験を通じて、自分で考えて0を1にしていく力が身につきましたし、自分の努力次第で成果を出せるという自信も持てました。年次や経験に左右されず挑戦したからこそ、商社業の本質を深く理解できたと思います。

―得られた経験をもとに、川上さんは今後どのようなキャリアを歩んでいきたいですか。

まずは、広島エリアでさらに大きな成果を出したいですね。広島での営業活動の中で出会った仕入れ先があるのですが、その企業との取引を全社に展開したんです。すると他のエリアでも売れるようになり、全社的な売上向上に寄与できました。そんな風に、「川上がいたからこの成果が生まれた」と言ってもらえるような実績を、どんどん作りたいと思っています。具体的には、広島に拠点を設立することと、自身が新たに見出した商材で年商1億円を構築する事の2点です。そしてゆくゆくは、自分が培った実力やノウハウを活かして、会社を牽引できたらいいなと思います。

ただ、どれだけ大きな成果を残せたとしても、挑戦することはやめません。厳しい環境で努力し続けるからこそ成長が待っていると、入社してから改めて実感しましたし、当社ならどんなことにも挑戦できる環境があります。これからも、自分が満足するまで仕事に打ち込みたいですね。


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《check!》株式会社阪神メタリックスの「若手ホワイト企業」環境

・社歴や年齢を問わず、若手社員の挑戦を応援する「若手抜擢環境」

・一人ひとりに裁量が委ねられているからこそ、経営者の目線が養える「20代の成長環境」

・「特殊鋼専門商社の機能とはどうあるべきか?」を常に考える「会社の成長性・将来性」