「反応しない練習」でベストセラーとなった草薙龍瞬さんと学生による対話をお伝えします。学生の悩みに対して、仏教の思想を元に真摯に受け答えをされています。学生はもちろん、悩める社会人の方々も必見です。
Q. 19卒なので就活に対してまだ特別不安などは感じたことがないのですが、手ごたえを感じた面接にも関わらず何度も落とされるという話をよく聞きます。これから先精神力が持つのか不安になります。
ストレートにこれは仏教的な考え方でお答えできると思うんですけれども、「手ごたえのあるなし」は自分の判断でしかないので、基本的に「判断しない」ことが大切です。
というのも、自分の心と相手の心は全く別のものなので、正直相手がどう見ているのか、最終的にどう結論を出すか全くわからないんですよ。自分の脳の中で「上手くいった」と結論が出せたとしても、相手の心は全く別のところにありますから、本当は一致するはずがないんです。これ、仏教では妄想といいます。相手が認めてくれたとか良い印象を与えたとかつい考えてしまうんですけど、人の心っていうのは見えないので、妄想でしかないんですね。
率直に言って自分で結論を出せるところではないので、ただ単に選考という機会に身を置いて、自分にできる形で受け答えをして、最終的にご縁ができればありがたいし、そうでなければそれはそれで向こうの領域ですから「そうでしたか」という感じですね。
基本的に「人の心は人さまの領域」です。これは恋愛でも親子関係でも職場でも夫婦関係でもそうです。本にも書いていることですが、これは本当に使える知恵です。
相手が怒っていても、「人の心は人さまの領域」ですから反応しない。「この人は怒っているんだ」と理解するだけですし、相手がどう判断してきても「人さまの判断」ですからただ理解するだけです。なるべく自分で妄想しない。そのことで、自分の心を守れます。就活とかでストレスに負けないためには、自分の心をニュートラルに保つことです。その基本は、「決して妄想して自分から判断しない」こと。そんな気がします。
Q. 仕事選びの際に、自分の領域を1つの業界・企業に絞ることが自分の可能性を狭めているような気がしてしまいます。自分の輪郭を把握するためには、まずいろいろな経験をすることが必要だと思うんですけれども、そのためには時間が必要だと思うのです。一つに絞らずに、いろいろな自分の可能性に挑戦する方がいいと思うんですが、どう思いますか?
率直に私の考えをお伝えすると、「ひとつの領域に絞ることが自分の可能性を狭める」というのは、「可能性という名の妄想」から来るのかな、と思います。というのも、本当の可能性というのは「自分にはこれができる」という現実的な技術や能力が身に着いたあとの話なのです。
アイデアが出せる、対人調整もできる、売り込みも生産管理もできる、みたいなオールマイティな働きというのは、もともと地道な勉強から始まります。ひとつ勉強して、身について、一つできるが増える。そのできるがたくさんあれば、その人が選択できる可能性が増える。そういうものではないでしょうか。
何かに挑戦するというのは、「現実を体験する」「実地に学ぶ」ということです。自分の現実の立ち位置というか、自分のポジションをとりあえず決めなければ、自分にできるのかできないのか、自分に向いているのかいないのか、も見えてこないはずです。
そこで確実にできる結果が出せたら、それは自分が1つの領域に立てたことを意味します。その後に、そこに立ち続けるのか、あるいはそれを前提にして次のところを目指すのかという自分の将来の選択、未来の可能性には繋がっていくでしょう。
よく言われるのが、「いろんな可能性を考えている段階では、本当の道は見えてこない」ということです。私自身も、自分の可能性は何かというところで長い間さまよった人間なので、あなたの思いも、この言葉の意味することも両方、なんとなく分かる気はします。逆説的な言い方になりますが、「これしか私にできることはない」というくらいに可能性を絞り込んだほうが、可能性は開けます。
今できることは何かという現実的な問いについては、今の自分に確信が持てることにこだわる必要は、実はあんまりありません。もちろん確信できることがあれば、それが突破口になるでしょう。でもそれがある人は、「可能性を狭める」というような悩み方はしないと思います。
自分で結論が出せないなら、どういう仕事ならお役に立てるか「相手に決めてもらう」形でもいいはずです。やってみて、徐々に自分らしさ・本領発揮していければ、それが自然な可能性の広げ方です。
だから、色々なところにエントリーシートを出してみて、それで採用してくれる場所で頑張ってみるというので大丈夫だと思います。「学生時代、あまり頑張ったことがない」という人は、「何をやったか」という自己アピールよりは、今まで自分が体験したことを「どう意味づけるか」の方が大切です。過去の体験が自分にとってどういう意味を持っているのか、どう将来につなげていきたいかという意味づけをはっきりすることです。
すでに社会で働いている人達というのは、正直「使えるかどうか」しか見ていないものです。それぞれすでに事業・仕事があるわけで、そこで利益を出して、価値を創造していくことが彼らの目的です。新しい人間を見るときに、その目的・その場所にどれだけフィットしてくれるか、どれだけ動いてくれるかというところしか見ていません。
そのうえで「この人はこういう性格だから面白い」とか「この人はこういう強み、特技、経験があるんだ」とか「この人となら一緒に頑張っていけそうだ」というところを見ているだけです。「私の理想はコレです!」みたいな自分アピールだけされても、それだけではマッチしません。「私たちの土俵でどう貢献できますか?」という具体的なところを見ているんだと思います。
ある意味「これやってごらん」という形で誰かが言ってくれて、「じゃ、やってみます!」という形で飛び込んでみるだけでよいのかもしれません。それで世の中に役に立って、自分のキャリアになっていくのなら、問題ありませんよね。
意外と多くの人が「やりたいかどうか」で悩むのですが、正直現実を知らないのに、やりたいかどうかなんて、わかるはずはないのです。できるチャンスがあればやってみる。個性とかやりたいことというのは、現実の中に身を置いたときに自然に出てくるものです。そうした個性ややりたいことというのは、本物です。
これが、学生さんと実社会の論理が食い違うところですね。自分のやりたいこととか自己実現という漠然としたイメージと、社会が求めているものがなかなか合致しないことが多いんです。
そもそも就活の時期までに、可能性とかやりたいこととか自分らしさとか、すべての答えを出すことは、無理です。本当に納得のいく最善の仕事・生き方が見えてくるのは、30代半ばを過ぎてからのはずです。もし機会が在ったら、その年代以上の人たちに聞いてみてください。「振り返ってみてれば、たしかにそうかもしれない」と答えてくれる人が多いだろうと思います。
30代後半から40代にかけてが責任世代。重要なポジションを任され、裁量の範囲も広がって、社会的な信頼や立場も得て、自分を最大限発揮できる時期です。そのときにはじめて「自分の選択は間違っていなかった」と思えるんですね。本当の納得は、体験した後の結果としてやってきます。「体験を積む」ことを、恐れずに、ためらわずに。今見えている景色が本当の景色だと思わないで、今の自分で答えを出さないで、まずは踏み出してみることだと思います。
-編集後記-
「なんでもできると思い込むのは妄想である」という言葉に強く心を打たれました。僕自身以前は「他者から認められたい」などと承認欲求が高かったですが、いろいろな経験をしていくことで、自分がしたいことというのが少しずつ見えてくるようになった気がします。
また、僕自身もタイに半年間住んでいたのですが、人々の格差に驚くなど様々な体験をしました。これからも「体験」を積み重ねることによって自分の方向性を見つけていきたいです。
―取材協力―
◎講演者:草薙 龍瞬 氏
僧侶。興道の里代表。中学中退後、16歳で家出、上京。大検(高認)を経て東大法学部卒業。政策シンクタンク勤務などを経て、三〇代半ばで得度出家。ミャンマー国立仏教大学、タイの僧院に留学。宗派に属さない「独立派」僧侶として、仏教を「人生をより快適に生きるための心の使い方」として紹介。お経の現代語訳や法話を採り入れた新スタイルの法事を行うなど、「人の幸福に役立つ合理的なブッダの教え」を展開。著書に『これも修行のうち。』『反応しない練習』(KADOKAWA)、『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』海竜社等がある。
◎講演イベント:iroots shibuya
iroots shibuyaは、irootsが主催する学生と社会人の交流会。それぞれが自分のルーツを語りあうことで、未来をより良くするためのきっかけにして欲しい。という想いで毎週火曜日@渋谷で開催されている。ゲスト講演30分+懇親会60分の2部構成にて実施中。
―この記事を書いた人―
小林 良輔
iroots インターン
早稲田大学商学部在学中。日系企業・タイ企業のビジネスマッチングサイト、子育てメディアのインターンを経てiroots編集部へ。irootsでは主に企画、マーケティング、記事作成を担当。趣味は散歩。