本が好きという一心で新潮社に入社し、編集の道を歩んできた森史明さん。そこから一転、人事への異動が決まったときの心境を、「正直嫌で嫌でしかたなかった」と振り返る。
学生と接するのははじめてのことだったことから、最初はイライラしてしまうこともあったそう。しかし、ある出来事をきっかけに学生との向き合い方について考えるようになったと語る。
学生と一対一で向き合うことにこだわり続けてきた森さんが考える、”人事としてあるべき姿”とは。
 
 

株式会社新潮社 総務部総務課 課長 森史明

1995年に新潮社入社。週刊誌記者、編集者の後に、大日本印刷へ出向し、音声配信事業に関わる。その後2003年に新潮社に戻り宣伝、PR部門を経て、2010年に総務部に異動。以後、新卒、中途の採用を担当。

本が好き。その一心で出版の世界に飛び込んだ

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―森さんは新卒で新潮社にご入社されたとのことですが、そこに至るまでの経緯について教えてください。
 
 
大学時代はお酒を飲んで本を読んで映画を観て…というモラトリアムな生活をしていたので、特に将来のことを考えてはいませんでした。哲学や小説、映画にのめり込んでいたので、「こういう職業に就きたい」と真面目には考えていなくて、むしろ「こういう男になりたい」なんて理想ばかりを描いていました。

編集の仕事を意識するようになったのは、就活を始めてからです。
父親が国語の教員で、家にたくさん本がある環境で育った影響も大きかったと思います。本が好きだし、文学部だし…という単純な理由で出版社をいくつか受け、その中で拾ってくれた新潮社に入社しました。
 
 

他社への出向をきっかけに、組織の課題が見えてきた

 
 
入社してはじめての配属先は、週刊誌の編集部でした。右も左もわからないまま色々なところへ取材に行き、データ原稿を書く、その繰り返しです。精神的にハードな現場を取材するときもありましたし、先輩社員からきつく怒られることもたくさんありましたが、無我夢中で働いていました。

その後大日本印刷へ出向し、当時ニューメディアと呼ばれていた朗読や落語などの音声配信や、CD-ROMソフトの制作プロジェクトに携わりました。

大日本印刷は新潮社とは違う大会社ですから、この出向が、新潮社という会社と組織を客観的に見るきっかけになったと思います。

当時の新潮社は典型的な「古き良き」企業で、組織編成をシステマティックに行うのではなく、役員の意向とか、属人的に物事が決まることもめずらしくなかった。奉公人というと大げさですが、新潮社の社員でもあり家族でもある、という感覚で新潮社に人生を捧げている社員も大勢いたように思います。

ただ、昔から働いている社員にとっては当たり前のそういう感覚が、今後を担っていく若い人にとっては受け入れにくい文化なのかもしれない、そんなことを感じるようになりました。
 
 

編集から人事への異動は、嫌で嫌でしかたなかった

 
 
大日本印刷への出向から戻った後は、自身の希望で宣伝部に入りました。当時は出版社業界の売り上げがピークを迎えており、「これからは本を作るよりも売ることのほうがクリエイティブだ」と考えていたからです。

また当時の宣伝部の部長がとてもユニークな人で、その人のもとで働きたいという気持ちも強くありました。彼はその昔、入社2ヶ月で文庫本にカラーカバーをつけて売ることを提案し、当時の業界の常識を覆したレジェンド的な存在でもありました。

その人の持論でもあった「組織はうまくいかないことも多いが、議論している限りは悪くなることはない」という考えと、「既成概念にとらわれるな」という教えは今でも自分の中で大きな指針になっています。
 
 
―その後、宣伝部から総務部に異動されたときはどのような心境でしたか。
 
 
正直なところ、嫌で嫌でしかたなかったですよ(苦笑)。
出版社に入ったのに、これじゃ本に関われなくなると思って、異動するまでの半年ぐらいは嫌だと言い続けていました。

しかし、実際に異動して、前任者が退職してしまったあとは山のように仕事が降ってきて、それどころではなくなりました。

当時は総務・人事業務をほぼ一人で担当していましたし、採用でも全部が紙ベースで動いていて、とても大変でした。1000通以上のエントリーシートに目を通し、候補者を決めて手紙で面接の日程調整をして…という人事業務のかたわら、会社の設備が壊れたらその修繕の手配、保険料の見直し、社食の業者選定など、自分が何をやっているのかわからないぐらい忙しい日々でした。
 
 

くだらない質問はなく、不誠実な答えがあるだけ

 
 
―当時から新卒採用も担当されていたのですか。
 
 
はい、2011年卒から新卒採用も担当するようになりました。
学生と接するのははじめてのことだったので、最初は「なんでこんなことも企業研究で調べてこないんだ」とイライラしてしまうこともありました(苦笑)。頭のどこかで、「この学生は入社する・しない」という損得勘定で、相手を見ていたんだと思います。

そんな風にして数年たった時に、学生との向き合い方について考えさせられる出来事があったんです。

当時、私は学生から「貴社が求めている人物はどんな人ですか」と聞かれると、いつも決まって「コミュニケーション能力が高い人」と答えていました。

ある日、採用イベントでいつものように「コミュニケーション能力が高い人を求めている」と話したところ、一人の学生が「どの採用担当者もコミュニケーション能力の高い学生が欲しいと言いますが、私にはよくわかりません。森さんのおっしゃるコミュニケーション能力というのは具体的にどういうことですか?」と聞いてきたんです。

想定していなかった質問に、私はしどろもどろになってしまった。そして、“コミュニケーション能力が高い人”という安易な言葉を盾に、自分が手を抜いて学生と接していることに気づかされたんです。

学生の質問を最後まで聞き、聞かれたことに対して話を膨らませたりすり替えたりせずに誠実に答えなきゃいけない。当たり前のことですが、すべての人事ができているわけではないと思います。

この一件以来、「くだらない質問はなく、不誠実な答えがあるだけ」ということを信条にして、学生と向き合うようになりました。
 
 

「会社のことが一通りわかる」のではなく、「もっと知りたい」と思わせる仕掛けを

 
 
―以前森さんから学生と深く対話することの意義についてお話しいただきましたが、多くの学生と接する上でなかなかその余裕がないという人事の方も多いのではないでしょうか。
 
 
確かに企業という営利組織の一員である以上、時間を割くことには限界があると思います。しかし、効率化することと手を抜くことは別です。

例えば採用イベントで会社の概要と働き方についてざっと説明してパンフレットを配るだけの30分と、「絶対にこれを伝えよう」と熱意を込めて話す30分は時間で見ると同じです。手を抜いて得をすることといえば、イベントが終わった後に自分がちょっと疲れているかどうかだけではないでしょうか。

工数や効率化という難しい話ではなく、どのみち同じ時間を使うのであれば、全力で学生と向き合った方がいいというシンプルな考え方だと思います。
 
 
―森さんは具体的にその30分の時間をどのように使われているのでしょうか。
 
 
意識しているのは、その30分ですべてを話そうとしないことです。自分の話を聞いて学生が新潮社のことを一通りわかるのではなく、もっと新潮社を知りたいと、思わせたい。

ですので、なぜ新潮社は若手を採用するのか、どういう人に入社してもらいたいか、ということにフォーカスを当て、エピソードを交えながら話をします。

エピソードの一つとして、先ほどお話をした宣伝部時代の部長の話をすることもあります。
彼は入社2ヶ月で文庫本にカラーカバーをつけて販売することを提案しましたが、1960年当時の常識では、「そんなチャラチャラした本はだめだ」「本を売るときの邪魔になる」と、受け止められて、周囲から大反対を受けたそうです。

しかし彼は「あなたたちはえらい先生や取引先の声しか聞いていない。大事なのは、未来の読者の声だ」と反論し、押し切って販売にこぎつけました。それが大反響を呼び、今では文庫本にはカラーカバーをつけるのは常識になっています。

このエピソードを引用しながら、新潮社は若い人の無茶を聞く会社であること、既存社員が怒るような、思いもよらない仕事をしてくれることを期待して新卒採用を行なっているんだ、と伝えています。それを聞いて少しでも新潮社に興味がわけば、あとの情報は学生が自分で調べてくれると思うんですよ。

私がこのように工夫しているのは、新潮社に興味を持ってもらいたいということももちろんありますが、前提として学生を退屈させたくないという気持ちがあるからです。

お金を払って2〜3日かけて読んだ小説がつまらなかったらがっかりするのと同じように、せっかく足を運んだ説明会が退屈だとがっかりしますよね。学生にはそういう気持ちになってもらいたくないので、新潮社を志望する・しないに関わらず、学生にとって無駄にならない内容を話すようにしています。
 
 

手を抜いても効率は上がらない。学生と過ごす時間をもっと噛みしめて

 
 
―最後に、これから採用に向き合う人へのメッセージをお願いします。
 
 
企業は毎年新卒採用を行いますが、学生とっては一生に一度の出来事。私たち採用人事はその事実を噛みしめて、日々学生に接するべきだと思います。

先日カフェに入ったら、店員の女性に「新潮社の森さんですよね?」と声をかけられました。
その方は数年前に就活生として新潮社の説明会に参加してくださっていて、当時私が話した内容とそのときにおすすめした本について覚えてくれていました。

私からすると何回も実施している説明会ですが、学生はここまで人事の言葉を真摯に聞いてくれているのか、と驚いたし、涙が出るくらい嬉しかった。

手を抜いたからと言って、効率が上がるわけではありません。学生にとってすごく大切な時間を一緒に過ごしているんだという意識をすべての人事が持つことができれば、より良い採用が生まれるのではないでしょうか。
 
 
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