中退、渡英、転職…と紆余曲折のキャリアを経て、2014年に当時20名規模だったfreeeに人事として入社された栗林由季さん。前職での人事経験がfreeeでは一切通用しないことに衝撃を受け、「全社を巻き込みながら一から採用について学び直した」と当時を振り返る。スタートアップ時代から現在に至るまで、また、現在では一児の母としての務めをまっとうしながら、着実に作り上げてきた”freee式の採用”についてお話を伺った。
 
 

freee株式会社 人事採用本部 採用チーム マネージャー 栗林由季

情報通信関連の商社で営業としてキャリアをスタートし、2014年2月にfreeeに入社。
社員数20名強の時代からリクルーターとしてfreeeの魅力について情報発信を行う。

中退、渡英、転職…紆余曲折を経て、freeeに出会った

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―栗林さんは2014年に当時20人規模だったfreeeに中途で入社されたと伺いました。そこに至るまでの経緯についてお教えいただけますか。
 
 
実は私、あまり人に誇れるようなキャリアを歩んでいないんです。

学校に楽しみを見つけられず早々に退学を決意、同学年の友人たちが学業に励み就職活動にあくせくしているときに、自由気ままな生活を送っていました、
人と同じ人生を送りたくない。とか。自分だけにしかできないこともあるとか。そんなことを当時は思っていた記憶があります。
結局フラフラ遊んでいただけだったんですけどね(笑)

ただ結局、大学には30代で入学しました。学校って楽しい。学ぶことって大事なんだなとこの歳で改めて実感しています。

その後ひょんなことから情報通信関連の商社に営業として入社しました。
右も左もわからなかった私に一から社会の仕組みを教えてくれたのはこの会社で、今でも感謝の気持ちしかありません。
そこで営業として働いたのち、「もっと新しい世界を見てみたい」という気持ちから、会社を辞めてイギリスへ渡りました。

英語もまったくできず、なんの計画もないまま渡英したのですが、営業として働いていたときにある程度成果を出せていたこともあり、心のどこかで「世の中って意外となんとかなるんだな」と甘く考えていました。
 
 
―実際にイギリスでの生活はいかがでしたか。
 
 
想像以上に大変な日々でした。自分はなんでもできるような気になっていましたが、言葉を含め、どうにもならないこともあるのだなということを思い知らされました。
日本にいたころと違い、自分がしっかりと意思を伝えないと相手が察してくれることはまずないですし、自己主張しないと仕事も回してもらえません。

そういう環境は今までの自分になかった世界観だったので、衝撃を受けました。その環境になんとか食らいつきながら、5年ほどイギリスで働いたのち、帰国しました。

帰国後は大手情報通信会社の子会社で人事として採用され、中途採用の仕事を行なっていました。
しかし、いわゆる「ザ・日本企業」という組織風土にあまり馴染めず、もっと自分がわくわくできる場所を探し始めました。

そこで偶然出会ったのがfreeeでした。
 
 

創業2年目のfreeeでは、前職の人事経験が一切通用しなかった

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―freeeには人事として入社されたのですか。
 
 
一応そうでしたが、とにかく人が足りていなかったので、労務や法務、社長のサポートまでなんでも行なっていました。
良くも悪くも風通しの良すぎる組織だったので、手が回っていない仕事や会社の課題をつねに全員が共有できている状態でした。
そのため、やる人がいなければ自分がやる、という文化は当時から当たり前に根付いていましたね。
 
 
―前職での人事経験をfreeeで活かせた場面はありましたか。
 
 
いえ、前職での人事経験は一切通用しませんでした。

前職では求人を出せば応募が集まるのは当たり前でしたが、当時のfreeeでは求人を出しても応募がない状況でした。
それまで候補者を集めることに苦戦したことがなかった私にとって、これは衝撃的な経験でした。
freeeを成長させていくためには優秀な人材の採用が不可欠であるにも関わらず、この状況はまずいと真剣に危機感を覚えました。
 
とはいえ私一人だけではカバーしきれないことを私自身も他の社員も理解していたので、採用媒体や人材紹介の打ち合わせに、代表の佐々木や他の社員にも同席してもらい、freeeが優秀な人材を採用するためにはどうすればいいのかを日々議論しました。
 
その議論の中で、会社を成長させるためには自分たちから一緒に働きたい人たちを探しにいく必要があるという結論に至り、社長を含め、全社員を巻き込んだダイレクトリクルーティングが始まりました。
 
 

採用における唯一のルールは、「迷ったら採用しない」こと

 
 
―前職での経験が通用しなかったことに対する苦労は相当大きかったのではないですか。
 
 
そうですね、前職での経験を活かせないにも関わらず、自分がfreeeにいることの価値はなんだろうと悩んだ時期もありました。
ただ、思い返すとプライドとか、過去から学んだ経験とか、考えているヒマがないくらいがむしゃらに目標に向かっていた自分がいたように感じます。

大学時代からfreeeに至るまでのキャリアが繋がっていなかったからこそ、わりと早い段階で自分が持っている価値観や常識をリセットすることができました。
お恥ずかしい話ですが、当時はfreeeがいる業界についてもまったく知識がなかったので、わからないことは周りの人にひたすら聞いて一から学んでいきました。
 
 
―当時の採用において、大切にされていたことはなんですか。
 
 
採用における唯一の明確なルールは、「迷ったら採用しない」ということでした。

どれだけ素晴らしい経歴やスキルを持っていたとしても、「一緒に会社を作っていきたいか」という観点で少しでも迷いが生まれたときには、採用を見送ることにしています。

freeeでは今でも面接に関わったメンバーが全員納得した上でオファーを出すことになっているので、この価値観は当時から今まで一貫して大切にしていることです。
 
 

候補者のフィードバックから採用を磨いた

 
 
―freeeでの人事1年目を振り返って、良かったこと・後悔していることを教えてください。
 
 
良かったことは、これ以上ないというぐらい全社を巻き込んで採用を行うことができたことです。
当時創業して2年ほどだったにも関わらず、代表である佐々木のほとんどの時間を採用にあててもらいました。
会社を経営しながら採用の第一線に立つのは本当に大変だっただろうなと思う一方で、採用は人事だけで完結するものという常識を変えられた気がします。

後悔していることは、捨てるものがないフェーズだったからこそ、もっと自由に暴れ回れば良かったなと思います。
自由にチャレンジできる環境だったとはいえ、できなかったチャレンジはたくさんありました。
思い返すとあの当時のfreeeをもっといろいろな人に知っていただきたかったと後悔することがあります。

入社後しばらくしてお会いした候補者から、『freeeは佐々木大輔のイメージしかない』というフィードバックを言われたときは、本当に悔しくて。
freee社員を知ってもらうための記事を作成したり、スカウトメールに面接官の自己紹介を載せたりしました。

今のfreeeの採用スタイルは、過去の候補者のフィードバックから作られてきたと思います。
 
 

1年目が出せる価値は限られている。だからこそ自由に暴れ回ってほしい。

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―今後栗林さんが人事として実現されたいことはなんですか。
 
 
えらそうなことを言いましたが、freeeの採用はこれが完成形だと思っていません。
採用はこうあるべきだと思い込まずに、どういう組織になりたいか?という理想を描きながら、つねにアンラーンし続けることが大切だと思います。
 
また、現在私は子育てをしながら働いているのですが、そのようなフェーズの変化に対して、社員に「申し訳ない」と思わせてしまうような組織にはしたくありません。
人生のフェーズが変わっても、組織の中で楽しく働き続けているロールモデルになりたいと思っています。

そのためにはまず私自身が仕事を楽しむ必要があるので、変に肩に力を入れず、freeeとともに歩いていきたいと思います。
 
 
―最後に、人事1年目の方に伝えたいことはなんですか。
 
 
私の経験を振り返ってみても、1年目が出せる価値というのはすごく限られていると思います。
その代わり、わからないからできることもたくさんあるはずなので、それを大切にしてほしいです。

私はすでに人事を6年ほど経験しているので、もう1年目のころの自由な思考にはなれないなと感じています。
人事1年目だからこその発想やチャレンジを大切にして、良い組織を作るために暴れ回ってほしいなと思います。